第6話 今日は美緒が運転する
土曜日の朝、美緒は保存容器と、スーパーの袋を提げてやって来た。
「パン、買った?」
「買った。丸いやつも」
「じゃあ、朝ご飯にしよう」
容器には、昨日送られてきた写真と同じ、大根の葉と卵の炒め物が入っていた。袋の方にはベーコンとチーズ、それから飲み物がある。
「こっちは?」
「川に行くんでしょ。お昼の分」
朝も昼も俺の部屋で食べるつもりで来たのかと思うと、少し嬉しかった。本人はすでに台所で皿を探している。
パンを温め、炒め物を取り分けた。
葉には少し歯応えがあり、卵と一緒に食べると塩加減もちょうどよかった。美緒は丸いパンを半分に割り、間に挟んでかじっている。
「残りの大根、どうなった?」
「今朝、採ってきた。マルクさんと分けて、俺の分は向こうの冷蔵庫」
「よかった。週明けまで忘れたら、すごく育っちゃいそうだもんね」
俺は頷いた。少しずつ試すつもりでも、こちらで1日過ごせば、街では24日が過ぎる。次の種をまくのは、見に行ける時間を考えてからにすることにした。
食べ終わると、美緒が袋からベーコンを出した。
「これも、あっちに持っていこう」
窓から取り込むと、品名と量が表示された。パンや保存容器も運び、俺たちは街へ入った。
*
自宅の台所で昼のサンドイッチをつくっていると、美緒が窓の外へ顔を向けた。
「今日は、私が運転してもいい?」
俺はパンに塗っていたバターの手を止めた。
「車?」
「ほかに何があるの」
「免許、持ってるんだっけ」
「持ってるよ。大学のときに取った。でも、東京来てから全然乗ってない」
ゲームでは美緒も運転していた。俺の車を借りて、山道をものすごい速さで走ったこともある。
あれと同じようにはいかないだろう。
「まず、広いところで練習するか」
「うん。いきなり川の道は怖い」
俺は地図を開いた。自宅から近く、人通りが少なくて、車をゆっくり動かせる場所を探す。
「海浜公園の駐車場なら、広いな」
「奥の方、空いてそう。そこにしよう」
昼飯を冷蔵庫へ入れ、ガレージへ向かった。
運転席のドアへ手をかけたところで、美緒が俺を見た。
「今日は、そっちじゃないよ」
「公園までは俺だろ」
「あ、そうだった」
彼女は助手席へ回り、シートベルトを締めた。
*
公園の駐車場には、海に近い方へ何台か車が停まっていた。俺は入口から離れた、空いている区画へ車を寄せた。
エンジンを止めて外へ出ると、美緒も降りた。
2人で車の周囲を歩き、席を入れ替える。
美緒はシートを前へ動かし、足をペダルに載せた。背もたれを起こしてから、左右のミラーを調整する。
「いつもゲームじゃ、この辺やらないもんね」
「ペダル、届く?」
「届く。直人より脚短いけど」
「そこまで言ってないだろ」
笑った彼女が、ハンドルを握り直した。
エンジンをかけると、顔つきが変わった。前を見たまま、足元を確かめている。
「ブレーキ踏んで、ドライブでいいんだよね」
「ああ。踏んだまま切り替えて。最初はアクセル使わなくていい」
美緒がブレーキを緩めた。
車がゆっくり動き出す。
「動いた」
「前見て」
「見てる」
白線を1本越え、次の区画まで進んだところで、美緒がブレーキを踏んだ。車体が前へ傾き、俺もシートの上で少し揺れる。
「ごめん」
「大丈夫。もう少しゆっくり踏めばいい」
何度か進んで止まるうちに、最後の揺れが小さくなった。
次は駐車場の中を回った。右へ曲がるとき、美緒は早くハンドルを切りすぎた。俺が縁石を指すと、彼女は止まってから切り直した。
「思ってたより長いね、この車」
「後ろもあるからな」
「直人、ゲームだと平気で角ぎりぎり走ってたけど」
「今は俺もやらないよ」
1周して戻る頃には、彼女の肩が少し下がっていた。
「駐車もやっていい?」
「いいけど、俺が外で見る」
車を止め、美緒がブレーキを踏んでいることを確かめてから降りた。
開いた窓越しに、広い区画を指す。
「ここへ、後ろから入れてみよう」
美緒は頷き、ゆっくり車を動かした。
俺は車の進路から離れ、手で方向を示した。途中で一旦止めてもらい、窓へ近づく。
「もう少し右へ切って。それで、後ろ見ながら下がる」
「わかった」
何度か切り返し、ようやく区画へ収まった。
左右の白線の間には入っていたが、車体は斜めだった。
