第9話 いつもの席を、もう1度
土曜日の朝、俺たちは街の空き店舗に道具を運び込んだ。
床に箱を置き、美緒が暖簾を取り出す。両端を持って広げると、入口の幅にちょうど収まりそうだった。
「掛けるところ、つけないとね」
「棒も用意する」
俺は寸法を測り、美緒は暖簾を畳んだ。
店内には、まだ客席も厨房もなかった。奥に給排水の設備があるだけで、声がよく響く。
俺は管理画面を開き、野口さんの店で撮った写真を並べた。
大きな鍋を扱えるコンロ。作業台。冷蔵庫。食材を洗う流し。必要なものを選び、図面の上に置いていく。
「冷蔵庫、そこだと扉が通路に出ない?」
肩越しに画面を見ていた美緒が指した。
開いた状態を表示すると、作業台との間が狭くなった。
「反対へ寄せるか」
「うん。丼の棚は、もう少しコンロの近く。野口さん、ほとんど歩かずに取ってたでしょ」
俺が寸法と配管を確認し、美緒が厨房の中を歩いた。
客席には短いカウンターと、窓際のテーブルを置く。入口から入る人と、料理を運ぶ人がぶつからないように、椅子の位置も直した。
最後に工事の見積もりを開いた。
完成まで、街の時間で48時間。
「外で2時間待てばいいんだな」
「その間に材料買ってこよう。麺も、今日受け取りで頼んでるし」
工事を依頼し、俺たちはアパートへ戻った。
*
買い物を済ませ、軽く昼飯を食べてから街へ入ると、厨房は完成していた。
作業台に手を置く。ぐらつかない。蛇口から水が出て、コンロにも火がついた。
美緒は窓際の椅子へ座り、厨房を見た。
「ここ、いいね。つくってるところ見える」
「食べる前提かよ」
「ちゃんと手伝うよ」
その声に重なって、入口から人が入ってきた。
「お、できてるね」
屋台の店主、エドだった。
ラーメンの相談をすると、屋台を開けるまでの時間なら手伝えると言ってくれた。工事前に待ち合わせを決めておいたので、俺たちが戻ってくる時間も知っている。
エドはコンロの前へ立ち、鍋を持ち上げた。
「教わった記録、見せてもらおうか」
美緒がメモ帳を開き、俺は端末へ写真と動画を映した。
野口さんの説明を聞きながら、エドが映像を何度か止める。
「この鍋より、こっちは小さいね。材料も合わせて減らそう」
分量を書き直し、買ってきた食材を並べた。
今回は、俺もどの材料を何に使うのかはわかっていた。鶏の骨を下処理し、美緒が野菜を切る。エドは2人の手元を見ながら、鍋へ入れる順番を確かめた。
スープを火にかけたあとも、タレや具の準備があった。
俺が表面に浮いたものをすくっていると、エドが火を弱めた。
「ここからは、そんなに煮立てなくていいはずだよ」
動画の中では、鍋の端から小さな泡が上がっていた。
美緒がその場面を止め、実際の鍋と見比べる。
「これくらい?」
「うん。あとは見ながらやろう」
厨房の窓を開けると、店の前を路面電車が通った。俺は網じゃくしを持ったまま、その音を聞いた。
いつもは通り過ぎていた場所で、今日はスープをつくっている。
美緒が俺の袖を軽く引いた。
「直人、取れたよ」
手元を見ると、すくったものを捨てずに持ったままだった。
*
数時間後、厨房には鶏と醤油の匂いが広がっていた。
エドが小さな器へスープとタレを合わせ、俺たちに渡す。
口へ運ぶと、醤油が強かった。
美緒も同じように感じたらしく、器を置いてメモを見た。
「スープ、これで何杯分だったっけ」
「野口さんのところでは、このお玉で……」
俺は手に持ったお玉を見た。
譲ってもらったものではなく、厨房設備と一緒に揃えたものだった。大きさが違う。
「量、測った方がいいな」
エドが計量容器を持ってきた。
スープを量り直し、タレの少ないものをつくる。さっきより飲みやすくなったが、どの量が正しいのか、俺たちの記録では判断できなかった。
野口さんへ聞くことにした。
街では電話がつながらない。俺だけ外へ出れば、美緒が残っている間は時間が加速しない。
「ちょっと電話してくる。聞いたら戻る」
「うん。こっちは片づけてる」
自宅へ車で戻り、アパートへ出た。記録と鍋の写真を手元に置いて電話をかけると、野口さんはすぐに出てくれた。
