鉄血女帝アナスタシア 第五十七話
「パシャ大臣、“武”の意味をご存じかしら?東洋の漢字で“武”という字は“戈(か・ほこ・槍のこと)”を“止める”と書きますのよ。中国の春秋時代に楚の荘王が“止戈為武(戈を止どむるを武と為す)”と言ったことに由来するとか。“武”とは暴力を止める力のことなんですよ。私はこの考え方が一番好きですの。暴力によって他を屈服させようなど山犬か山猫と同じレベルの発想ですわ。野蛮な獣と同じ空気を吸ってるかと思うと気が滅入りますわね」
「き、き、貴様ぁ!それは我がオスマン帝国に対する宣戦布告か!?宣戦布告なんだな!もう一回やってやろうって言ってるのか!小娘!!!お前の国も武力によって東に版図を広げたでは無いか!!南進政策も野望の表れだろう!!」
パシャ大臣が椅子を蹴飛ばして立ち上がったわ。拳をあげて私に駆け出そうとしたんだけど、周りの参加者に羽交い締めにされちゃった。顔をまっ赤にしてフーフーって荒い息をあげてる。本当に野蛮な獣ね。
「確かにロシアは東に領土を広げ、南方への領土拡張野心を隠してはおりませんでした。しかしそれは過去のこと。その愚かな行いを率いてきた愚帝は私の手で追放いたしましたわ。ロシアはもはやロマノフ朝時代のような野蛮な国ではありませんのよ」
バキッ!!
あらあら、お父様が手に持っていた万年筆をへし折っちゃった。顔が信じられないくらいまっ赤になってる。隣のグレイ代表の服にもインクが飛び散っちゃったみたいね。秘書官の人がハンカチで慌てて拭いているわ。
「アナスタシア!なんという無礼な振る舞いだ!私はお前をそんな風に育てた覚えは無いぞ!!」
あー、ついにお父様がキレちゃった。
「議長、オブザーバーの人が勝手に不規則な発言をしています。あの無礼な男の発言を止めていただけますかしら?」
「アナスタシア!実の父親に向かってお前はぁ!」
ここは正式な国際会議なのよ。発言権があるのは国家の代表だけ。オブザーバーは代表に対して進言してれば良いのよ。
議長からたしなめられてお父様も席に腰を下ろしたわ。あんまり怒ると脳の血管が切れちゃうわよ。
「我がロシアは各民族の自治区を準備しております。ゆくゆくは民族毎に独立してもらって連邦国家にする予定ですの。そして連邦のどの国家であっても十分な教育と同レベルの生活水準を実現しますわ。全ての民族が独立して、抑圧や支配の無いロシアの実現。これが我が国の矜持です。海外植民地から略奪することで肥え太っただけにもかかわらず太陽の沈まぬ帝国などと呼ばれる恥知らずな国とは違うのです」
バキッ!
あ、今度はイギリスのグレイ代表が万年筆をへし折っちゃった。しかもインクが顔にかかってまだら模様になってるわよ。面白い顔ね。スマホがあったら写真を撮っておくんだけど。しかしグレイ代表とお父様はマンガのような憤怒の形相で睨んでくるわ。二人から怒りの視線が刺さるんだけどなんだか心地良い。どういうことかしら?それは私の言ってることの方が正しいからよね。ド正論で相手を叩きのめすのは本当に気持ち良い。これって多分私の嗜虐心だわ。そいえば勝巳が50才を超えたくらいの時に、若い侍女に手を出そうとしてそれが私にバレたことがあったわね。その時もネチネチと論理的に勝巳を問い詰めた挙げ句素っ裸にして縛り上げてあげたんだっけ。しばらくはそのプレイで楽しんだのよね。懐かしいわ。
「聞き捨てなりませんな、皇帝陛下」
「何かしら?グレイ代表」
「海外植民地について我が国を貶めるような発言がありましたがお取り下げ願えませんでしょうか?確かに我が国は世界中に多くの植民地を抱えております。しかし、基本的には自治を認めており協力関係にあると言えるでしょう。地域によって生活水準に差がありますがそれでも本国の協力によって良くなってきております。その良好な協力関係にひびを入れるような言説は看過できませんな。我々はベルギーとは違うのですよ。ベルギーとは」
あ、ベルギーの代表が顔をしかめたわ。しかし植民地と良好な協力関係ねぇ。私を何も知らない小娘だとでも思ってるのかしら?バカにされたものね。
「アズナヴール卿、例の資料を」
蒼龍が用意していた資料をテーブルに出した。そして参加者に配布していく。
この資料は蒼龍とルスランが頑張って作ってくれた物だ。大きな矢印やデフォルメされた人物のイラストなんかがたくさんあって私もなじみのあるプレゼン資料の形式ね。この時代じゃプリンターやコピー機なんて無いから、タイプライターと手で描いたイラストを貼り合わせた資料を作って写真で撮っていたわ。二人で仲よさそうに。それを大きいサイズの印画紙にプリントしたの。二人で仲よさそうにね。大事なことだから二回言ったわよ。
「ベルギー王領アフリカ・コンゴ自由国の事件は記憶に新しいと思います。コンゴでの蛮行にはさすがのイギリスも苦言を呈すくらいですからね。ベルギー前国王レオポルド二世の直接の指示によってコンゴで500万人から1000万人が虐殺されたことは有名ですわ。ゴム農場では働きの悪い労働者を見せしめに手首を切り落として、その手首を戦利品のごとく本国に送らせたこともあったとか。レオポルド二世は数年前にくたばりましたが、もう少し長生きしていればその悪業にふさわしい死に方を用意して差し上げましたのに残念ですわ」
ガタッ!!
「大国ロシアの皇帝とは言えあまりにも非礼すぎますぞ!それにコンゴ自由国にいたのは私有奴隷です!生殺与奪の権は国王にあったので何をしても違法ではない!前国王への侮辱を直ちに取り消して頂きたい!」
ベルギーの代表ね。あらまあ忠誠心の高いこと。しかし生殺与奪の権が国王にあるって本当に思ってるのかしら?
「ゴムの生産をあげるための見せしめに労働者の手首を切り落としたり殺害する国王に忠義の篤いことですね。そのような国王を命懸けで諫めるのが本物の忠義ではなくて?それともそれがベルギーの矜持なのかしら?それに人間に対して生殺与奪の権があると本気で思ってるの?では大国ロシアの全軍事力をもってベルギーを攻め落としてベルギー国民を全部奴隷にしたら、私は自由にあなたの首をねじ切っても良いということかしら?はぁ、本当に救いようのない野蛮人ね。もう20世紀なのよ。そんな事をつい5年前までしていたなんて信じられませんわ。同じ神を信じる人間として恥ずかしい限りです」
会場が静まりかえったわ。人種差別を平然とやってる今のヨーロッパ諸国から見ても、ベルギーの蛮行は眉をひそめるくらい非道かったからね。ベルギーもさすがにまずいと思って5年ほど前にやっと虐殺だけは止めたのよ。
「ははは、痛快ですな、皇帝陛下。その通りです。ベルギーの暴虐を止めたのが我がイギリスなのですよ。我々は植民地人でもちゃんと人間として扱いますからね。皇帝陛下は我がイギリスの植民地経営になにか誤解をされているようだ」
イギリス代表のグレイ外務大臣がにんまりと笑みを浮かべているわね。確かにヨーロッパではイギリスの人権意識が一番高いのは間違いないわ。でもね、私から言わせればその高さは天保山並みなのよ。
※天保山 大阪の天保山公園にある日本一小さい山。アナスタシアの前世では小さい事の例えとして世界共通語になっていた。
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