第6話② 救出
その日は何故か、急にエリシアが中庭に行きたいと言い出し、二人で散歩することになった。
"護衛"という大義名分を得てから彼女と行動する時間は増えたが、基本的に、意図して二人きりになるようなことは無い。また変な噂が流れても困るので、必要な作戦会議はちょっとした移動時間や講義の後に挟むようにしている。
春を迎え、中庭では、あたたかな日差しの下で様々な花がにぎわっていた。
しばらく歩き、人けのない所まで来るとエリシアが立ち止まる。改まって僕の方に向き直り、口を開いた。
「ロイス様……次のイベントのことで、ご相談があるのですが」
「次、ですか?」
少し言いにくそうな素振りはあるが、エリシアの表情は落ち着いている。
「ロイス様は、リア様の行動にはあまり干渉されない方針ですよね?イベント自体を差し止めるのではなくて、影響を抑えてくださる形というか…。
でも次のイベントは……出来ればそれ自体を起こさないようにしたいのです」
そういえばエリシアは、リアのドレスが切り刻まれること自体を嫌がっていたし、噴水落ちの時も彼女の体調を本気で気遣っていた。
僕の提案を飲んでくれてはいたけれど、エリシアとしてはリアにそういった悲劇が起きない状態こそが理想ということだろう。
風で顔に張り付いた前髪を払いのけ、呼吸を一つ挟む。
「リア嬢は、貴女と同じようにゲームのストーリーを知っていると思いますよ?」
エリシアが困ったように笑う。
リアは、自分の誹謗中傷をばら撒くよう友人に頼み、舞踏会ではアルディスと踊る前提で動いていた。
いくつかの事件が彼女の自作自演でなかったとしても、リアがゲームのストーリーを知っていることは明らかだ。
「イベントを止めれば、その分リア嬢の行動が読めなくなります」
剣技大会にしても舞踏会にしても、これでもかなりイベントを改変している。
今はリアがゲームの再現に懸命なので問題は出ていないが、独自の展開を作り出そうとするなら対処はかなり難しくなるはずだ。
「……次のエピソードは、悪役令嬢が手配した悪漢にリア様が攫われるものです」
そのイベントは、悪漢に攫われたリアをアルディスが救出するという、割とシリアスなストーリーだ。
悪役令嬢がリアを害すよう手引したとなれば、彼女がゲーム中で犯す罪の中でもかなり重い方だろう。アルディスの性格からしても、とても許せるようなものではない。
「私が何もしなくても、リア様のドレスは切り裂かれてしまいました。もし次も同じようになるなら……リア様が危険な目に遭うと分かっていて目をつぶることはできません」
エリシアはリアの身を案じているのだ。
この先、リアのせいでエリシア自身が破滅の道を歩むというのに。
それでも彼女は、他人の安全を優先する。
「もしそのイベントを実行するなら、準備するのは彼女自身です。自分から悪事の証拠を残してくれるなんて、こちらとしては都合の良いイベントだと思いますが?」
「犯人はエリシアの名を語った第三者の可能性もあると、ロイス様もおっしゃっていたじゃないですか…!」
―― 一曲だけご辛抱ください、アルディス様。
舞踏会でのエリシアの一言が、未だに引っかかっている。
アルディスの考えなしの言動に、彼女はこれまで何度も傷付いてきただろう。エリシアの性格からして、彼に強く言えないのも理解できる。
だからといって……
「次のイベントは危険だから止めろと、リア嬢に忠告でもするんですか?それとも僕につきっきりで彼女の護衛をしろと?」
「それは…」
もとからエリシアには、リアを退けようという考えは希薄だ。この共闘関係だって、僕が勝手に焚き付けただけに過ぎない。
足元に花びらが落ちていることに気付く。
風で靴の下に滑り込んだが、あえて避けようという気持ちにはならない。
「……エリシア嬢。彼女に対して少し同情的すぎるのでは?」
一瞬の沈黙。
顔を上げると、エリシアが冷ややかな目でこちらを見ていた。
「そういう問題ではありません」
静かで、淡々とした声だ。
「人命を…女性の尊厳を……一体何だと思っているのですか?
