第24話 明日も、ここで遊ぼう
パン屋へ行くと話したら、結衣が自分の靴を持ってきた。
「車で行く?」
「うん。広場の店まで」
俺が答えると、結衣は玄関へ座った。片方を履き、もう片方へ足を入れる。踵が折れていたので、美緒が指で直してやった。
「今日は外で食べようか。お天気いいし」
結衣が頷いた。
黄色いシャツの上へ薄い上着を羽織り、3人で車へ乗る。結衣は後部座席で美緒の隣に座った。
走り出してしばらくすると、窓の外を指す。
「あそこ、昨日通った」
「服を買いに行った道だな」
「うん。お姉ちゃん、あの赤いの、覚えてる?」
美緒が顔を寄せた。
「お店の看板?」
「そう。アイスの絵」
「帰りも通るから、見ておこうね」
俺はミラーで2人を見た。
結衣が窓へ向き直り、次の店を探していた。
*
広場の近くへ車を停めた。
噴水の水音が聞こえ、パン屋の扉は開いている。店の前で袋を持ち直していた人が、俺たちを通してくれた。
結衣は美緒と手をつなぎ、噴水を見ていた。
「お水、いっぱい出てる」
「近くで見てみる?」
美緒が聞くと、結衣は頷いた。
縁のそばまで行き、水の落ちるところを覗く。風が吹くと細かな水がこちらへ飛び、結衣が顔を引いた。
美緒も少し後ろへ下がった。
「かかった?」
「ちょっと」
結衣が袖で頬を拭いた。
「パン、買ってくる。ここで待ってて」
俺が言うと、結衣が振り返った。
「丸いの?」
「ああ。ほかに食べたいのがあったら、あとで一緒に選ぼう」
店に入り、パンを3人分買った。
出てくると、2人は木陰のベンチに座っていた。美緒が結衣の上着を脱がせ、膝へ畳んでいる。
その向こうで、子供が3人遊んでいた。
ボールを投げ合い、取れなかった子が追いかける。勢いよく拾って投げ返すと、今度は別の子の横を抜けた。
結衣はその様子を見ていた。
俺が隣へ座り、パンを渡す。
「これ、結衣ちゃんの」
「ありがとう」
両手で受け取り、端をかじった。目はまだ子供たちの方へ向いている。
小さな男の子が投げたボールが、石畳へ当たった。
何度か跳ね、俺たちのベンチの方へ転がってくる。
結衣が足を引いた。
ボールはベンチの脚へ当たって止まった。
「ごめんなさい!」
女の子が走ってきた。
結衣が美緒を見た。美緒は頷き、食べかけのパンを受け取る。
結衣は椅子から下り、ボールを拾った。
「はい」
「ありがとう」
女の子は受け取りかけて、結衣の顔を見た。
「一緒にやる?」
結衣はすぐには返事をしなかった。
美緒へ振り返り、服の裾へ手を伸ばす。
「お姉ちゃん」
「行っておいで。ここで見てるから」
「お兄ちゃんも、いる?」
「いるよ。パン食べて待ってる」
俺が答えると、結衣はボールを女の子へ渡した。
「やる」
女の子が笑い、広場の端へ向かった。結衣も後をついていく。
*
子供たちは、噴水と反対側の空いたところへ集まった。
女の子が結衣へ何か説明している。結衣は頷き、両手を前へ出した。
ボールが飛んできた。
胸へ当たって落ちる。
結衣が慌てて拾うと、女の子が近づいた。さっきより短い距離で、もう1度投げる。
今度は取れた。
結衣がベンチへ顔を向けた。
美緒が手を上げる。俺も頷いた。
結衣はボールを投げ返した。少し横へそれたが、相手の子が走って取る。
「今の取れたね」
美緒が言った。
「ああ」
俺は袋からパンを出し、彼女へ渡した。
美緒は受け取ったが、まだ食べなかった。結衣が自分の方へ飛んできたボールを追い、広場の端へ寄っていく。
彼女が腰を浮かせた。
結衣は石畳の切れるところで止まり、ボールを抱えて戻ってきた。
美緒が座り直す。
「そんなに見てたら、パン冷めるぞ」
「うん」
ようやくひと口食べた。
俺たちから子供たちまでは、声が届く距離だった。ここをつくったとき、美緒が噴水を中央からずらしたので、ベンチの前に広い場所が空いている。
ボールを持った男の子が、結衣へ声をかけた。
結衣は何か答え、少し横へ移動した。
次にボールが上がると、彼女が手を上げた。
「こっち!」
美緒がパンを口元で止めた。
