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第8話 断罪前夜

 目覚めて最初に目に入る白いシーツ。

 朝日に照らされたそれは純白で清らかで、私の心の中とは真反対で、すこし惨めな気持ちになる。


 このまま、この真っ白な世界で眠り続けてしまいたいと願ってしまうけれど、そんなことは許されない。観念して身支度をはじめて窓の外を見ると、切ないくらいに晴れた綺麗な空だった。


 あの日、リア様に呼び出された講堂で告げられたのは、高らかな勝利宣言。

 私が転生者だとリア様に知られてしまえば、きっと今までのように上手く立ち回ることは叶わない。


 何よりも――。


「おはようございます、エリシア嬢」


「……ご機嫌よう、ロイス様」


 いつものように、食堂の前で待っている彼の姿。

 いつもと同じ、少し眠そうな目つき、落ち着いた口調。あの日の姿が夢だったのではと思えるくらい。


 ――『それは勿論、君に恋をしているから』


 普段は少し皮肉っぽいロイス様のものとは思えない、情熱的な言葉。狂気さえ感じるような執着。

 もちろん、あの場を凌ぎ、リア様を欺くためのお芝居だったはず。


「……ロイス様、あの…」


「今日は生徒会の会議がありますので、放課後はシェーン嬢とお過ごしください。くれぐれも人通りの少ない場所などには出向かないでくださいね」


 あの日の真意を何度も確かめようとしたけれど、彼は決してその話題に触れさせてはくれなかった。それどころか、近づく卒業記念パーティについてさえ、何も話しては貰えない。


 ロイス様の方に話す気が無いのだとしたら……私の何倍も口の達者な彼に、話術で叶うはずもなく。


 彼を信じたいという気持ちと、もう見捨てられてしまったのではという不安が、自分の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。


「……!」


 チラチラとこちらを伺っていたベルーナ嬢と目が合ってしまい、どきりとする。

 驚いたのは彼女も同じだったようで、慌てた様子でパッと視線を逸らし、他の友人たちと歓談をはじめた。


 リア様と講堂で対峙したあの日以降、リア様か、もしくはその友人の誰かが常に私たちの様子を監視している。正確には、監視されているのは私・エリシアではなく、護衛にあたってくれているロイス様の方だ。


 ただ、何か具体的に手を出してくる訳ではないし、むしろロイス様は自分から積極的にリア様に話しかけるようになった。


 彼の笑顔はいつものことなのに、それがリア様に向けられると―― どうしてか、じわじわと心が侵食されていく。


(……裏切られたなんて思うのは、筋違いだわ、エリシア)


「最近のロイス様、護衛の自覚が足りなくはないですか?生徒会の仕事ばかり優先して…いらっしゃる時だって、ずっと書類と"にらめっこ"して」


「そんなこと言わないでシェーン。むしろ今までが無理を強いていたの……お忙しい時期なのに、よくしてくださっているわ」


 シェーンとお茶をする時間は、自分の感情に向き合う必要が無くなるから、少し心が落ち着く。


 一つひとつを、冷静に見ることができる。


「ねぇシェーン……以前、私とリア様が噴水に落ちたのを覚えている?」


「ええ、もちろん。あの時のリア様の無礼さを思うと今でもハラワタが…」


「その現場を見ていた方たちとお話したいの。近くに誰がいたか、分からないかしら…?」


 あの人に裏切られたなんて思うのは、違う。はじめから私自身の問題なのだから。


 上手く立ち回れない私をサポートしてくれた彼には感謝しかない。


 卒業記念パーティーでアルディス様が私を断罪するとして ―― それを覆そうとすれば、必然的に公的な場で王族に意見することになる。貴族の子息である彼にその荷を背負わせるのは、あまりにも…。


