第1話② ヒロイン
それから数日が過ぎた。
今日も僕は、王子アルディスの"取り巻きC"として、変わり映えのしない平和な日常を過ごしている。
「ねぇロイス、女性へのプレゼントでおすすめは無い?最近ちょっとマンネリぎみでさぁ」
「アルディス殿下……何ですか急に…」
学園内、この国の第二王子であるアルディスが歩けば、それだけで道行く生徒からの注目を集める。ただ「学び舎では皆平等」という学園のポリシーを地で行く彼は、そんなこと一つも気にする様子はなく、身分の低い僕にも楽しそうに話しかけた。
さらさらの金髪と、透き通るエメラルドグリーンの瞳。すらりと長い手足。顔立ちも、当然のように芸術的な美しさである。そして、そんな外見の高潔さを打ち消すほどの"緊張感の無さ"が、彼の最大の欠点であり、友人としての美点だ。
家格を気にせず気まぐれで取り巻きを選ぶあたりにもその性格が現れているし、僕はその恩恵にあずかっているという訳だ。
僕のやや呆れたような返事に、ウィルソン(取り巻きA)はくすくすと笑い、レオンハイト(取り巻きB)は長いため息をついた。
「……その手のことに縁のない僕に聞かないでください」
「だからこそ新しいアイディアが出るかと思って」
「そういう方向性の新しさは女性に求められていないのでは? それに……」
「ん?」
「その話題は別の機会が良さそうですね」
2号館へと続く渡り廊下。大きなステンドグラスから差し込む光の先に、エリシアの姿が見えた。
それに気づいたアルディスは、ぱぁっと明るい顔をして、大きな犬のように彼女に駆けよる。
「エリシア!」
「アルディス様、ごきげんよう」
「学園で君に会えるなんて、今日はラッキーだなぁ」
エリシアも、アルディスの登場に顔をほころばせている。
誰にでも好意的なアルディスだが、婚約者であるエリシアを特別に思っていることは、誰の目にも明らかだった。エリシアの方はだいぶ控えめだけれど、いつも隙の無い彼女の空気が、このときばかりは少し和らぐ。
婚約自体は政略的なものだろうが、貴族の端くれとして、2人が仲睦まじいのは純粋に喜ばしい。
アルディスと談笑していたエリシアだったが、僕の存在に気が付くと、慌ててさっと視線を外した。
"ざまぁ準備中"のエリシアに遭遇した日以来、そのことについて彼女と詳しく話したことは無い。
見てはいけないモノだったのは確かだろうが、本当にざまぁ準備中だったのか、彼女が前世持ちでゲームのストーリーを知っているのかは、わからないままだ。
「アルディスさま〜!」
突然、廊下にアルディスの名を呼ぶ声が響いた。よく言えば可愛らしい、悪く言えば甘ったるい声。声の主を見るまでもなく、エリシアの表情が強張った。
この秋に転入してきた新興男爵家の一人娘 ―― リア・オルタシアが、ぱたぱたと音を立てて走ってくる。
「アルディスさま、生徒会室に行くところですか?リアもご一緒したいです」
アルディス以外の存在なんて見えていないと言わんばかりに、リアはそう言って彼の腕に抱きついた。
特別な軽い布で出来ているように、彼女のスカートがふわりとゆれる。ウェーブした赤毛は窓からの日差しでキラキラと輝いて、男好きのする幼い顔を華やかに彩った。
もしここが確かに乙女ゲームの中なのだとしたら ―― まず間違いなくリアが主人公だ。
「やぁリア、今日も元気だね」
「アルディスさまにお会いできたから、今日もリアは元気いっぱいです」
「相変わらずですね、リア嬢は」
「えへへ。もちろんウィリアムさまやレオンハイトさまも、リアの元気の理由ですよ!」
上機嫌で2人の会話に混ざるウィリアム(取り巻きA)。レオンハイト(取り巻きB)も、いつもの険しい顔を和らげて微笑んでいる。リアの遠慮のないぶりっ子ムーブに、個人的にはどん引きだが。
何よりも驚くのは、顔色ひとつ変えないアルディスの姿だ。不敬に機嫌を損ねるでもなければ、可愛さに鼻の下を伸ばすでもない。ただ当然のように彼女を受け入れている。
アルディスらしいと言えばらしいけれど……。
正直、ウィリアムやレオンハイトがどれだけ彼女にデレデレしようが、心底どうでも良い(2人にも婚約者がいるので本当は全然良くないが)。
ただアルディスには、今だけ、エリシアの前でだけは毅然とした態度でいて欲しかった。
エリシアの様子を覗き見ると、彼女は淑やかな微笑みのまま、ただその情景を眺めていた。取り乱したり、不機嫌になる様子はない。
それがなんだか、諦めの表情にも見えて、居心地が悪くなる。エリシアの方がよっぽど"自覚"がある訳だ。
「そうだ!」
唐突にそう言ったリアは、コミカルに両の手を合わせてにっこりと笑った後、下げていた小ぶりのバスケットを持ち上げた。彼女がバスケットの蓋を開けると、辺りにふわりと香ばしい香りが広がる。
「リア、生徒会のみなさんにクッキーを焼いてきたんです!」
「すごい、自分で焼いたのかい?リアは器用なんだね」
「お料理だいすきなんです」
