鉄血女帝アナスタシア 第七十七話
1915年4月4日
東京 九段
パン! パン!
靖国神社の正殿前でブロンドの長い髪の少女は大きく柏手を打ち、腰を45度の角度に曲げて英霊の魂に尊崇の念を捧げた。ロシア軍の元帥服を身に纏い、目を閉じて微動だにしないその凜とした姿に、それを見守る全ての人間は心を奪われていた。
「ロシア皇帝のアナスタシア様に慰霊してもらえるとは、ここに眠る英霊達もさぞ誇らしく思っていることでしょう」
少女の隣では、大日本帝国元帥服姿の紳士が優しい微笑みを向けている。満開になった桜はその花びらを散らせ始めていて、靖国神社の参道は薄ピンクの雪が舞う幻想的な異世界へのトンネルのようでもあった。
「国のために自らの命を捧げた勇士は、例え戦った相手であっても気高く尊いものですわ。その尊き方達へこうして語りかけることを許して頂いたことを、私の方こそ光栄に思っております」
「語りかけた・・・ですか。皇帝陛下はとても詩的な表現をされるのですな」
私は天皇と一緒に馬車に乗って宮城に向かう。今日は私の歓迎晩餐会が開かれる予定だ。そして本番は明日。大隈首相と加藤外務大臣を交えてトップ会談を行う。この会談は休憩日を入れて5日間が予定されている。この5日間が勝負よ。蒼龍のヤツはあんな事言ってたけど、出来れば日本との開戦を阻止したいわ。
4月5日
「日本はドイツが持っていた租借地を中国に返還するように最後通牒を出したわよね。それなのにその租借地をそのまま日本に譲れってどういうことかしら?この件についてロシアは断固反対します。認めることは出来ませんわ」
日本って礼節と約束を守るってイメージがあるんだけど、それは蒼龍の宇宙軍があったからなのよね。蒼龍が台頭する前の、特にこの時期からの日本はヨーロッパの帝国主義に毒されつつあるの。
私の追求に大隈首相と加藤外相は顔を見合わせて少し苦笑いを浮かべてるわね。ロマノフ朝時代のロシアは帝国主義で出来上がったような国だったからね。そのロシアが何かきれい事を言ってるって感じかしら?
「皇帝陛下。確かに中国に返還するようドイツに最後通牒を突きつけました。しかし通牒には“無償無条件に”という文言があります。ドイツはその要求を飲まずに開戦となったのですよ。我が軍も500人以上の死者を出してドイツ軍から山東半島を開放したのです。前提条件が変わったからにはその後も変わってくるのはおかしな事ではないでしょう。それに、世界に平和をとおっしゃるのでしたら英仏に宣戦布告したことの方がおかしいのでは無いのでしょうか?貴国が英国と戦争状態になったため、我が国は難しい立場に立たされているのですよ」
犠牲を出したからその対価が必要って事よね。この時代の常識なんだけどそれを変えていかなきゃ前に進まないわ。
「大隈首相、英仏がドイツの領土を強奪しようとしたから致し方なく戦端を開いたのです。民族の自決はこの世界において最も尊い物の一つですわ。そもそもドイツが支配していた山東半島もドイツが中国から無理矢理強奪したのですよ。強盗を退治したら、その強盗が盗んでいた物は持ち主に返すのが常識では無くて?」
◇
初日の会談はお互いの主張を確認するだけに終わった。日本の国民もドイツの権益を引き継ぐべきって考えてるから引き下がれないわよね。
私は初日の日程を終えた後、ルスランと一緒にロシア大使館に戻った。ちなみに蒼龍はロシアに残ってもらってる。私が居ない間に万が一何かがあった場合は対応してもらうためだ。
「皇帝陛下。乃木閣下がお見えになりました」
私が日本を訪れたのは乃木のお父様お母様に会う目的があるのよね。個人的にも再会したかったんだけど、それ以上に政治的な意味もあるわ。本当はミッチーや勝巳にも逢いたいんだけど、今回はどうしても調整が付かなかった。ああ勝巳、ごめんなさいね。
「お父様、お母様、お久しぶりですわ!」
私は乃木のお父様とお母様の待つ応接室に入った。衛士がドアを開ける前に自分で開けちゃった。皇帝としてはちょっとはしたない感じもするけど、これくらい良いわよね。そして立って待っていたお父様とお母様に私は抱きついた。私が日本を発ってから3年が経過している。お父様もお母様もちょっと歳を重ねたのが解るわ。出来るだけ健康で長生きして欲しい。
「皇帝陛下。お美しく成長なされましたな。サンクトペテルブルクで政変があったときには心臓が止まる思いでしたが、今のロシアを見ると皇帝陛下の行動が正しかったことがよくわかります。この乃木希典、皇帝陛下が夢見る世界のために残りの命の全てを捧げましょう」
抱きついた私の肩に優しく手を添えてくれた乃木のお父様は孫を見るような優しい目をしているわ。本当に会えて嬉しい。
「昔のようにアナスタシアって呼んで下さい。お父様。それに、私の夢見る世界は日本の為でもありますわ。全ての国が対等な“トモダチ”になるために、是非ともお父様の力を貸して欲しいのです」
