第5話 戸山団地UFO給水塔
7月25日木曜日。
朝9時半。
強い日差しが照り付けている。
梨奈は民家の傍らに立つお地蔵さまに手を合わせた。
「お地蔵さま、岡林梨奈をお守りください。
もう少しです。
どうか、核理研に隔離されるまで、警察に捕まりませんように。
でしましたら、素敵な出会いがありますように」
赤いキャップを被ったお地蔵さまの周りは綺麗にお掃除がされている。
ゴミひとつ落ちていない。
両脇にはお花も活けてある。
大事にされているお地蔵様さま。
由来はなんだろう。
道路の向かい側には、有刺鉄線が張り巡らされた長い塀が続いている。
無断立ち入りを禁ずる
帝都大学原子核物理学研究所
貼られている看板は黒く汚れ、文字が掠れている。
やっと着いた。
「集合と解散は高田馬場から歩いて10分の核理研の本部です」
亜十夢ちゃん、20分かかったよ。
斎藤
お地蔵様の傍らの民家の表札。
斎藤家は、キリンをもじった大きな滑り台がある公園に接している。
戸山北児童公園
静かだ。
人気がない。蝉の声だけが響いている。
公園の向こう側に古ぼけた団地が連なっている。
都営戸山団地
大きな塔が見える。
塔の頂上にUFO。
団地の給水塔だ。
『都営戸山団地に住んでいます。
建物も住んでいる人も古ぼけています
UFO基地みたいな給水塔が目印です』
国会議事堂前駅での衣編に谷の杉沢裕のアナウンス。
当たっている
UFOが見えてきてから擦れ違うのは手押し車を押したお年寄りばかり。
子供の姿はない。
天井を吹き飛ばそう!
真っ赤なブレザーを着て拳を振り上げる女性のポスターだけが目立つ。
協和党代表 蓮沼涼子
協和党は、去年、野党が集まって結成された。
大企業や公務員の労働組合の支援を受けている人たちと、規制緩和を進めて役所を削減しようと主張する人たちが、ごっちゃになっていて、なにを目指すのか、さっぱりわからない。
代表に祭り上げられた蓮沼は、テレビコメンテーターを経て政治家になった。
双子の男の子がいる。
きりっとした眉
厚化粧
暑苦しい。
ポスターを見ただけで汗が出てくる。
来年の夏、3年毎の参議院通常選挙がある。
奈良たか子首相の自独党総裁の任期は来年の1月。
有力な後継候補は農林水産大臣の枝川伸太郎。
枝川は名門政治家の4代目。
イケメン。
奥さんは美人テレビキャスター。
女性に人気がある。
協和党には立候補者が決まらない空白区がたくさんある。
枝川が首相になって衆議院を解散し、参議院と同日選挙になったら、蓮沼に勝ち目はない。
お地蔵さまは蓮沼とは対照的に穏やかなお顔。
そうだ
梨奈は辺りをうかがった。
電車ジャックから十日。
戸山団地に捜査中の刑事がいるかもしれない。
核理研に行く
マミクトイのリーダー飯縄優子は封印。
梨奈は、埼玉一女の夏のセーラー服。
襟の付いた白いブライス
紺のスカート
白いソックス
赤いリュックも止めた。
スポーツ・バッグを20分も持って手が痛い。
早いとこ核理研に逃げ込んで隔離されよう。
梨奈はお地蔵さまに、もう一度、手を合わせると正門に向かった。
帝都大学原子核物理学研究所
プレートがはめ込まれた正門の左手には平屋の守衛所がある。
「サマー・キャンプに申し込みました埼玉第一女子高校の岡林梨奈です」
箕面拓弥
IDカードを提げたお爺さんが笑顔を向けた。
「お一人の方が先にお見えになっています。こちらに記入してお待ちください」
わかりました。
守衛所の後ろは古ぼけた建物。
お化けがでそう。
ロータリーの向こうに2階建ての建物と10階建てくらいの建物が見える。
緑が多い。
気持ちがいいなあ。
蝉時雨がうるさいくらい降り注いでいる。
「お前! なにしに来た!
ここをどこだと思っている!」
大きな声がした。
何?
