第7話「桁違い」
書庫の扉を押し開けた瞬間、外の廊下に出た俺たちは、目の前の光景に思わず足を止めた。
そこには、腕を組んだまま微動だにせず立っているエリシア王女の姿があり、その表情は明らかに“待ち構えていた側”のそれで、静かな怒気が漂っていた。
「……どこに行っていたのですか」
低い声だった。
逃げ場はない。
俺は正直に答える。
「書庫の奥です」
その瞬間、王女のこめかみに軽く青筋が浮かぶ。
「やはり……!」
一歩前に出る。
「レオン」
「王宮の書庫の奥は立ち入り制限区域です」
「勝手に入ると警備室にアラームが届くようになっているんですよ!」
俺は少しだけ視線を逸らす。
「……知りませんでした」
王女は即答する。
「知っていてやった方が問題です!」
正論だった。
リュナは横で何も言わない。
王女は深く息を吸う。
そして宣言する。
「今日は」
一拍置く。
「私の部屋でお説教です!」
断定だった。
逃げ道はない。
……普通なら。
俺はリュナを見る。
リュナもこちらを見る。
一瞬の沈黙。
そして。
次の瞬間。
俺たちは同時に動いた。
王女の横をすり抜ける。
「――っ、ちょっと!?」
背後で声が上がるが止まらない。
そのまま廊下へ飛び出す。
走る。
石の床を踏み鳴らしながら、曲がり角を曲がる。
後ろから大きな声が響く。
「待ちなさーーーい!!」
王宮とは思えない声量だった。
だが止まらない。
リュナは軽い足取りで並走している。
無駄がない。
速い。
俺もついていく。
兵士が驚いて振り返るが構わず通り過ぎる。
「……怒ってますね」
走りながら言う。
リュナは短く答える。
「当然」
それはそうだ。
だが今は止まる気はない。
しばらく走り続け、ようやく人の少ない廊下に出たところで速度を落とすと、背後からの気配も遠ざかり、どうやら追跡は振り切れたらしいと判断して一息ついた。
「……はぁ」
軽く息を整える。
横を見ると、リュナはほとんど息も乱れていなかった。
「体力ありますね」
リュナは短く言う。
「普通」
基準がおかしい気がした。
⸻
そのまま歩きながら、自室へ向かう。
静かな廊下。
さっきまでの騒ぎが嘘のようだ。
ふと思い出す。
書庫での会話。
魔力。
神羅。
そして。
目の前にいるリュナ。
俺は何気なく聞いた。
「そういえば」
リュナがこちらを見る。
「何」
俺は続ける。
「リュナの魔力ってどのくらいなんですか」
単純な疑問だった。
比較対象として知りたかっただけだ。
リュナは少しも迷わず答える。
「10000」
足が止まった。
「……は?」
聞き間違いかと思った。
リュナはもう一度言う。
「10000」
同じだった。
俺は数秒、何も言えなかった。
頭の中で、自分の数値と並べる。
15。
10000。
差が分からない。
いや分かるが、理解が追いつかない。
「……桁が」
思わず呟く。
リュナは特に気にした様子もなく歩き続ける。
「普通じゃないですか、それ」
リュナは首を振る。
「普通じゃない」
少しだけ間を置く。
「でも」
「珍しくもない」
さらに混乱した。
この世界の基準が分からない。
俺は苦笑する。
「……なるほど」
全然なるほどじゃない。
だが。
一つだけはっきりした。
今のままじゃ、話にならない。
⸻
自室の前に着く。
扉を開ける。
中に入る。
静かな部屋。
俺はそのままベッドに腰を下ろす。
手を見る。
魔力。
15。
リュナ。
10000。
差がありすぎる。
だが。
逆に考える。
そこまで上げれば。
俺は小さく呟く。
「……届くな」
どんな相手にも。
どんな魔族にも。
そのために必要なのは。
ただ一つ。
もっと上へ。
俺はベッドに倒れ込む。
天井を見上げながら、現実離れした数値を思い浮かべ、それでもそこに辿り着く道を探そうとする思考は止まらなかった。
⸻
その夜、現実との桁違いの差を突きつけられながらも、それでもなお諦めるという選択肢だけは最初から存在していなかった。




