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第1話③ 共犯

 クッキーは別に、特別しょっぱかった訳ではない。でも明確に"何か入っていた"。


 視界がぐらぐらと揺れる。部屋の隅に座り込むと、どっと汗が出た。


 腹痛や吐き気は無い。あえて言うなら酒に酔った時に似ているだろうか。クッキーに仕込まれていたのがただの酒だとすれば、何かの陰謀だとリアを糾弾することもできないが……。


 不意に、キィッと教室のドアが開く音がした。


「ロイス様、いらっしゃいますか?」


「エリシア嬢……?」


 まさかの登場に面を食らう。

 エリシアは生徒会のメンバーではないので、アルディスたちと別行動なのは分かっていたが、こちらに来るとは思うはずも無い。


「少し様子がおかしかったので、もしかしてご気分が優れないのかと……」


「ありがとうございます。慣れない味だったもので……もう大丈夫です」


 もちろん気分は悪いままだが、仕方なく虚勢をはる。流石に侯爵令嬢の前で地べたは不味い。


 ふらつきながら立ち上がろうとすると、それを制するように、エリシアがすっと僕の向かいにしゃがみ込んだ。

 顔に掛かった髪を耳にかけ、顔を上げて何でもないという風にこちらを見て笑う。無理に立ち上がる必要は無いという、彼女なりのメッセージだろう。


 広い講義室の隅に2人で座り込んで、側から見ればわりと滑稽な姿かも知れない。ただ今はこの気遣いを素直に受け入れることにして、立ち上がるのを諦めた。

 座り直し冷たい空気を吸い込むと、頭のぐらつきが少し和らぐ。


 がらんとした講義室に、一時の沈黙が流れる。外からは女子生徒たちの談笑の声が聞こえた。


「……エリシア嬢は、僕に何かお話があるのですか?」


「はい」


 体調を心配してくれたというのも嘘ではないだろうが、それならウィリアムかレオンハイトに一言そうと告げれば良いだけだ。王子の婚約者であるエリシアが、他の男と二人きりになる理由としては流石に弱い。


 だとすれば……


「先日の中庭での件ですね?」


 エリシアが気まずそうに頷く。


 生垣の影からアルディスを隠し撮りをする彼女の姿は、誰が見たって怪しさ満点だった。それを問いただすこともせず、まして噂を流す事も無いというのは、エリシアの目にはかなり不可解に映ったはずだ。


 それから、エリシアは意を決したように僕の方に向き直り、ゆっくりと口を開いた。


「信じて頂けないと思うのですが……私は、一年後の卒業記念パーティーで、アルディス様から婚約を破棄されるのです」


「それは、そうでしょうね」


「妄言だと笑って頂いて構いません。でも………………え?」


「確証は無かったんですが、勘違いでなくて良かったです」


 いつも凛としているエリシアが、豆鉄砲を食らったような顔をしている。まぁ普通、"悪役令嬢もの"でこういう事情を理解しているのは、悪役令嬢本人だけ、もしくは本人とヒロインだけ、というのがセオリーだろう。


 今後の細かいストーリー展開など僕は知る由もないが、物語の前提条件は、だいたいそんなところだと予想がつく。


「前世でこの世界にそっくりな乙女ゲームをプレイされていたんですよね?」


「……はい」


「それで、ご自分がゲームに登場する”悪役令嬢”だと気づいてしまった」


「はい」


「断罪される未来を避けるために、カメラで証拠を押さえるところだったと」


「……まさかロイス様も『恋するインフィニティ学園』をプレイされたことが」


「いえ…………それは全く」


 かなりキツめのゲームタイトルだが、それも"お決まり"というヤツなんだろう。


 僕自身は、流行りの『悪役令嬢もの』と呼ばれる漫画を1つ2つ読んだことがあるくらいだ。乙女ゲームの類は一度もプレイしたことがない。


「インフィニティ?学園は置いておいて……お察しのように僕も転生者です。大丈夫、エリシア嬢の"ざまぁ"もきっと上手く行きますよ」


「ざまぁ、ですか……?」


「ん?」


 今度は僕が豆鉄砲を食らう番だ。


 聞けばエリシアは、問題の乙女ゲームは前世でかなりやり込んだが、「悪役令嬢もの」なんてジャンルの漫画や小説は一つも知らないらしい。


 乙女ゲームの価値観のまま、リア(ヒロイン)がこの世界の中心だと思っているのなら、さっきの諦めたような振る舞いにも納得が行く。


「先ほどは、リア様のクッキーを止めて頂きありがとうございました。おそらくゲームで登場する"好感度を上げるアイテム"の一つだったと思います」


「あぁ、やっぱり」


「本当は、私がちゃんとしないといけないのですが…」


 エリシアは下唇を噛むように、きゅっと口を引き結んだ。


「ちゃんと」か。エリシアは、リアの存在を認めながら、自身の身の振り方をまだ決められていないのだろう。


 僕自身は転生後、記憶以外ほとんどの意識が前世のものに置き換わってしまったけれど、彼女は違うようだ。現代人の感覚なら「そんな浮気王子こちらから願い下げだ」と考える女性の方が多いだろう。