ボールは結衣の手を抜けた。後ろへ転がったものを追い、別の子と並んで走る。
2人とも取ろうとして、同じところへしゃがんだ。
結衣が笑った。
離れていても、その声は聞こえた。
美緒が俺を見た。
「笑ったね」
「うん」
俺は膝へパンの袋を置いた。
結衣はボールを譲り、相手の子と一緒に戻ってきた。さっきより歩く距離が近くなっていた。
*
しばらくして、結衣がベンチへ走ってきた。
息が少し上がり、頬が赤い。
「お水、飲んでいい?」
「もちろん」
美緒がボトルを出し、蓋を開けた。
結衣は飲んでから、手の甲で口元を拭く。俺が残していたパンを見せると、隣へ座った。
「楽しい?」
美緒が聞いた。
結衣が頷く。
「あの子、ミナちゃん。私と同じ8歳」
「そうなんだ」
「青い服の子は、6歳だって。投げるの強いんだけど、違う方に飛ぶ」
そう話している間にも、ボールが遠くへ転がった。
結衣が指を差す。
「ほら」
俺が笑うと、結衣も笑った。
パンを食べ終え、ボトルを返す。
「また行っていい?」
「ああ。走りすぎて疲れたら、休みに来てな」
「うん」
結衣は椅子から下り、広場へ戻った。
美緒が上着を畳み直した。俺は空いた袋をまとめる。
「来てよかったな」
言うと、美緒が頷いた。
「うん。朝は、誘っていいか少し迷った」
俺も同じだった。
家なら落ち着いて過ごせる。でも、俺たちとだけ話して1日を終えるのが、この先ずっと続いていいのかはわからなかった。
結衣が男の子へボールを渡している。
その子が投げる前に、少し後ろへ下がり、両手を構えた。
*
昼を過ぎると、子供たちを迎えに来る人が増えた。
ミナという女の子の母親も、広場の入口から声をかけた。
女の子が手を上げて返事をする。
結衣はその横に立ち、2人が話すのを見ていた。
俺はベンチから立った。
美緒も結衣の上着を持つ。
女の子が結衣へ何か言った。
結衣は少し考えてから、俺たちの方へ走ってきた。
「明日も、ここ来ていい?」
「ミナちゃんと約束する?」
美緒が聞いた。
「うん。お昼の前、また遊ぶって」
俺は美緒を見た。彼女が頷いたので、結衣へ答えた。
「来ようか。明日も、パン買って」
結衣の顔が明るくなった。
女の子のところへ戻り、2人で手を振り合う。ミナが母親と歩き出すと、結衣は見えなくなるまで立っていた。
俺たちはそのそばへ行った。
「帰ろうか」
美緒が上着を広げる。
結衣は腕を通しながら、俺へ顔を向けた。
「お兄ちゃんも、ボール取れる?」
「たぶん」
「じゃあ、今度やろうね」
「練習しておくよ」
彼女は満足そうに頷いた。
*
帰りの車で、結衣は遊びのルールを説明した。
「最初は落としてもいいの。でも、次は、落としたら1回お休みで」
美緒が隣で聞いている。
「結衣ちゃんは、お休みになった?」
「なった。でも、ミナちゃんもすぐ落としたから、一緒に待った」
俺はミラーで見た。
結衣が両手を動かし、どんなふうに投げたのか話していた。
「あとね、6歳の子は……」
そこで言葉が止まる。
美緒が顔を覗いた。結衣は瞬きを何度かして、窓の外へ目を向ける。
「眠い?」
「眠くない」
「そっか」
美緒は笑わずに頷き、結衣の膝へ上着を掛けた。
次の信号へ着く頃には、彼女の頭が美緒の腕へ寄っていた。
俺は速度を落とし、できるだけ車が揺れないように曲がった。
家へ着いても、結衣は起きなかった。
美緒が小さく呼びかけると、目を少し開ける。
「帰ったよ。お部屋で寝よう」
俺が後ろのドアを開けると、結衣が腕を伸ばした。抱き上げて家へ入り、美緒が先に寝室の扉を開く。
ベッドへ下ろしたところで、結衣が俺の袖を掴んだ。
「明日……」
「広場、行くよ」
答えると、彼女は手を離した。
美緒が靴を脱がせ、薄い布団を掛けた。
俺たちは部屋を出た。食卓にあった色鉛筆の箱を端へ寄せながら、結衣が「こっち」と呼んだ声を思い出した。
車へ忘れていた水のボトルを取りに行き、洗っておいた。明日も持っていけるよう、結衣の席へ置いた。
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