第7話 映画より気になった人
日曜日の朝、美緒から電話が来た。
「今日、映画館に行ってみない?」
「街の?」
「うん。直人、あそこ入ったことある?」
俺は壁の窓を見た。繁華街の交差点に、赤い看板の映画館がある。
「建てたとき、入口までは行った。中はないな」
「じゃあ、行こうよ。昨日、前を通ったら、ポスターが変わってた」
ゲームでは上映中の作品を選ぶと、短い映像を見ることができた。美緒は自分の街でも何度か行ったことがあるという。
俺は建設後に客の入りを確認し、それきりだった。
「何やってるんだ?」
「探偵のやつ。雨の中で男の人が立ってた」
「それだけでわかるかよ」
「見に行けばわかるって」
昼前に来ると言って、美緒は電話を切った。
俺は部屋を片づけ、着替えようとして箪笥の前で止まった。
街へ行くだけなら、昨日までと同じ部屋着でいい。けれど、今日は映画館に入る。
シャツを1枚引っ張り出し、鏡の前で髪を直した。
*
玄関を開けると、美緒が俺を見て少し笑った。
「今日は、ちゃんと着替えてる」
「映画館に部屋着で行かないだろ」
「昨日、公園には行ってたけど」
「昨日は運転の練習だったから」
美緒も今日は仕事着ではなかった。薄い緑のカーディガンに、足首が見える丈のスカート。髪は後ろで半分だけ留めている。
「何?」
顔を見ていたら、聞かれた。
「いや。行くか」
「うん」
俺たちは街へ入り、車で繁華街へ向かった。
映画館の近くは人が多かった。パン屋から出てきた子供が袋を抱えて走り、母親らしい人に呼び止められている。
駐車場へ車を入れると、美緒が助手席から覗いた。
「ここ、私にはまだ狭い」
「今日は俺でよかったな」
「練習したら、ここも入れられるようになるかな」
「なるだろ。俺だって最初は怖かったし」
車を降り、並んで歩いた。
映画館の正面には、雨の街角に立つ男のポスターが貼られていた。帽子のつばへ指をかけ、後ろの窓を見上げている。
「これ。『雨の街の探偵』」
「そのまんまだな」
「わかりやすくていいじゃん」
受付で上映時間を聞くと、次は20分後だった。チケットを2枚買い、美緒に渡す。
「いくら?」
「俺の所持金から引かれた。現実の金じゃないから、気にしなくていい」
「でも、飲み物は私が買うよ。私の分も使えるか試したいし」
美緒が売店の支払い画面へ触れた。彼女の名前と所持金が表示される。
「残ってる。ゲームのときのお金」
「よかったな」
「じゃあ、ポップコーンも買える」
彼女は塩味を選び、飲み物を2つ買った。
受け取ったカップから、甘い炭酸の匂いがした。ポップコーンの容器を抱えた美緒が、劇場の入口を指す。
「行こう。席、真ん中だって」
*
劇場は思っていたより広かった。
スクリーンの前まで続く座席には、すでに何人か座っている。俺たちは列の間を通り、指定された席へ腰を下ろした。
座面が下がり、背中を柔らかい布が支えた。
「これ、映画館だな」
「映画館だよ」
「いや、ちゃんと広いんだなって」
美緒は笑い、2人の間へポップコーンを置いた。
照明が落ちた。
スクリーンに雨の道路が映る。窓を叩く音が左右から聞こえ、車のライトが濡れた路面を照らしていた。
探偵が依頼人と話し始める。
俺は最初、短い映像が終わったら席を立つつもりだった。
ところが、話は続いた。探偵が古いホテルへ行き、受付で鍵を受け取り、部屋へ入る。画面の端に終了までの表示もなければ、操作の案内も出ない。
美緒が顔を近づけ、小声で言った。
「これ、知らない場面」
「お前、見たことあるのか」
「最初のとこは。でも、ホテルに入る前に終わってた」
俺はスクリーンへ向き直った。
机の引き出しから、濡れた封筒が出てきた。
それがどうしてここにあるのか気になり、しばらくしてポップコーンへ手を伸ばしたときには、映画がどのくらい続いているのか忘れていた。
半分ほどなくなった容器へ指を入れると、美緒の手に触れた。
2人とも引いた。
「ごめん」
彼女が小声で言い、俺も頷いた。