ショート・カット。
というより髪の毛がギザギザの女の子が梨奈を見つめている。
「それでも原子力志望か!
今すぐ髪を切れ!
嫌なら、帰れ!」
目がギラギラ。
うわ!
女の子の手にハサミ。
ハサミの刃を梨奈に向けている。
「セーラー服なんかで来やがって、何様のつもりだ!」
ガシャ~ン!
守衛所から大きな音がした。
紺色のTシャツ。
下はブルーのジーンズ。スニーカー。
背は小さい。
足元にはスポーツ・バッグが置いてある。
何様のつもりだと?
梨奈はギザギザ頭女を睨みつけた。
セーラー服のどこがいけない。
反逆の処女に喧嘩売っているんか!
「そのハサミじゃ、女の子の髪の毛は切れないよ」
のんびりした声がした。
作業服を着てサングラスを掛けたお爺さんが立っている。
「須藤絵里さん、だったよね。
被曝を心配しているなら、大丈夫。
僕を見てごらん、40年、原子力の研究をしているけど、このとおり髪は、ふさふさだよ」
お爺さんが麦藁帽子を脱いだ。
白い髪をポニーテールみたいに後ろに束ねている。
「核理研にようこそ。
所長の北川譲司です。
ジョージって呼んでね」
まるで学校の用務員さん。
「このハサミは木の枝を切る物なんだ。
拾ってくれてありがとう」
所長さんがハサミに手を伸ばした。
危ない!
梨奈は身構えた。
刺される。
「所長、大丈夫ですか」
男の人の声がした。
はあはあはあ
荒い息遣い。
「ツアーに、参加、する人が、来たって、連絡、受けて」
髪がアシンメトリーの若い男の人が、膝に手を当てて息を切っている。
「管理棟、出たら、なんか、大変なことに、なっているんで、駆けて、きたんです。
所長、いったい、なにが、起きたんですか?」
千葉雅樹
首から提げたIDカードが揺れている。
「剪定をしていたらハサミがどっか行っちゃてさ。探していたら須藤さんが見つけてくれたんだ。
千葉ちゃんこそ、大丈夫?
急に走ると、また、肺気腫になるよ」
ひょうひょうと応えながら所長さんはギザギザ頭女の手からハサミを取った。
腰の袋に入れる。
よかった。
梨奈は、ほっとした。
須藤絵里
ギザギザ頭女も抵抗しない。
「岡林さん、お怪我は、ありませんか?」
箕面さんが腰をさすりながら守衛所から出てきた。
慌てて、ひっくり返ったのかしら。
「大丈夫です」
梨奈はマミクトイのハンドタオルで汗を拭った。
跡夢ツアー、やばいよ。
善光寺高校水泳部
須藤の足元のスポーツ・バッグのロゴ。
善光寺高校は長野の名門県立高校。
たぶん、ツアーの参加者。
「所長さん、私、帰ります」
梨奈は所長さんに顔を向けた。
「この人に言われてわかりました。
私は参加資格がありません」
ハサミ女と4泊5日も一緒にいたくない。
「私、文系です。
原子力は志望していません。
応募したのは、親が揉めていて、家にいたくなかったんです。
不純な動機で申し込んで、本当に、ごめんなさい」
所長さんは用務員
守衛さんはお爺さん
若いスタッフはひ弱
役に立たない。
早いとこ、帰ろう。
「親が揉めているって、どういうこと?」
須藤が梨奈に顔を向けた。
「詳しく話してよ」
ドキ
目がギラギラしている。
きちんと話したほうがよさそう。
カッターナイフを向けられたら敵わない。
「父が生まれ故郷の九州に転勤になったんです」
梨奈は須藤を見つめた。
「母は埼玉です。要介護の祖父と祖母の面倒を見なければいけないのに、父は家を売って九州に引っ越すって言い出したんです。
それで、父と母が揉めちゃって。家の中、グシャグシャ。
居場所がないので逃げてきました」
ホントの理由は、警察からの逃亡。
「私も同じ」
須藤が呟いた。
「親父が中坊と援交しやがった。
淫行って奴。
家の中、グシャグシャで逃げてきた」