失望しました、ロイス・エッケンベルク」
そう言い切ると、エリシアは踵を返しそのまま歩いて行ってしまった。
まだ話は終わっていないし、このイベントをどう処理するのかの方針も決まっていない。
まさか単身敵地に乗り込んだりはしないと思うが…。
「……いったい僕にどうしろっていうんだ…」
誰に聞こえるでも無い独り言が、小さく溢れた。
◇
それから数日が過ぎたが、この話題について彼女と再度話すことは叶わなかった。
エリシアはいつもより積極的にシェーンを連れ立っていたし、何ならリアを監視するように行動範囲を合わせていた。
傍からはエリシアが嫌がらせをするチャンスを伺っているようにしか見えず、また根も葉もない噂が盛り上がるばかりだ。
「ロイス、リアを見ませんでしたか?」
授業終わり、ひょこりと顔を出したウィルソンに話しかけられる。
「リア嬢ですか?今日はまだ見ていませんね」
「そうですか……レオンハイトもノアも、今日は会っていないと。授業にも出ていないようですし」
正直今はリアのことなんてどうでも良いが。
いや、今から僕自身がエリシアの元に向かうのだから、彼女が追いかけまわしているリアもそこにいる可能性は十分にあるだろう。
「もし見かけたら、生徒会室に顔を出すように言っておきます」
「お願いします。体調不良などではないと良いのですが…」
ウィルソンと別れて、エリシアとの待ち合わせの場所に向かう。この時間まではシェーンと授業を受けているはずだ。
いつものように、カフェテラス近くの渡り廊下で待機しているシェーンの姿を見つけた。彼女の方も僕に気付いたようで、軽く会釈を寄越す。
「こんにちは、シェーン嬢」
「ロイス様……今少し良いですか?」
シェーンにしては珍しく、辺りの様子を気にするように周囲を見まわし、声を抑えて続ける。
「ここ数日のエリシア様について、何かご存知ですか?
なんだか必要以上にリア様を気にしてらっしゃるというか……できれば彼女には近づいて頂きたくないのですが」
そりゃ、シェーンにとってもエリシアがリアのことを気にかけているのは、気分が良くはないだろう。
リアの登場以降、穏やかだったエリシアの学生生活が崩れていったのを、一番間近で見ていたのは彼女だ。
「……それについては僕の落ち度です。上手く説明ができないのですが」
まさか彼女に「エリシアは未来を知っていて、リアを危険から守ろうとしている」なんて言うわけにもいかない。
「それで……エリシア嬢は今どちらに?」
近くを見回しても、エリシアの姿が無い。
アルディスから護衛を認められて以降、僕とシェーンは出来るだけ彼女が1人にならないよう動いている。
手荒な人間がいても対処できるよう僕が常に付き添えれば良いが、出席する授業や生徒会の仕事、そもそも男子禁制の場所など、難しい場合はシェーンだけがエリシアに付き添うことも多い。
「今日は体調が優れないから、自室でお一人で過ごされたいと。
今朝お迎えにあがりましたら、ご準備はされていたのですが、何か思い悩んだご様子で…」
冷水を掛けられたように、さっと血の気が引いた。
全身に虫が這うような悪寒が走る。
考えすぎだ。
「……近くにリア嬢の姿があったりはしませんでしたか?」
「リア様ですか?……そうえばお見掛けしましたね。手紙か何か持って、緊張している感じでしたが」
ウィルソンは、朝からリアの姿が見えないと言っていた。裏工作に忙しい彼女が不在にすること自体は珍しくない。
手紙というのもその一つだろうが、来るイベントに気を張り詰めていたエリシアが、それを見て何を考えたかは想像に難くない。
「シェーン嬢、エリシアの部屋に行ってきて貰えますか?」
「ちょ、貴方いま……」
シェーンが何か言いかけたが、最後まで聞く余裕が無い。
踵を返し人混みを抜ける。
攻略イベントの詳細は、エリシアのゲームの記憶から導きだしたもので、明確な日時が分からないものも多い。
リアが悪漢に攫われる日というのは、明日かも知れないし、一週間後、一月後の可能性もある。
考えすぎだ。
