鉄血女帝アナスタシア 第七十六話
ロシア軍がセダンの町に現れたと同時に、ロシア軍キュウナナシキによるフランス鉄道網への爆撃が開始された。ドイツ国内に整備された滑走路から飛び立ち何往復も爆撃を行ったのだ。この攻撃によって、数時間の内にフランス国内の鉄道網は完全に麻痺してしまう。
また電信線も爆破され、長距離無線機の設置してある施設以外との連絡が完全に遮断されてしまった。
『パリ市民のみなさん。我々ロシア軍はあと24時間でパリを占領します。抵抗しなければ市民のみなさんを攻撃することはありません。ロシア軍および占領下に置かれたフランス当局の指示に従って整然とした行動を取って下さい』
パリ市民の得ることの出来る情報が限定される中、国中のラジオからロシア軍のプロパガンダ放送が流れてきた。一年ほど前から安価なロシア製ラジオが普及し始めていたのだ。そしてJGE(ヤンコフスキー・グローバル・エレクトリック)のロゴマークの付いたそのラジオから鈴を転がすような美しい女性の声で、フランス人を恐怖のどん底へたたき落とす言葉が投げかけられていた。さらにパリ上空には数十機のロシア軍イチシキが飛び回り、抵抗を止めるように促すビラをばらまいていた。パリ市民は理解したのだ。フランスが降伏しなければ、落ちてくるのがビラから爆弾に変わるということを。そして不安に駆られた一部のパリ市民が南部地方への疎開を開始した。しかし鉄道網は破壊されていて、ほとんどの避難民は徒歩での過酷な移動となってしまった。
ロシア軍が数日でドイツを降伏に追いやったことを全てのフランス人は知っている。ドイツが降伏したというニュースを聞いてフランス国民が喜びに沸き立ったのがつい一ヶ月前だ。その時はフランス人の誰もがロシア軍に感謝の声を送ったものだった。しかし、その救世軍にも思えたロシア軍が今はフランスに対して牙を剥いているのだ。この現実を、フランス国民の誰もが理解しがたい思いで受け入れるしか無かった。
「ロシア軍がモー村の北側に現れました!直線距離にしてパリから30キロ付近を侵攻中です!防衛に向かった第24師団はロシア軍機の猛爆撃を受けて足止めされています。無理です!ロシア軍のパリ侵入を防ぐことは出来ません!」
フランス軍司令部にはロシア軍の侵攻を告げる電信がひっきりなしに入ってきていた。ロシア軍がドイツに侵攻した際、ドイツ軍はロシア軍の居所すら掴むことが出来なかった教訓から、ロシア軍の侵攻が予想されるルート上に無線機を持った部隊を急遽配置したのだ。そして的確にロシア軍の情報を送ってきてはいるのだが、それに対してフランス軍は有効な手段を全く持っていなかった。
「ジョフル司令、もはや万策尽きました。しかし、パリを戦火で燃やすわけにはいきません。ここはハーグ陸戦条約に則って無防備都市宣言を発出するよう首相に働きかける以外に方法がないかと・・・・」
司令部に居る参謀や高級将校達は拳をきつく握りしめて俯いている。パリに無防備都市宣言を出せばロシア軍も攻撃をしてくるようなことは無いだろう。しかし、首都に無防備都市宣言を出すと言うことはつまり降伏である。40年前の普仏戦争の屈辱を再度招来させてしまうのだ。
「くっ、敗軍の将とは惨めなものだな・・・・。わかった、首相には正確に今の状況を報告しよう」
そして1915年3月15日、フランスはロシアに対して停戦を申し入れた。ロシア軍のフランス侵攻開始から一週間後のことだった。
◇
「くそっ!フランスの腰抜けめ!たった一週間で降伏だと?」
ロンドンのダウニング街十番地ではアスキス首相がグレイ外務大臣からの報告に憤怒を露わにしていた。
「はい、まさにベルリンを占領した電撃戦の再現です。敵ながら見事と言うほか無く・・」
「ふざけるな!グレイ!仏独戦に参戦するよう強硬に主張したのはお前だろう!大陸のことは大陸に任せておけばこんな事にはならなかったのだ!どう決着を付けるつもりだ!」