「今からでは遅いかも知れないけれど……エリシアは悪女だっていう噂を、少しでも晴らしていきたいの。アルディス様の婚約者として恥ずかしくないように」


「エリシア様が悪女な訳あるものですか!!このシェーンにできることがあれば何でもおっしゃってくださいね」


「ありがとうシェーン…」


 シェーンの協力もあって、あの日の目撃者を数人は見つけることができた。


 ただ、私が声をかけると誰もが一様に顔を曇らせる。言いづらそうに「あまりよく見えなくて」と言葉を濁すだけで、何も話してはくれない。


 ここで問い詰めたって何の意味も無いことくらい、"愚図なエリシア"にも分かる。


「噴水の側がつまずきやすいようなら、改善をと思いましたの。お時間を頂いてありがとうございます」


 最後の一人だった栗毛の青年も、「何か気づいたことがあればお伝えしますね」と申し訳なさそうに言い添えて、行ってしまった。


 シェーンは悔しそうな顔をしたけれど、「まだまだ出来ることはあります!」と力強く言ってくれる彼女の前向きさに、涙が出そうになる。


 寮に帰る途中の廊下に、生徒会終わりのアルディス様の姿が見えた。

 ウィルソン様、レオンハイト様は一緒のようだけど、リア様やロイス様の姿は無い。


「あぁ、エリシア……」


「アルディス様、お勤めお疲れ様です」


 同じ学内にいればこうして会うこともあるけれど、最近のアルディス様はいつも浮かない顔をしている。

 以前のように名前を呼び、挨拶を返してはくれるけれど……「用事があるから」とすぐに行ってしまうことも少なくない。


「先日お話したお茶のお誘いですが、やっぱりお忙しいでしょうか?今も少しお疲れのようですし…」


「あぁそっか…まだ返事をしてなかったね。その日はリアと約束があるんだ。ごめんねエリシア」


 傷ついた顔を見せるのも、気にしていない素振りをとるのも、どちらも正解とは思えなかった。


 ただ返事を絞り出すのに必死で、結局どんな表情になってしまったのか、自分では分からない。


「わかりました。またお誘いしますね」


 その後も、何度か誘いの手紙を出したけれど、結局その日が訪れることは無かった。



 ◇



 卒業記念パーティーの当日。


 とうに寮は引き払われて、王都に邸宅を持つ家の子息令嬢たちは、それぞれの屋敷で準備に勤しんでいる。


 パーティーで私が着るのは、金糸のレースで縁取られた深い青のドレス ―― ゲームの"断罪シーン"でエリシアが着ていたものと全く同じデザインだ。それを思うと、長いスカートがいつもにも増してずっしりと重い。


(……ゲームと同じドレスを着れば、きっとリア様は油断する。…と、ロイス様ならおっしゃるでしょうか)


 今日の私にはアルディス様のパートナーとしての役目があるから、護衛は王家付きの人が勤める手筈となっている。


 ―― パートナーとしての役目がまだ私にあれば、だけど。


 パーティーまでの時間は刻々と近づくけれど、王家からの迎えの馬車は一向に現れる気配が無い。


 コンコンッ。


「エリシア、入るわよ?」


「ええ。どうぞお母様」


 静かにドアが開き、お母様が困ったような笑顔をのぞかせた。お父様と一緒に今日のパーティーに出席する予定のお母様も、すっかり準備を終えている。


「アルディス殿下との間にすれ違いがあると…噂では聞いたけれど……。もし殿下がお見えにならないなら、無理にパーティーに出席する必要は無いのよ?」


「ご心配なさらないで、お母様。エリシアはそんな弱い女ではありません」


 精一杯の虚勢。


 たとえそれが嘘でも、どんなに心細くても…。断罪の場である卒業記念パーティーを欠席するという選択肢は、私には無い。


(本当にアルディス様が私を断罪するとしても、たとえロイス様の加勢が無くても……大丈夫。私は無実だと、ちゃんと弁明できる)


 ――『階段落ちが無効になったんだから、殿下はエリシアの断罪には踏み出せない』


 淡い期待もあった。でも……。


 時計の針が進むと、その期待も次第に溶かされて、手のひらが冷たくなっていく。


「エリシアお嬢様!王家の馬車が…」


 侍女の声に、心臓の奥が凍り付いて、喜びと戸惑いで胸がぐちゃぐちゃになる。


 形だけの深呼吸。


 階段を降り玄関ホールに向かうと、扉の向こうには確かに王家の馬車が止まっているようだった。

 微かに従者の方と話す、お父様の声が聞こえる。


「あぁ、来たなエリシア」


 お父様が振り返り、静かにそう言った。

 そこにアルディス様の姿は無く ――。


「アルディス殿下の名代としてお迎えに上がりました。ご令嬢は私が責任を持って会場までお連れいたします」


 情けない。あんなに頑張って虚勢を張ったのに。

 涙が溢れないようにするのに必死で、それ以上を取り繕うことはできなかった。


 お父様は、私の顔を見て少し呆れたように笑っていた。


「……よろしくお願いいたします、ロイス様」



 ◇



「『おっきくなったなぁ』って、侯爵に頭をぐしゃぐしゃに撫でられるんじゃないかと思いました」


「ふふ。確かに父は子供好きですが…騎士様相手にそんなことしませんよ?」


 馬車の中での他愛もない会話。

 エリシアはくすくすと笑い、少し落ち着いてきたように見える。


「……ひとりでも大丈夫って、思っていたんです。でも駄目ですね……ロイス様が迎えに来てくださって、こんなに安心するなんて」


 窓の外を見つめながら、エリシアがぽつりぽつりと話す。


 アルディスは彼女と直接話をするのを避けているようだったし、エリシアは今日までさぞ不安だっただろう。

 僕だって人のことを言えた立場ではないが。


「貴女を迎えに行くように言ったのは、アルディス殿下です。……まだお気持ちの整理がついていないんでしょう」


 馬車の外には御者も王家付きの従者もいる。

 直接的なことは言えないが、今さら何か取り繕ったところで、この後の結果が変わるとは思えない。


「できる準備はしてきました。エリシア嬢は、ただ侯爵令嬢然としていてください」


「"侯爵令嬢然"ですか…?」


「『世界一美しい私が悪い訳がない』『そんな残念な勘違いをなさるなんて頭が悪くて可哀そう』って感じです」


「それはもう悪役令嬢ですよ」


 エリシアが笑う。

 今はくだらない話で彼女の気を紛らわすくらいしか、できることもない。


 断罪の時は、もう間もなくだ。


「……前世の記憶が戻ったとき、もうお仕舞いなんだと思いました。

 でも今は、たとえ全然上手く行かなくても……私は大丈夫って、思えるんです」

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