リアが授業を受けているはずの講義室。
ノエルがいるカフェテラス。
ウィルソン御用達の図書館。
レオンハイトが修練に勤しむ剣技場。
近い場所から順に回ったが、どこにもリアの姿は無い。
それは別に良い。
リアの所在なんて、本来なら僕が気にするようなことじゃない。
「校内で走るな…!!下品なヤツだな」
移動中、何度か咎める声が耳を掠めるが無視する。自分の意志とは関係なく、足が急かされる。
考えすぎだ。
バタンッ。
ノックもせず入った生徒会室に、一通の手紙を持ち、立ち尽くすアルディスの姿があった。
「……ロイス……リアが」
明らかに顔色が悪い。便箋にはシワがより、それを持つ手は汗ばんでいる。
「失礼します、殿下」
返事を待たずにアルディスから手紙を奪い取った。
――リア・オルタシアは我々の手にある。恥知らずは報いを受けるべきだ
「……どうしようロイス…なんでこんなことに…」
アルディスは青い顔をして、混乱を隠せていない。
このまま置いていっても良い。
いや、彼に状況を説明してからリアの救出に向かっても、問題なく間に合うはずだ。
だってこれはゲームのイベントなんだから。
「アルディス殿下」
両肩を掴んで名前を呼ぶと、やっとアルディスの視線が定まった。
「……リア嬢の居場所に心当たりがあります。恐らく街外れの波止場です」
アルディスの表情が険しく歪む。
リアの身に何が起きているのか、嫌な想像をしたんだろう。
「それから……エリシア嬢も巻き込まれている可能性があります。ここ最近、ずっとリア嬢を気にかけていましたから」
アルディスは何も言わず、すぐに生徒会室の扉へ向かう。僕もすかさず後を追った。
廊下に出たところで、ウィルソンと鉢合わせた。
「殿下?どちらに…?」
「ウィルソン!!!」
アルディスの返事を待たず、僕が先に口を開く。
「波止場に兵を」
ウィルソンは、ハッとした顔で頷いた。
詳しい説明がなくとも、アルディスの険しい顔ですべて察してくれる。
「分かりました。ロイス、殿下を頼みますよ」
踵を返し、廊下を走り去っていく。
その背中を一瞬だけ見送る。アルディスの歩幅はいつの間にか速くなっていた。
危険がある以上、本来はここで待たせるべきだ。
でも ――
「ロイス」
アルディスが一度だけ僕の方を振り返る。
「行こう」
◇
波止場の奥、使われなくなった空き家たち。
潮の匂いと湿った木材の軋む音。
――彼女から離れなさい!!
甲高い叫び声が板壁を震わせる。
エリシアの声だ。
裏口の戸を蹴破ると、腐った蝶番が砕け床に転がった。
薄暗い室内。
椅子に縛られたリア。
その背後で後ろ手を押さえ込まれているエリシア。
男が五人。
急な外光に相手の目が慣れるまで待つつもりは無い。
目の端に写った木の棒を拾う。
「なんだてめ――」
言い終わる前に、一番近くにいた男のこめかみを横殴りにした。
鈍い音がして、男が崩れていく。
振り抜きざま、隣の大柄な男の足を払う。バランスを崩し呻いたところへ後頭部に一撃。
これで二人が沈黙した。
「……随分と品のない王子様だなぁ、おい」
髭面の男が短刀を抜き、距離を詰めてくる。
刀身は鈍く光り、振り下ろされたものを棒で受けた。木片が散る。
「人違いですよ」
「だったらお呼びじゃねよ…!」
男の短刀に抑えつけられ、粗雑な棒が軋んだ。動きに洗練さは無いが、単純に腕力で負けている。
床板がギッと悲鳴を上げる。
その瞬間、背後から影が飛び込んだ。
「退け!!」
髭面の横腹に蹴りが入る。
「――殿下?!」
僅かな明かりの中でもはっきりと分かる金の髪。アルディスだ。
腹部の痛みに男がよろめく。
僕は迷わず鳩尾へ蹴り込んだ。空気の抜ける音。短刀が床に落ちる。
「帯刀もしていないのに…!入って来ないで下さい!!」
「待てるか!!!」
アルディスが声を荒げる。
やっぱり連れてくるべきじゃなかった。いや、今更言っても仕方がない。
床に転がった短刀を拾い、柄を彼へ投げてよこした。
「せめて丸腰はやめて下さい」
「助かるよ」
「おいおい……お前ら、お姫様は無視かよ?」
