鉄血女帝アナスタシア 第七十五話
ロシア軍はエルザス=ロートリンゲンの住人に対してビラを撒いた。それは攻撃の日時を指定して、英仏軍の陣地から出来るだけ遠ざかるようにとの内容だ。そしてその時刻にレイシキとキュウナナシキの大編隊が東の空から現れ、英仏軍に対して攻撃を開始した。
「くそ!阻塞気球も全部打ち落とされた!戦闘機の支援はまだか!?」
航空機の進入防止のために阻塞気球を100個ほど設置していたのだが、先行してやってきたレイシキによってあっという間に全て破壊されてしまった。しばらくして西の空からは友軍の戦闘機隊が現れたが、ロシアのレイシキには全く歯が立たない。友軍の戦闘機は最高速度がせいぜい130km/h程度なのだ。それに比べてレイシキは600km/hもの速度が出る。しかも12.7mm機関銃4丁の重武装にもかかわらず信じられないくらいの機動性も持ち合わせているのだ。英仏の鋼管布張り複葉機で歯が立つわけがない。
そして阻塞気球と英仏軍の戦闘機隊が全て失われた後、キュウナナシキが急降下爆撃を始めた。
英仏軍は東部戦線での情報から、揃えることの出来る限りの機関銃を前線に配備していた。しかし第一次大戦当時は口径8mm程度の機関銃しか無く、有効射程もせいぜい400mではロシア軍の高性能機を撃墜することはほぼ不可能だった。
◇
「アルザス・ロレーヌの守備隊から電信です!ロシアの航空機による爆撃を受けています!阻塞気球も機関銃も全く効果がありません!」
フランス軍司令部では前線からの電信を受け、皆一様に苦虫を噛みつぶしたような渋面をしていた。
「くそっ!本当にやりやがった。国際秩序をなんだと思ってるんだ!子供の遊びで何万人殺すつもりだ!」
フランス軍総司令官のジョフル司令はテーブルに広げられた地図を睨みながら拳を強く握った。一週間前、確かにアナスタシア皇帝は最後通牒を突きつけてきた。しかし、その瞬間まで同盟国だったロシアがまさか本当に開戦に踏み切るというのは、どことなく信じることが出来なかったのだ。しかし、実際に奴らは攻撃を仕掛けてきた。地上軍の侵攻は始まってはいないが、それでもこの爆撃によって何百人もの犠牲者が出ているはずだ。地上軍の衝突になれば何万人もの若者が犠牲になる。ドイツとの戦争を勝利で終えて、やっと家に帰ることが出来ると思っていた若者達、やっと息子や夫が帰ってくると思っていた女達にとってこれは悲劇でしかない。
「ジョフル司令、アルザス・ロレーヌでの防戦は不可能です。住民も非協力的で、レジスタンス化の恐れもあります。ここはヴェルダンまで軍を引いて防衛線を構築したほうが良いのではと具申致します」
ジョフル司令にもそんな事はわかっているのだ。アルザス・ロレーヌの東側で防戦するためにはそこまで物資を運ばなければならない。しかし、アルザス・ロレーヌに住んでいるのはドイツ系民族なのだ。つい先日までドイツの施政化にあってドイツ人だと思っていた人間達だ。その中を大量の物資を積んだ馬車が通行するということが、どれほど危険なことかなどよくわかっている。
「ダメだ!ドイツとの戦争で20万人もの兵士が死んだのだぞ!祖国を防衛し、アルザス・ロレーヌを奪還するために死んだのだ!その死を無駄にすることはできん!何としても守れ!レジスタンスの疑いのある者は現場の判断で処理してもいい!レジスタンスは戦時国際法違反だ!」
ジョフル司令のこの命令に参謀達は声も無かった。ただ悄然として立ち尽くし、司令の方を見ることしか出来ない。最良だと思う作戦を採らず無謀な作戦の継続を命令したジョフル司令の気持ちは誰もが理解しているのだ。これだけの犠牲を出したにもかかわらず撤兵するなど出来ようはずがない。国民にどのような言い訳が出来るというのだろう。国家や軍隊というものは往々にして非合理な選択をしなければならないということを、そこに居た誰もが痛感していた。
◇
日本 海軍軍令部
「外務省からです。本日ロシア軍はアルザス・ロレーヌに駐屯する英仏軍に攻撃を開始しました。これに対し、イギリスより正式に参戦の要請が来ております」
