第1話① 悪役令嬢
耳をつんざくクラクションと、眼前に迫るフロントライト。絵に描いたような交通事故だ。
酷い眠気に襲われている時のように、細切れにフェードアウトを繰り返す意識。身を裂く痛みは確かにあるのに、彩度の失われた視界で、どこか他人事のように感じる。ああ、僕は今から死ぬのだ。苦しいけれど、意外と怖くはない。
どうしても瞼の重さに抗えず、きつく目を閉じた瞬間、僕は天蓋付きのベッドで目覚めた。
フランス貴族よろしくの豪華な内装に、微笑みかけるメイド。思わず眼前を覆った手のひらは、小さく丸みのある子供の手だった。
「……異世界転生だ…」
寝起き早々、意味のわからない単語を口にする僕に、メイドは不思議そうな顔をした。
子供の名前は、ロイス・エッケンベルク。田舎貴族の次男坊。10歳の少年の姿で、僕はこの世界を生きることになる。
……それから7年が過ぎた。
はじめの内は、流行りのライトノベルで見る様な「女神の神託はあるのか」「特別な魔力やスキルが判明するのはいつか」とワクワクしたものだが、そんなことは一つも起きなかった。
そもそもこの世界には、魔獣と戦う冒険者やギルドのようなものは存在しない。一応魔法はあるが、生活水準を上げる便利アイテムに過ぎず、冒険活劇を華やかに彩るような類のものではない。
わずかな可能性にかけて身につけた剣技も、貴族の子息令嬢がきゃっきゃうふふと青春を謳歌する学園に在学している間は、特に役立つこともないだろう。
平和なのはありがたいが……どこかの「物語の世界」という訳ではないのだろうか。
よく晴れた秋の日の午後。
学園内の庭園を散歩していたときに、僕はその疑問の答えを知ることになる。
「"ざまぁ"準備中の悪役令嬢がいる……」
そこにいたのは、エリシア・フォン・ヴァレンティス。この国の第二王子・アルディスの婚約者だ。
エリシアは、王子の婚約者という立場に恥じない、美しい令嬢だ。
長い金髪を丁寧に結い上げ、同じ色のまつ毛は切長の青い瞳を飾り立てる。背は女性にしては少し高く、真っ直ぐに伸びた背筋とシワひとつない制服姿が、その凛とした空気を引き立たせた。
学科試験の順位も常に上位、いつも落ち着いた雰囲気の令嬢をお供として引き連れている。
そんな隙一つないご令嬢が、どういう訳か、ひとり生垣の影に身を潜めていた。魔導式のカメラを握りしめる彼女の顔は険しい。そして生垣の向こう側には、赤毛の令嬢と談笑する、王子アルディスの姿があった。
前世で読んだ『悪役令嬢もの』の漫画とあまりにも状況が酷似している。
貴族の子息が通う学園、転入生の令嬢と親密な様子の王子、気位の高い婚約者。そして、その婚約者は相手の令嬢を弾糾するのでなく、いそいそと不倫の証拠を集めている。
勿論、僕が読んだ漫画にエリシアやアルディスが登場していた訳ではない。訳ではないが……。
「"ざまぁ"準備中の悪役令嬢がいる……」
思わず漏れた独り言に、彼女はバッとこちらを向いて、その綺麗な顔を青ざめさせた。
体がわなわなと震え、
「きゃ、んぐっ!!!」
叫び出そうとする彼女の口を、咄嗟に手で塞ぐ。
アルディスが「今誰かいた?」なんてすっとんきょんな声を上げているが、生垣に身を隠した僕ら2人の存在には気づかなかった。
左手でエリシアの口を塞いだまま、いつもの作り笑顔で「しぃ〜」と口元に人差し指を立てる。彼女が必死に首を縦に振ったので、そっと手を離した。
しばらくすると、アルディスは一緒にいた令嬢とどこかに行ってしまった。
「あの、ロイス様……これは……」
青い顔で視線を泳がせるエリシア。彼女の中に後ろめたい気持ちはあったのだろうけれど、もし本当に”悪役令嬢”なのだとしたら、とても咎める気にはならない。
「大丈夫ですエリシア嬢。花の写真を撮っていただけですよね?」
―― なんて。「僕は何も見ていません」と、そんな簡単な話で済むはずもなく…。