乃木のお父様は日露戦争の戦功から国民的人気が高い。戦争中に苦戦していたときには家に石が投げ込まれることもあったみたいだけど、最終的に勝利をもたらして英雄になったのよね。国民感情っていつの時代もすぐに手のひらを返してしまう。だからこそ慎重に対応しなきゃいけないのよ。
私たちはこの三年間の出来事を語り合った。蒼龍関連の事は言えないけど、それ以外の事はかなり話をしたわ。父親のニコライ皇帝を廃したことにも理解をしてくれた。私がクーデターを起こさなければ革命が起こって皆殺しになっていただろうって言ったら沈痛な表情になった。日本では民衆が蜂起して天皇一家を処刑するようなものだからね。ヨーロッパ流の革命は乃木のお父様には受け入れ難いのだろう。
「それではイチスキー爆撃機は一式だったのですね。てっきりロシア語だと思っておりました」
「私も日本ではイチスキーって呼ばれていたって初めて知りましたわ。うふふ、おもしろいですね。どうしても最新航空機に日本語を使いたかったのです」
そして乃木のお父様は、私の考えに賛同することを書面にして渡してくれた。世界中の国は対等なトモダチにならなければならないということ。戦争によって相手を屈服させることは愚かなことである事。日本も植民地主義を捨てて大陸や半島から手を引くべきだとの内容だ。そうすることによって、日本はロシアと共に世界から畏怖ではなく尊敬を集めることが出来るのだと。そしてそれをロシア大使館から日本の新聞社にプレスリリースとして発表した。退役したとは言え影響力のある方だから、これで少しでも日本の世論を動かすことが出来ればありがたいわ。
乃木のお父様との会談を終えた後、時間はちょっと遅くなっちゃったけど日本に亡命中の孫文を招いて会談を開始した。
「初めまして、孫中山先生。お会いできて光栄ですわ」
前世でも会談したことがあるんだけど、本当に立派な人なのよね。三民主義の理想を掲げて中国を平和で安定した国にしようとした英傑よ。でもこの当時は袁世凱との政争に敗れて日本に逃亡中だ。東洋の国々の中でいち早く工業化を実現した日本を尊敬していたんだけど、この二十一箇条要求によって失望してしまう。日露戦争でロシアの脅威を退けた日本が、結局ヨーロッパと同じ帝国主義に走っちゃったことがショックだったのよね。
「初めまして皇帝陛下。皇帝陛下の善政には驚かされるばかりです。民族自決の原則といかなる差別も許容しない姿勢は賞賛に値致します。翻って自身を見てみると、国を追われて逃げることしか出来ずお恥ずかしい限りです」
「偉大な事業を完遂するためには雌伏の時もありましょう。私は孫中山先生の三民主義が中国大陸で開花することに確信を持っております。その為の支援は惜しみません」
日本に亡命しているけど日本政府は孫文のことを厄介者くらいに思ってる。支援しているのは梅屋庄吉や久原房之助といった一部の実業家だけなのよね。そこにロシア帝国の全面的バックアップがあれば、孫文は必ず中国の実権を取り戻すことが出来るわ。
今中国を支配している袁世凱は、何を思ったのか今年の秋に皇帝を名乗るのよね。でもそれは国民や軍閥の反発を招いて群雄割拠の戦国時代に突入しちゃう。この混乱で多くの人が亡くなるわ。今世では孫文に活躍してもらって出来るだけ早期に混乱を収めてもらおう。そして香港やマカオといったヨーロッパの植民地も解放して“一つの中国”を実現してもらう。そうすれば国民の不満も収まって中国共産党の活動を潰すことが出来るはず。
◇
その後の会談で、日本は二十一箇条の最後の第五項を削除する譲歩案を提示してきた。この第五項は中国政府や警察に日本人の顧問を置くことを要求した項目なんだけど、これを受け入れると言うことは実質中国が日本の保護国になるということなのよね。蒼龍によれば、史実でもこの第五項を削除した上で残りの十六条を中国に対して最後通牒として突きつけるらしい。中国は日本との戦争を回避するためという名目でこれを受諾するのよね。でも、それも袁世凱の謀略の一部だったって主張もあるらしいからよくわからないわ。
いずれにしてもこの要求によって、中国国民の対日感情は思いっきり悪くなっちゃうのよね。何としてもそんな事は阻止したい。
そして会談の最終日。まだ妥結の糸口も見えないんだけど、何としても成果を上げなきゃならないわ。失敗に終わったら第二次露日戦争が始まっちゃう。やっぱりそれだけは避けたいのよ。私は気合いを入れるために午前中乃木のお父様の家を訪ねた。日本との戦争を絶対に避けると約束する。
「アナスタシア、必ず上手くいきますよ。自信を持って会談に臨んで下さい」
乃木のお父様は優しくほほえみかけてくれた。そして私をぎゅっと抱きしめてくれる。
「はい、必ず成し遂げて見せます」
私は力強く返答して戦いの場へ向かった。