アルディスに褒められて、リアが嬉しそうに笑う。
「あれぇ?でも、エリシアさまは、お料理はされないんですか?」
「へ?」
ここまで散々存在を無視していたのに、急にリアから話しかけられて、エリシアから驚きの声が漏れる。
リアのとぼけた笑顔が完全に悪女のそれだが、他の誰からも指摘が入らないので、僕の色眼鏡ということにしておこう。まぁ、どちらにしても、彼女がエリシアにマウントを取ろうとしていることは明らかだ。
「……そう、ですね。私ではとてもリア様のようには出来ませんわ」
「あはは。侯爵家でエリシアが厨房に近づいたりしたら、使用人を困らせちゃうもんね」
「えぇ??エリシアさま、もしかしてお料理を爆発させてしまうタイプですかぁ?」
リアの放つ強烈なワードに、アルディスたちは、思わずと言った感じでけらけら笑った。不敬です、殿下……。
リアが天然を装っているのか、本当に無知なのかは知らないが、普通、使用人は貴族である家人の前に姿を現すのを禁じられている。令嬢がイタズラに厨房を出入りしては、とても仕事にならない。
「エリシアさまが作らないならぁ、今度からはリアがアルディスさまにプレゼントしますね?アルディスさまだってぇ、女の子からの手作りお菓子が欲しいはずですもん」
意気揚々とそんな宣言をするリアに、エリシアは何も言わず困ったように笑っている。
エリシア自身が「失礼だ」と指摘しても良いような場面だが、アルディスの顔を立ててか、彼女がそうすることは無かった。微笑んだまま、ただ自分の制服の袖をぎゅっと握りしめるばかりだ。
「アルディスさま。リアのつくるクッキー、おいしいって評判なんです。ぜひ召しあがってください」
「ありがとう、甘いもの大好きなんだ」
「……殿下」
笑顔でクッキーに手を伸ばすアルディスを、思わず強めに呼び止めた。
焦った顔をしているのは僕とエリシアだけだ。
「え?どうしたのロイス?」
「『え?どうしたのロイス?』じゃありません……学園内でも毒味は必要です…」
「えー…リアの手作りだよ??」
「……なら尚更です。因果関係が無くても、殿下がほんの少しお腹をくだすだけでリア嬢が裁かれます。ご友人を牢に送りたいのですか?」
相変わらずのアルディスは、不敬だと怒るでもなく「わかったよぉ…」と叱られた子犬のように肩を落とす。聞き分けの良いアルディスとは対照的に、リアはその指摘が癇に障ったようだ。
「ひどいっ…!リア、毒なんて入れてません!!」
「入れていたら大問題です。形式的なものですから、我慢してください」
「生徒会のみなさんに」と言っていた割に、リアは僕にクッキーを食べられるのが死ぬほど嫌そうに見える。
正直、リアが"悪役令嬢もの"の腹黒ヒロインである可能性が高い以上、このクッキーは絶対に絶対に絶対に食べたくないのだが、自分で指摘した手前、毒味しない訳には行かない。
僕はリアのバスケットから適当なクッキーを数枚摘み出して、そのうちの一つをぽいっと口の中に放り込んだ。
サクサクとして、小麦とバターの香りが口の中に広がる。これは…。
「リア嬢……」
「な、何ですかぁ…?」
「味見はされましたか?……酷くしょっぱいようですが」
「はぁぁ!!??」
「まぁ、砂糖と塩を間違えるのはお約束ですから。大丈夫です、爆発はしませんでしたよ」
「ギャーーーーッ!!!!」
リアは顔を真っ青にしてわなわなと震えた。
「そんな、わたし…えっと、ア、ア、ア、アルディスさま、ご、ごきげんよう!!!!」
「えぇ!?リア??」
呼び止めるアルディスの声も聞かず、リアはバスケットを抱えて脱兎のごとく逃げていった。途中、何も無いところでつまずいて何個かクッキーを落としたが、振り返って拾う余裕もない感じだ。
本当によく走るご令嬢だ。
「リア大丈夫かな…?追いかけてフォローした方が…」
「今はそっとしておいた方が良いかと」
「……そうか、そうだね」
「明日にはまた生徒会室にいらっしゃいますよ」
平気で高位令嬢にマウントを取る図太い神経からして、明日にはケロッとしているだろう。
アルディスたちは本気で心配しているし、エリシアは状況が上手く理解できていないような感じだ。
「仕方ない、そろそろ生徒会室に向かおうか」
アルディスは在校生の中で最も地位が高く、必然のような形で生徒会長を務めている。役員は会長の指名のため、王子の取り巻きABCである僕らも生徒会のメンバーだ。
それからもう一人、中々馴染めない転校生への計らいとして、最近リアもその中に加わったばかりだ(今日は流石に、生徒会室には来ないだろうけど)。
「殿下、申し訳ありません。資料の一部を教室に置いて来てしまったようで…。一度退席させて頂きます。後ほど必ず戻りますので」
「ロイスが珍しいね。分かったよ」
アルディス達と別れて、来た道を戻る。
先ほどまで使っていた講義室に入ると、中は期待通り伽藍堂だった。ありがたい。
(……まさか本当に盛ってるとは…)