エリシアを抑えていた細身の男が、彼女の首元にナイフをあてがう。
リアの悲劇的な声が小屋の中に響いた。
「アルディスさま!!助けて…!」
瞬間、エリシアと目が合った。
「……良い加減に、放しなさい!!」
「動くな!!大人しく ――」
向けられたナイフに怯むことなく、エリシアが男の手から逃れようと身をよじり、叫ぶ。
刃が彼女の肌を掠め、男が動揺した隙に、踏み込み、手首を打つ。
刃が落ちる音。腹に一撃、顎に二撃。
男は力なく沈んだ。
残る一人――リアの側にいた若い男が、青ざめて後退る。
「割に合わねぇよ……!」
踵を返した瞬間、アルディスが間合いを詰め、首筋へ短刀を打ち付けた。
最後の一人が倒れ、一瞬の静寂。
「リア…!!怪我はない?もう大丈夫だから……」
「アルディスさま……こわかったです…わたし…わたし…」
ボロボロと涙を流すリアの元にアルディスが駆け寄り、彼女の拘束を解く。
そんな二人を見て緊張の解けたエリシアは、その場でへたりと座り込んだ。白い手は微かに震えていて、泣き出しそうな顔を両の手に隠してしまった。
「リア様……無事で良かった……」
エリシアの口から、安堵の声が溢れる。
この状況でまだ、リアの事を気にかけているなんて。
何をやっているんだと叱咤したい感情と、ただ抱き寄せて安否を確認したい衝動が、ごちゃまぜになって襲ってくる。
どちらもすべきではない。
どちらも許されない。
手を差し伸べるべきなのかも知れないが、その意味を自問してしまい、ただ、膝をついたまま身動きが取れない。
「心配しました…」
我ながら、なんとも情けないセリフしか出てこなかった。
「ごめんなさい」
リアが泣き止むころ、ウィルソンが手配した衛兵が到着し、男たちを連行した。
中の状況を見て、アルディスが参戦したことを察したウィルソンに平手打ちを一発もらったが、僕にそれ以上のお咎めは無かった。
夕刻、女子寮までエリシアを送る。
今日中には侯爵家にも連絡が行き、明日はまたバタバタするだろうが、今は考えたくない。
「……ロイス様、怒っていますか…?」
中庭で口論したときとは違い、エリシアの表情は弱々しく、後悔が顔に滲んでいた。
彼女自身はイベントを起こそうとするリアを引き留めるつもりで動いたのだろうが、結果的に自分も救出対象となってしまったことを悔やんでいるのだろう。
「怒ってます」
エリシアが足を止めて、こちらに向き直る。
弁明するつもりは無いようで、口をつぐんだまま言葉の続きを待っている。
「…何に怒っていると思いますか?」
「へ…?」
エリシアは虚を突かれて、ポカンとした顔をした。
「それは……私がロイス様の計画を壊すような、勝手な行動を取ったから…」
「違いますね」
「えっと……なら、ロイス様のお手を煩わせてしまったからでしょうか」
「違います」
朱色の日差しは薄れていき、次第に空が暗くなっていく。
彼女からこちらの表情が見えづらいのは有難い。
「貴女が自分を蔑ろにするからです」
「…意味がよく……」
まぁ、解らないだろう。
「損得に関係なく他者を思いやれるのはエリシア嬢の美点です。それは別に構いません、お好きにどうぞ。
……ただそういうのは、あくまでも”自分の安全”を確保した上でお願いします」
エリシアから明確な返事はない。
この説明では、事件に巻き込まれたことを責めていると解釈されてしまうだろう。これでは彼女に響かない。
こういうのは得意ではないし、できれば言いたくはないが。
「貴女が自ら危険や破滅を選ぶなら、僕のすることも、意味が無くなってしまいます」
僕らの共闘の目的は、未来を知り人命救助に努めることでも、ましてリアを故意に破滅に落とすことでもない。
「……守らせてください」
エリシアが僕のことを見ていた。
彼女は相手の目を見て話をするタイプだから、別に特別なことはないけれど。
「分かりました」
エリシアは少し気の抜けたような顔で、静かに笑った。
「あの日……ロイス様が私を選んでくださったときのこと、ちゃんと覚えておきます」