美緒が窓から顔を出す。
「どう?」
「入ってる」
「曲がってる?」
「ちょっと」
彼女は駐車ブレーキをかけ、降りてきた。後ろへ回って車を眺め、口元を押さえる。
「ちょっとじゃないじゃん」
「ぶつけてないから、最初はいいだろ」
「もう1回」
彼女が運転席へ戻る。
3回目には、まっすぐ停められた。
美緒は車を降り、白線との隙間を左右で見比べた。それから俺へ振り向いた。
「これならいい?」
「いい。俺より丁寧だよ」
「本当?」
「昨日、家で斜めに停めた」
彼女は満足そうに頷き、運転席のドアを閉めた。
*
練習のあと、公園のベンチで少し休んだ。
美緒は買ってきた飲み物を開けると、半分ほど続けて飲んだ。
「疲れた。手、すごく力入ってた」
「今日はここまでにするか」
「道も、少し走りたい。家までとか」
俺は駐車場の先を見た。
公園から住宅街へ戻る道は広く、交差点も少ない。最後の坂まで行けば、自宅はすぐだった。
「じゃあ、帰りは運転してみるか。川はまた今度」
美緒は頷いた。
俺も飲み物を開け、海へ目を向けた。遊歩道を歩く人が、木陰で足を止めている。ベンチはあるが、どれも海へ向いていて、日がよく当たっていた。
「あそこ、ベンチ動かした方がいいね」
美緒も同じ場所を見ていた。
「暑そうだな」
「うん。海を見せたかったんだろうけど、あの木の下からでも見えるよ。荷物置ける台も、横にあったら便利」
ここをつくったのは俺だった。ベンチを海へ向けて並べ、道との間隔を揃えた。画面の上から見ていたときは、それで綺麗に整ったと思っていた。
俺は管理画面を開いた。
「1つ、動かしてみる?」
「今できるの?」
「できる。誰も座ってないやつで」
対象を選び、木陰へ移す。配置を確定すると、ベンチが新しい場所へ移った。
美緒は飲み物を持って立ち上がった。
「座ってみよう」
2人で移動し、木の下へ座った。日差しが遮られ、風が吹くと頭の上で葉が鳴る。海も見えた。
美緒は少し体を左右へ動かし、景色を確かめた。
「こっちの方がいい。あと、道から来る人が通れるように、少しだけ奥」
もう1度調整してから座り直すと、前を通る人とも距離が取れた。
「これなら、子供が走ってきても足に当たらないね」
俺は配置を保存した。
美緒が飲み物をベンチの脇へ置こうとして、やめた。
「やっぱり台も欲しい」
「今度つけよう。今日は、お前が家まで運転するんだろ」
「あ、そうだった」
*
帰り道、美緒は制限速度よりゆっくり走った。
後ろから来た車を先へ行かせ、交差点では左右を何度も見る。坂へ入るとき、助手席の俺に聞いた。
「この先、対向車見えにくいよね」
「少し見えにくい。左へ寄りすぎないようにな」
彼女は頷き、速度を落とした。
坂の曲がり角を抜けると、自宅の屋根が見えた。門を通り、ガレージの前で車を止める。
「ここから代わって。柱が近い」
「わかった」
無理をしないのは、いいと思った。
俺が車をしまっている間、美緒は外で待っていた。エンジンを止めると、運転席の窓へ近づいてくる。
「どうだった?」
「ちゃんと帰ってこられたな」
「手、まだちょっと震えてる」
見せられた指は、それほど揺れていなかった。それでも、本人にはわかるのだろう。
「次も、広いところからやろう」
「うん。今度は、駐車も自分でやる」
家に入り、冷蔵庫からサンドイッチを出した。
食卓へ並べると、美緒は椅子に座るなり大きく息を吐いた。俺も向かいへ座り、パンを1切れ取る。
「川、行けなくてごめんね」
「また行けばいいだろ。今日はベンチも直したし」
「あそこ、帰りに人が座ってたよ」
「見てたのか?」
「信号で止まってるとき。犬連れた人」
俺はそのとき、彼女が道へ出られるかばかり気にしていた。
美緒はサンドイッチをかじり、窓の外へ顔を向けた。
「直人の車、私も運転できたね」
「次は、洗車も頼む」
「それは自分でやって」
即答され、俺は笑った。
食べ終わる頃、美緒がテーブルへ手を伸ばした。車の鍵を取るのかと思ったら、その横に置いた地図を引き寄せる。
「次、どこまで運転してみようか」
彼女の指が、今日走った海沿いの道をゆっくりたどった。
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