「取り巻きの僕が言うのもアレですが、放っておいては?不倫の証拠さえ押さえておけば、貴女はお咎め無しのはずです」


 そんな提案をしても、エリシアに驚いたような様子は無い。そう言われるのは端から分かっていたのだろう。


 強く引き結んだ唇が、彼女自身の次の一言を引き留めている。険しい表情のまま息を整え、やっとのことで絞り出した声は、小さく震えていた。


「……だめ、なんです」


 耐えきれずエリシアが瞬きをすると、瞳を濡らしていた涙が粒になって溢れた。雫は柔らかな頬をつたい、ポタポタと制服のスカートを濡らす。


 手の届くような距離で、女性に泣かれるのは初めてだった。


「……私がいなくなれば良いって。リア様に意地悪なんてしないで、ただ二人を祝福すれば良いって、分かっています」


 涙は次々に溢れて、彼女の頬を転がり落ちていく。懸命に続きを紡ぐ様子を見守るが、その先は容易に想像できる。


「でも……」とエリシアが小さく声に出した。


「アルディス様を愛しています」


 アルディスと言葉を交わすときの、エリシアの柔らかい表情を思い出す。いま目の前にいる、張り詰めた彼女のそれとは正反対だ。


 アルディスとエリシアは幼い頃から婚約関係にあって、その分二人で過ごした時間も長い。積み重ねた想いは強く、前世の記憶を得た後も、揺らぐことはなかったのだ。


「……未来を知っているのに、身を引けない私は、酷い悪女です。こんなこと、ロイス様にお願いするのは筋違いだと分かっています……でも、どうか」


 いくら盗撮の場に居合わせたからと言って、なぜ僕相手にそこまでの事情を話したのか不思議だった。


エリシア()から、アルディス様を守ってください」


 彼女は、自身の救済など求めていない。


 白羽の矢が立ったのは、偶然だ。ただ都合よく僕がそこにいたから。エリシアは、自身のプライドを捨ててでも、アルディスの幸福を守りたいのだ。


 仮にもアルディスの取り巻きをやっている立場として、彼女の想いには共感できる。アルディスはそう思わせるだけの人だ。


 あの優しさやおおらかさを、王族としての自覚が足りないと責める声も多いだろう。それでも彼は自分を偽ることはせず、目の前の人をただ親愛の対象として振る舞う。第二王子という難しい立場でそれを続けるアルディスは、ある意味で相当頑固だとも言えるだろう。


 そういう彼の人間臭さが、僕にはとても好ましいし、尊敬できる。


「……僕もアルディス殿下のことは敬愛していますし、殿下がいつか王位を継ぐと言うのなら、進んで盾にでも剣にでもなるでしょう。

 ですが、貴女の提案を軽々には受け入れられません」


 その答えをエリシアが非難することはなく、ぐっと口を噤んだ。


 クッキーの酔いはかなり治ったので、その場でゆっくりと立ち上がる。エリシアの方は動く気配が無いので、身を屈め顔を覗き込む。


「エリシア嬢、僕は貴女が良い」


 弾かれた様に、エリシアがこちらを見上げる。


「リアでは駄目です。アレをアルディス殿下の妃にするなんて、著しく国益を損なう馬鹿な選択ですよ。家臣としても友人としても、ちょっと賛成できないです。

 でももし、アルディス殿下を支える同士にと仰るなら、喜んでお力になりましょう」


 その言葉で、エリシアは僕の言いたいことを理解してくれたようだった。


 相変わらず、彼女の目からは大粒の涙が溢れているが、それを拭う素振りは無い。止める気が無いというよりは、涙の存在を認めていないといった感じだ。


 度々「白々しい」と友人から非難を受ける、いつもの笑顔を自分の顔に貼り付ける。ダンスの申し込みをするように、お伺いの右手を差し出した。


 後は彼女次第だ。


「エリシア嬢、アルディス殿下の妃は貴女です。きっちり"ざまぁ"を成功させませんか?」


 重なった手は、思いの外力強い。


 立派な悪役令嬢だ。

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