グレイは確かにドイツの侵略を防ぐために参戦するべきだと主張した。国内は参戦派と不介入派に別れていたのだが、このグレイの活動によってアスキス首相も参戦へ傾いたのだ。
「チャーチル海軍大臣が動ける全艦艇を持ってダンケルクに橋頭堡を確保するので、ここで海外派遣軍を救出します。それと日本にも参戦を再度要請します。日本の海軍力はロシア極東海軍を圧倒しています。日本が参戦してくれれば、ロシア軍はブリテン島侵攻を思い留めるでしょう」
イギリス軍はフランスに展開している海外派遣軍に対してダンケルクに集結するよう命令を出した。しかし、鉄道網を破壊され主要拠点をロシア軍に押さえられている状況では移動もままならず、多くの兵がそのまま捕虜となってしまったのだ。
◇
1915年3月21日
フランス パリ エリゼ宮
「三週間ぶりですわね、ヴィヴィアーニ首相。お元気でしたかしら?」
今日は降伏調印の為にエリゼ宮に来ている。豪華な調度品の揃えられた貴賓室には、ポアンカレ大統領とヴィヴィアーニ首相が渋い顔をして座ってるわ。まあ私の顔なんて見たくも無いのでしょうね。
「アナスタシア皇帝、あなたには常識とか良識というものは無いのか?同盟国としてドイツと戦った仲なのに何を考えているのだ?」
あー、まだそんな事を言ってるのね。確かにドイツの侵略を防ぐために戦ったけど、それは目の前の危機に対処しただけよ。
「ヴィヴィアーニ首相、ドイツの侵略に対しては降りかかる火の粉を払っただけですのよ。私にとってはドイツの侵略もフランスによる植民地支配も同じく恥ずべきことなのです。露仏戦争はインドシナやアフリカの人々を解放するためのいわば聖戦ですわ。それにあなたには植民地から徴兵した兵士をあえてフランス兵の前に立たせて突撃をさせた疑いがかかってます。容疑が固まったら逮捕してロシアに移送しますわ。司法が判断することなのであまり詳しく言えないのですが、有罪になれば死刑ですよ。ヴィヴィアーニ首相」
「なっ!バカな!何を根拠に!それにフランス人の私をロシアの法律で裁くなどありえん!」
「あら?戦争に勝った方の言うことを聞くのがあなた方の流儀では無くて?私はそれに従ったまでですわ。まあでも、これからのあなたの言動によっては恩赦を出すことも考えてよくってよ」
降伏文書には植民地の解放とエルザス=ロートリンゲンの放棄を入れたわ。そして国家予算の内、毎年国防費の50%相当をこれから設立する世界銀行へ出資することも確約させた。世界銀行はアジアやアフリカの国々の発展のための資金を提供するの。もちろん資金だけ提供するんじゃ無くて、顧問団を送ってちゃんと国民の発展に使われるようにチェックするわ。この降伏文書に首相と大統領は署名をしたんだけど、それをフランス議会に諮ったところなんとまあ否決されちゃったのよね。ほんとムカつくわ。強制的に国家を解体しても良かったんだけど、でもそれをしちゃうと後々禍根を残しそうだったからフランスが自主的に植民地を解放する誇り高き決断をしたって事にしてあげようと思ったんだけどね。と言うことで反対票を投じた議員に“植民地人の人権を不当に抑圧した容疑”をかけて逮捕してあげたの。300人以上にもなったわ。しばらくシベリアで休暇を楽しんでもらう事にしよう。でっぷりとお腹が出てるおっさんが多かったから、数年後帰ってきたらきっと見違えるくらいダイエットできてるはずよね。ちょっと良いことをした気分だわ。
◇
「ふう、二ヶ月の間にドイツとフランスの戦後処理をするなんて想像してなかったわ。さすがに頭がパンクしちゃいそう」
私たちは接収したベルサイユ宮殿に戻ってやっと一息ついた。そして蒼龍が入れてくれた紅茶に口を付ける。
「蒼龍、本当に紅茶を入れるのが上手いわよね。私が入れるのと何が違うのかしら?」
同じ茶葉を使ってるはずなのに味や香りが違うのって納得いかないわ。私に秘密にしてるチート能力とかあるんじゃないかしら。