『今日やってるの?』
「はい。ただ、1杯分の量をきちんと聞いていなくて」
教えてもらった数値を書き、タレの分量も確認した。
『まずはそれで食べてみな。麺も入れないと、わからないから』
「ありがとうございます」
『味が決まったら、今度は自分たちで同じものをつくれるかだよ』
俺は頷きながらメモを取った。
電話を終えて街へ戻ると、美緒が使った道具を洗っていた。エドは時計を見ていたが、俺に気づいて手を下ろす。
「聞けた?」
「ああ。もう1度、量って合わせよう」
*
最初の2杯は、エドが仕上げた。
青い模様の丼へタレを入れ、スープを注ぐ。麺を茹でて湯切りし、具を載せる。
俺と美緒は、窓際の席へ座った。
「はい。まず、食べてみて」
丼が目の前へ置かれた。
湯気に顔を近づけると、よく知っている匂いがした。美緒がれんげを口へ運び、すぐにこちらを見る。
俺も飲んだ。
さっきより醤油が強すぎず、鶏の味がわかった。麺をすすってからもう1度スープを飲むと、あの店で食べていたときのことを思い出した。
「近いな」
「うん」
美緒が麺を取った。
野口さんのものと全く同じかは、わからない。それでも、もうひと口食べたくなった。俺がつくりたかったのは、こういう味だった。
エドがカウンター越しに聞いた。
「どうだい?」
「うまいです」
「じゃあ、残りは2人で仕上げてみよう。俺の分も頼むよ」
俺たちは顔を見合わせ、立ち上がった。
エドに横で見てもらいながら、次の丼をつくる。
俺がスープを量り、美緒が麺の時間を見た。湯切りはエドのようにはいかず、手首へ力が入った。
「それで十分。丼へ入れよう」
具を載せ、カウンターへ運ぶ。
エドはスープを飲んでから麺をすすり、頷いた。
「できてるよ」
美緒が俺の肘をつついた。
「次、私も湯切りやる」
「熱いから気をつけろよ」
「直人も、さっき怖そうだったけどね」
否定できなかった。
*
食べ終わって片づけたあと、暖簾を掛けた。
美緒が外へ出て、左右の高さを確かめる。俺が棒の位置を直すと、彼女は入口の前で頷いた。
「いい。写真撮ろう」
厨房のエドにも出てきてもらい、店の前で3人並んだ。端末を向かいの台へ置き、時間を設定して撮る。
確認すると、暖簾の下で美緒が笑っていた。俺の手には、なぜかまだ布巾がある。
「持ったままだったの?」
「気づかなかった」
「それでいいよ。今日、ちゃんと働いた写真になる」
エドが笑い、屋台へ戻る準備をした。
残った材料とスープは、屋台の厨房で使ってもらうことにした。次に俺たちが来るまで残しておくと、街では何日も過ぎてしまう。
今後は街で揃う材料を確かめ、麺もここで用意できるようにする。まだ相談することはあったが、今日のところは片づけて帰れそうだった。
「また食べに来ます」
美緒が言うと、エドは頷いた。
「ああ。来る日が決まったら、声を掛けておくれ」
彼が帰ったあと、俺たちは窓際へ座った。
美緒は店の中を見回し、テーブルの縁へ指を置いた。
「野口さん、写真見たらびっくりするかな」
「店をつくったとは、まだ言ってないからな」
「ちゃんと、おいしかったって伝えてね」
「ああ」
アパートへ戻り、まず丼の写真を送った。野口さんへの文章を考えていると、美緒が隣から画面を覗く。
「難しく書かなくていいよ。そのまま言えば」
俺は途中まで打った説明を消した。
『教えていただいた量で、おいしくできました。美緒と、また食べられたねと話しながら食べました。ありがとうございました』
しばらくして返信が来た。
『うまくできてよかった。丼も使ってくれてありがとう』
美緒へ見せると、彼女は笑った。
「今度、写真見せに行こう」
「店の方も?」
「うん。暖簾、ちゃんと掛けたって」
俺は3人で撮った写真を開いた。
野口さんへ送る前に、手に持った布巾だけは隠せないかと拡大してみたが、美緒に止められた。
「そのままでいいって」
結局、そのまま送った。
面白いと思っていただけましたら、ブックマーク・☆☆☆☆☆からの評価をいただけると嬉しいです!
感想も大歓迎です。執筆の励みになります!