ロシアが設定した最後通牒の期日を前にして、事態の推移を見守るために軍令部には島村中将・吉松中将を始め海軍の将官達が集まっていた。そしてついに始まってしまったのだ。誰もが“まさか”と思っていた。ロシアのアナスタシア皇帝は戦争を嫌い、民の安寧を誰よりも願っているというのが日本における一般的な認識だったのだ。それなのに、ドイツと同盟を組んで英仏に戦争を仕掛けるなどまともな判断だとはとても思えなかった。
「実際に戦闘をしているのはロシア軍だけなんだろう?ドイツ軍が動いていないのであればイギリスは一カ国としか戦火を交えていないのではないか?それなら日英同盟の範囲外だ。今またロシアと事を構えるなどあり得ん」
島村中将は腕を組んで天井を見る。極東の海軍力だけなら日本の圧勝だろう。極東にはロシア軍の空母は無いので洋上なら心配は無い。しかしイギリスの要請通りウラジオストクを攻撃したなら、ロシア陸軍が満州になだれ込むのは必至だ。あの強力なナナヨンスキー戦車やキュウナナスキー攻撃機をどうやって防ぐというのだ。それほどの数はまだ揃っていないのだろうが、それでも日本軍にあのナナヨンスキー戦車を止める手段など無い。英仏軍が数十万人の死傷者を出しても攻略できなかったドイツ帝国を、たったの数日で、しかもほとんど犠牲を出すこと無く降伏に追いやったロシア陸軍に勝てる道理など無いのだ。
「戦っているのはロシア軍ですが、ドイツ帝国は英仏との停戦を破棄し戦争の再開を宣言しています。ロシア軍の兵站はドイツ軍が担っていますし、二カ国との戦争状態であるのは間違いないでしょう」
「政府の判断はどうなんだ?イギリスの要請を受け入れるのか?」
「緊急閣議が開催されていますが、大隈首相は“イギリスとの条約は守るべきだろう”と言っていたようです。このままではロシアと戦争状態に・・・・」
武人であれば出征は誉れである。しかしそれは勝ち目のある戦いでの話だ。今のロシア陸軍に対して勝てる要素など全くない。しかもロシアとは友好国であって何ら戦争をしなければならない理由など無いのだ。ただ、日英同盟を除いて。
結局この日の閣議では決定に至らず事態の推移を見ると言うことになったのだが、国際社会での条約に重きを置く日本政府は対ロシア戦争の準備に取りかかった。
◇
エルザス=ロートリンゲン(アルザス・ロレーヌ)への爆撃が開始されて24時間後
アルザス・ロレーヌに侵入して来るであろうロシア軍を攻撃するべく、英仏軍はこの地域に戦力を集中させていた。ロシア軍の苛烈な爆撃の後ナナヨンスキー戦車が10両ほど前進してきて、まだ生き残っている英仏軍の防塁や塹壕に対して大砲を撃ったのだが予想されていた地上軍前進の兆候はまったく無かった。ただ、この時代は目で見える範囲しか索敵をする事が出来ないため、町の東側にある丘陵地帯の向こうに大軍が控えているのだろうと誰もが思っていたのだ。
フランス軍司令部
「バカな!セダンの町にロシア軍だと!?」
「はい、ロシア軍はアルデンヌの森を抜けてきた模様です。マース川にかかる橋が占拠されたとの報告です」
ロシア軍は当然アルザス・ロレーヌの奪還を企図するものと思われていた。だからその地域に軍を集中させていたのだ。しかし、現実にアルデンヌの森を抜けてセダンの町に現れたことの意味は一つしか考えられない。
「まさか・・・狙いはこのパリなのか・・・?アルザス・ロレーヌは陽動?」
「ジョフル司令!主要な河川にかかる橋がロシア軍によって多数占拠された模様です!ルテル、ランス、ドルマン付近でロシア軍を確認しています!」
ロシア軍の確認された場所を地図にプロットしていくと、ロシア軍の目標が誰の目に見ても明らかになった。セダンの町からパリに向かう一直線上にロシア軍が現れて主要な橋を占拠しているのだ。
「どうやってそんなところにロシア軍の歩兵が現れたんだ!間違いじゃ無いのか!?」
「航空機からパラシュートで降下したようです。すぐに土嚢を使って防塁を構築しています」
「航空機から・・・だと?そんな大量に兵員を運べるというのか・・・」
ロシア軍の主力はナナヨンシキ戦車なのだが、進路上にある橋を爆破された場合その進軍速度は急速に落ちてしまう。その為、降下猟兵部隊を育成し実戦に投入して橋を占拠したのだ。降下したロシア兵はすぐさま防塁を築き機関銃を設置した。そして上空には常にキュウナナシキが滞空し接近する英仏軍に対して攻撃を仕掛けている。英仏軍は占拠された橋の奪還や爆破はほぼ不可能となっていた。
「ロシア軍を・・・止める手段は無いのか?」