「温度と蒸らす時間ですね。あとはカップに注ぐ高さと量です。言葉にするのは難しいんですが、まあ俺の腕が覚えてるんですよ」
紅茶を上手く入れる事の出来る男の人ってちょっとかっこよく思えちゃうのよね。前世ではそうやって女を口説いてたのね。傍らに居るルスランが尊敬の眼差しで蒼龍を見ているわ。目がキラキラ光ってるような気がする。そういえば昨夜もルスランは蒼龍の部屋に行ってたのよね。ルスランにあんなプレイやこんなプレイを強要した後に平気な顔をして私の前に来るなんてちょっと腹立たしいわ。今度盗聴器とか仕掛けておこうかしら。でも蒼龍に「盗聴器なんて何に使うんですか?」って聞かれたら顔に出てしまう自信があるわね。私って嘘をつくのが下手なのよ。
「そういえばイギリス人捕虜は教育してから本国に帰還させるのよね。準備はどう?」
「順調ですよ。イギリスの歴史をみっちり教え込みます。この数百年何をしてきたか知ったらかなり驚くんじゃないですか?特に去年から撮影しているインドの惨状を見せて自分たちの国が何をしてきたか知ってもらいましょう」
去年からインドやアフリカに撮影班を多数派遣して大量の動画フィルムが届けられている。私も一部を見たんだけど、信じられないくらいひどい惨状だわ。不衛生な環境でやせ細って死んでいく子供達。路上に放置されてハエのたかっている死体。こういうことが行われてるって事を普通のイギリス人は知らないのよね。
「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)って言うの?これって蒼龍の前世でアメリカが日本に対してしたことだっけ?」
私の前世でもナチスとアメリカが敗北した後、それぞれの国民にこのプログラムを実施したのよね。ユダヤ人虐殺やインディアン虐殺の事を学校や企業で教育することを義務づけたの。蒼龍はイギリスやフランスに対しても同じような教育をしたかったって言ってたのを思い出したわ。
「自分たちが選んだ為政者がどんなことをしているか知ってもらうんですよ。普通の国民は植民地に対して善意の第三者のつもりなんでしょうけど、実は当事者であって責任がある事を自覚してもらいます」
こういう教育は重要よね。ロシアでも国内の少数民族に対して過去に行っていた差別的な政策を学校で教育しているわ。民族や人種によって差別するのは恥ずべき行為だって教えてるの。
「あとはイギリスね。戦いが長期化したら日本が参戦する可能性もあるけど、そっちはどう?」
日英同盟は今でも健在で、日本は対ロシア戦の準備を始めたって言う情報もあるのよね。やっぱり勝巳やミッチーのいる日本とは戦争なんてしたくないわ。
「大陸からイギリスを追い出せましたからね。今まではロシア・ドイツ同盟軍の二カ国と戦争してましたけど、ドイツは単独でイギリスに対して停戦を申し出ましたからね。今はロシアが単独で相手をしているだけです。これで日英同盟の“二カ国以上と戦争”の要件は満たさなくなりますよ。まあ、最終的に日本がどう判断するかは予断を許しませんが。それに、俺は日本と戦争してもいいんじゃないかって思ってますよ」
「んー過激な発言ね。私のお株を奪わないで欲しいわ。“対華21カ条要求”の件ね。たしかにあれは私たちの価値観からは認められないわね」
日本は中国に対して日本の権益拡大を認めるように要求を出してるのよね。しかもその内容は中国を保護国化するような内容なのよ。ロシアだけで無くイギリスやフランスも外交ルートを通じて取り下げるように圧力をかけてるんだけど、頑なに拒否してるのよね。
「自分の祖国が他民族を軽視して踏みにじろうとしているところを見るのは苦痛なんですよ。まあ今は“帝国主義”という熱病に全世界が患ってるので仕方ない面もあるんですけどね」
「熱病ねぇ。でもその熱病のせいで世界中の植民地の人たちが何千万人も餓死するのを見過ごすことは出来ないわ」
「その通りですよ。だから俺たちが治療するんです。ちょっとばかり荒治療ですけどね」




