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サービス終了した箱庭ゲームが、俺の部屋の壁で続いている ~彼女と楽しむこの街が、終末の東京で帰る場所になった~  作者: オレンジペコ


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第37話 あの川へ行こう

 入口の向こうで、カーテンが揺れていた。


 美緒の部屋は、俺たちが最後に出たときのままだった。床に落ちたものも、開け放した扉も、その位置を変えていない。奥の廊下から物音がしないか、しばらく耳を澄ませたが、聞こえてきたのは窓を鳴らす風だけだった。


「誰もいないね」


 隣で美緒が言った。


「今はな。廊下までは見えない」


 学校の入口は、もうない。外へ出る必要が生じたとき、どこから戻るか。父娘を迎えた今、その場で考えているわけにはいかなかった。


 俺は入口越しに見える範囲を確かめ、美緒と顔を見合わせた。


「窓から通りを見たら戻る。廊下には出ない」


「うん。私、ここで待ってる」


 部屋へ足を踏み入れると、鼻の奥に埃の匂いが入った。


 すぐに足を止め、耳を澄ませる。隣の部屋も、廊下も静かだった。割れ物を踏まないよう床を確かめながら進み、窓の横へ身を寄せる。カーテンは動かさず、その隙間から下を見た。


 通りの真ん中に、車が斜めに止まっていた。運転席の扉が開き、道路へ突き出している。少し先の店はシャッターが半分下りていて、その下に、何かの箱が散乱していた。


 歩道を、一人の男が歩いていた。


 片方の靴を履いていない。裸足の足を引きずり、止まっている車に肩をぶつけても、避けようとしなかった。そのまま車体に沿って進み、開いた扉に行く手を塞がれると、そこへ手を掛けた。


 俺は窓から離れた。


 通りを歩けば、あの男に見つかる。車の陰や店の中にも、まだいるかもしれない。入口から道路へ出るまで無事でも、その先が使えるとは限らなかった。


 部屋の中をもう一度見渡し、足音を抑えて戻る。美緒が、俺の帰る場所を空けて待っていた。


「どうだった?」


「道に車が残ってる。ゾンビもいた。ここから出れば安全、とは言えないな」


 美緒は部屋の窓へ目を向け、それから俺を見た。


「しばらく、外で何かしようとは考えない方がよさそうだね」


「必要なときは、先に見てから決めよう。静かだから大丈夫ってことにはしない」


 入口の向こうのカーテンが、また膨らんだ。


 俺たちは確認を終え、家へ戻った。


     *


 長谷川さんの家へ迎えに行くと、玄関先で結衣が待っていた。足元には小さなじょうろがあり、昨日選んだ服の袖が、片方だけまくれている。


「お花、買いに行く?」


「行くよ。そのじょうろも持っていくの?」


 美緒が尋ねると、結衣は取っ手を握り直した。


「買ったら、お水いるから」


 長谷川さんが後ろから出てきた。


「帰ってからで大丈夫だよ。お店から家までは、枯れたりしないから」


 結衣は少し考え、じょうろを玄関の内側へ置いた。ただし、すぐ使えるように、靴の隣へ。


 店で花を選ぶ間、結衣は鉢の前を何度も往復した。黄色い花を見ていたかと思えば、隣の白い花へしゃがみ込む。長谷川さんも一緒にしゃがみ、娘が指さす先を一つずつ見ていた。


「二つにするか?」


「いいの?」


「庭に置けるからね」


 結衣は黄色と白の鉢を選んだ。


 帰ると、待ち構えていたじょうろを取りに走り、父親と並んで庭へ出た。俺たちは玄関脇に立ち、二人が鉢の位置を決めるのを眺めた。


「もう少し離した方がいいか」


「ここ。お部屋から見える」


 結衣が窓を指さす。長谷川さんは鉢を持ち直し、娘の言う場所へ置いた。


 水を注ぐときは、二人でじょうろを支えた。結衣が傾けすぎる前に、父親がそっと止める。土へ落ちる水を見ながら、娘は真剣な顔をしていた。


「明日もやる?」


「土を見てから決めよう。毎日たくさんやると、花が困るんだ」


「じゃあ、明日も見て」


「ああ。一緒に見よう」


 美緒が、俺の隣で小さく笑った。


 朝、窓から見た通りのことを、俺はようやく考えずに済んだ。


     *


 昼食のあと、結衣は美緒のそばに座り、街の地図を見ていた。


 自分の家を見つけると、指でそこを押さえる。次に俺たちの家を探し、二つの間をなぞった。


「ここ、歩いた」


「そう。お花を買ったのは、この辺」


 美緒が教えると、結衣はうなずき、今度は街の外側へ目を向けた。建物の少なくなる辺りに、川が描かれている。


「ここも行ける?」


 美緒の指が止まった。


 俺も、その場所を見た。


 川沿いのキャンプ場。ゲームが終わる夜、最後に二人で行った場所だった。


「……行けるよ」


 美緒はそう答えてから、俺へ顔を向けた。


「直人。あそこ、行かない?」


 俺たちは街へ入れるようになってから、いろいろな場所を歩いた。食べたいものを探し、家を使い、外へ出るための準備もした。


 あの川へは、まだ行っていなかった。


「キャンプか」


「うん。四人で」


 結衣がすぐに長谷川さんを振り返った。


「お父さんも?」


「私も行っていいのかな」


「一緒に来てください。荷物は俺たちで運びますから」


 俺が言うと、長谷川さんは包帯の巻かれた腕を見て、苦笑した。


「テントを張るくらいは、手伝いたいけどね」


「椅子に座って、結衣ちゃんと応援してください」


 美緒に言われ、結衣が両手を上げた。


「がんばれって言う」


「それは、途中で休みにくいな」


 俺が言うと、美緒まで笑った。


 出発は明日になった。


     *


 午後、俺と美緒は道具をそろえた。


 テント、椅子、寝袋。調理道具を台の上に並べていくと、美緒が大きな鍋を持ち上げた。


「何人分作るつもり?」


「余裕があった方がいいかと思って」


「四人だよ。結衣ちゃんの分も、大人一人分に数えてるでしょ」


 小さい鍋に替え、食器も使う分だけまとめる。それから美緒は、明るいランタンを一つ手に取り、別の灯りと見比べた。


「食事のときは、こっち。寝る方は、もう少し暗くできるのがいいね」


「全部明るい方が便利じゃないか?」


「寝ようとしたら、まぶしいよ。あと、焚き火を見るのに周りが明るすぎるともったいない」


 ゲームの中でも、美緒はこういうことを考えていた。


 俺が使えるものを増やすと、美緒が置き場所を変える。それだけで、何となく集まっていた道具が、そこで過ごすための場所になった。


 翌朝すぐ積めるよう荷物をまとめ、最後に折り畳み椅子を四脚並べた。


 美緒がその一つを開き、座り心地を確かめる。


「今度は、座れるんだね」


 俺も隣の椅子を開いた。背もたれに体を預けると、布が沈み、金具が小さく鳴った。


 あの夜は、画面の中の二人が座っていた。俺たちは別々の部屋にいて、同じ焚き火を見ていた。


「煙、こっちに来たら逃げないとな」


「直人の方に椅子動かす」


「俺を風よけにする気か」


「頼りにしてる」


 美緒は笑い、膝の上で両手を重ねた。


 しばらく、二人で何もない場所を見ていた。明日、そこには川があって、火があって、父娘の話し声がある。


「明日、晴れるといいね」


 美緒が言った。


 俺はうなずき、隣に並んだ椅子を見た。


 今度は、彼女がそこに座る。

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