スクリーンでは、探偵が廊下を走っていた。追っていた男が階段へ逃げ、扉が閉まる。
俺はそちらを見ていたが、触れた指先の方が気になった。
少しして美緒がポップコーンを取る。
今度は彼女の手が戻るまで待ってから、俺も取った。
*
映画が終わったのは、上映が始まってから約1時間半後だった。
照明がついても、美緒はすぐに立たなかった。
「最後、あの人が来ると思わなかった」
「鍵、最初に持ってたからな」
「気づいてたの?」
「いや。今、思い出した」
「だよね。直人、びっくりしてたもん」
席を立ち、出口へ向かった。
美緒は受付の横で足を止め、別のポスターを眺めた。今度は、砂浜に古い飛行機が置かれている。
「これも、続きが見られるのかな」
「たぶん」
「全部見たら、結構かかるね」
俺も壁に並んだポスターを見た。建てたときは、上映作品の数が集客にどう関わるかしか気にしていなかった。
今日は、次に何を見たいか考えていた。
「また来ればいいだろ」
「うん。今度はこっち」
美緒が飛行機のポスターを指した。
受付の女性が俺たちを見て、上映予定の紙を渡してくれた。美緒は礼を言い、丁寧に折って鞄へ入れた。
外へ出ると、昼の明るさに目が細くなった。
「お腹すいた」
「ポップコーン、結構食ってたぞ」
「あれはご飯じゃないよ」
いつもの屋台へ向かいかけた俺の袖を、美緒が引いた。
「今日は別の店にしない? あそこ、ずっと気になってた」
彼女が指した先には、小さな洋食店があった。窓際に赤い椅子が並び、入口の黒板に今日の料理が書いてある。
俺はその店を知っていた。美緒と現実で行ったラーメン屋の、通りを挟んだ向かいにも、よく似た店があった。
「こういう店、好きなのか」
「うん。あのラーメン屋の向かい、覚えてる? 外から見ると、お皿がかわいかった店」
「覚えてる。入らなかったけど」
「ラーメン食べたあとだったしね」
美緒が入口の黒板を覗き込む。
俺も隣で見ながら、あの日の店主を思い出した。美緒が胡椒で咳き込んだとき、厨房から顔を出して、水を勧めてくれた人だった。
「……あの店、もう閉まってるんだよな」
「うん。前に通ったら、看板なくなってた」
美緒は黒板から顔を上げた。
「閉店のお知らせ、直人も見た?」
「見た。店主さんが引退するって」
「もう1回行っておけばよかったね」
俺たちはその店で、ゲームの話をしながらラーメンを食べた。通話なら何時間でも話していたのに、目の前に座ると、最初は何を聞けばいいのかわからなかった。
先に笑ったのは、美緒だった。
俺が緊張して、メニューを2回聞き返したときだったと思う。
洋食店の扉が開き、客が出てきた。美緒が脇へよける。
「入ろうか」
「ああ」
俺は扉へ手をかけたが、ふと通りの向こうを見た。
小さな空き店舗が1軒ある。管理画面では、まだ何を入れるか決めていなかった場所だ。
「美緒」
「何?」
「あのラーメン屋、こっちでつくれないかな」
彼女は俺の顔を見た。
「建物なら、できるだろ。厨房も、席も」
「味は?」
そこまでは考えていなかった。
屋台の焼き鳥には味がある。でも、俺が外観を似せて店を置いただけで、あのラーメンになるとは思えない。
「……店主さんに聞けたらいいんだけどな」
美緒は少し考え、鞄からスマートフォンを出しかけた。電波がないのを思い出して、また戻す。
「あの閉店のお知らせ、私、写真撮ったよ。帰ったら見てみよう」
「連絡先、載ってた?」
「覚えてない。でも、店の道具を譲りますって書いてあった気がする」
俺は空き店舗をもう1度見た。
美緒が俺の腕を軽く叩く。
「まず、ご飯食べよう。帰ってから探す」
「そうだな」
店へ入り、窓際の席に座った。
美緒はメニューを開くと、ラーメン屋で俺が聞き返した料理の名前を口にした。
「今度は、注文ちゃんと言える?」
「さすがに言えるよ」
彼女は笑い、メニューの向こうへ顔を隠した。
俺は窓越しに空き店舗を見た。厨房に立つあの店主の姿を思い浮かべながら、帰ったら何を聞こうか考えた。




