第15話「無価値にする一手」
メルセデスは、血に濡れた床に伏せる兵士たちと、その中でただ一人立っている俺を見渡すと、腹の底から込み上げるような高笑いを響かせた。
「ははっ……なるほどなぁ」
ゆっくりと歩きながら近づいてくる。
その目は、明らかに先程までとは違っていた。
「全員殺さずに落としたか」
楽しそうに、しかしどこか感心したように言う。
「賢いじゃねぇか」
その言葉の意味は、すぐに理解できた。
こいつは分かっている。
俺が“殺さなかった理由”を。
王都に戻れば、兵士を殺した時点で終わりだ。
どれだけ正当防衛でも、どれだけ理由があっても、王の意向一つで“謀反”にされる可能性がある。
だから俺は、殺さなかった。
殺せなかったんじゃない。
選ばなかった。
その最善策を。
だが。
メルセデスは、その“最善”を踏み潰すように笑う。
「でもよ」
片手を軽く上げる。
その掌の上に、何かが滲むように現れた。
黒い。
歪な形をした、小さな刃。
明らかに普通の武器じゃない。
「残念だな」
次の瞬間、それを地面へと勢いよく突き刺した。
鈍い音。
刃は深く床に食い込む。
位置。
リュナの顔のすぐ横。
目と鼻の先。
あと数センチずれていれば、確実に刺さっていた。
「――ッ」
思わず踏み出しかける。
だが、止まる。
動けば終わる。
そう分かる。
次の瞬間だった。
床に広がっていた血が、変色する。
じわりと。
ゆっくりと。
だが確実に。
赤から黒へ。
「……なに」
思わず声が漏れる。
メルセデスは口角を上げる。
「残念」
軽く肩をすくめる。
「これ毒だから」
その言葉と同時に。
倒れていた兵士の一人が、びくりと身体を跳ねさせた。
次の瞬間。
全員が。
一斉に。
痙攣する。
「――ッ!?」
声にならない。
身体が跳ねる。
跳ねる。
床に打ち付けられる。
口から泡を吹き、目が見開かれ、呼吸が乱れる。
まるで。
水から引き上げられた魚のように。
必死に。
意味もなく。
狂ったように暴れる。
「やめろ……」
思わず言葉が出る。
だが止まらない。
止まるわけがない。
毒だ。
血を媒介に回る。
全身に。
一瞬で。
「生きて帰したりなんかさせねぇよ?」
メルセデスは、楽しそうに笑いながらそう言った。
理解する。
これで終わりだ。
俺の選択は。
意味を失った。
殺さなかった意味も。
守ったつもりの線も。
全部。
踏み潰された。
「……てめぇ」
声が低くなる。
自分でも驚くほどに。
感情が沈む。
怒りとも違う。
もっと冷たい何か。
兵士たちの動きが、徐々に弱くなる。
跳ねる回数が減る。
呼吸が途切れる。
そして。
一人。
また一人と。
動かなくなる。
静かになる。
さっきまでの喧騒が嘘のように。
ただ、血の匂いだけが残る。
「これで」
メルセデスが軽く手を叩く。
「お前は終わりだ」
にやりと笑う。
「殺してもアウト、殺さなくてもアウト」
逃げ場はない。
最初から。
「いいねぇ」
一歩、近づく。
「そういう顔」
俺を見て言う。
「やっと“分かった”って顔だ」
俺は、何も言わない。
ただ。
リュナを見る。
動かない。
無事かどうかも分からない。
だが。
まだ。
生きている。
なら。
やることは一つしかない。
俺はゆっくりと顔を上げる。
メルセデスを見る。
視線を外さない。
「……殺します」
短く。
はっきりと言った。




