第23話 卵焼きのつくり方
卵焼きは、思っていたより難しかった。
朝、結衣が起きてくる前につくっておこうと、俺は台所へ立った。卵を割り、砂糖を入れ、箸で混ぜる。
四角いフライパンもあった。道具が揃っていれば何とかなると思ったが、薄く流した卵は、巻こうとすると破れた。
剥がそうとしている間に、底が茶色くなる。
「火、強くない?」
後ろから美緒の声がした。
振り向くと、寝間着のまま台所を覗いていた。
「そうかもしれない」
「少し弱めよう。私、結衣ちゃんに呼ばれて起きた」
彼女の後ろに、黄色いシャツの結衣が立っていた。
俺が顔を向けると、美緒の脇から小さく手を振る。
「おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
結衣が頷いた。
「卵焼き、できた?」
俺はフライパンを見た。
巻いたというより、寄せ集めた卵が端にあった。
「今、1つ目」
美緒が隣へ来て、覗き込む。
「これは、これで食べよう。次のつくろうか」
結衣も見たそうに背伸びしたので、俺は火を止め、皿へ移してから見せた。
端が焦げ、真ん中が裂けている。
彼女は少し考えた。
「お母さんも、失敗するよ」
「そうなのか」
「くっついたら、卵ご飯になる」
美緒が笑った。
「じゃあ、これは直人の卵ご飯だね」
「パンしか出してないんだけど」
「ご飯もあるよ」
俺は皿を食卓へ運んだ。見た目は悪いが、少し食べると味は甘かった。焦げたところを避ければ、食べられそうだった。
*
次は、美緒がフライパンを持った。
俺が卵を混ぜ、結衣は食卓の椅子から見ている。
「砂糖、このくらい?」
小さな匙へ入れて見せると、結衣が首を傾げた。
「お母さん、小さいスプーンで2つ入れる」
何個の卵に対してなのかは、わからなかった。
俺は少しだけ足し、よく混ぜた。
美緒が薄く流す。卵が固まり始めたところで端を返すと、今度は巻けた。
「お姉ちゃん、できた」
「まだ最初だけ。次が難しいんだよ」
卵を寄せ、空いたところへ油を引く。
俺が残りを少しずつ注ぎ、美緒が巻いた。途中で脇が裂けたが、次の卵で包むと見えなくなった。
皿へ移す。
さっきのものより、ちゃんと卵焼きだった。
美緒が切り分け、ひと切れを小皿へ載せる。熱が引くまで待って、結衣の前へ置いた。
結衣は箸で持ち上げ、端をかじった。
俺も美緒も、その顔を見ていた。
「どう?」
美緒が聞く。
「おいしい」
結衣はもうひと口食べた。それから、少し迷うように俺たちを見る。
「でも、お母さんのは、もっと甘い」
「じゃあ、次は少し増やそう」
俺が言うと、結衣が頷いた。
俺と美緒も食べた。柔らかく、砂糖の甘さが残る。普段、自分でつくるのは塩を振った目玉焼きくらいだった。
「こういう朝飯、久しぶりだな」
「私も」
美緒が結衣の皿へ、もうひと切れ置いた。
結衣はそれを食べてから、俺の皿を指した。
「お兄ちゃんのも、食べる?」
「これは俺が食うよ。次につくるときの参考にする」
焦げたところを切り、美緒にも少し渡した。
彼女は食べて、俺を見た。
「味は、こっちの方が甘いね」
結衣が俺の皿へ手を伸ばしかけた。
小さく切って渡すと、かじって頷いた。
「この味で、お姉ちゃんがつくったらいい」
俺は箸を置いた。
「役割、決まったな」
美緒が笑い、結衣も口元を緩めた。
*
朝食のあと、美緒が結衣の髪をとかした。
昨夜洗った服は、乾いていた。ベランダへ干す必要がなく、家の中で洗濯まで済ませられる。
結衣は椅子へ座り、髪を引かれるたびに少し首を動かした。
「痛かった?」
「ちょっと」
「ごめん。毛先からやるね」
美緒が手で髪を支え、とかし直す。
俺は食器を洗いながら、壁の窓へ目を向けた。
朝の電話を、まだ試していなかった。
「あとで、美緒の部屋から連絡しようか」
俺が言うと、結衣がこちらを見た。
「外、行くの?」
声が小さくなった。
美緒が髪をとかす手を止める。
「電話を掛けに行くだけだよ」
「私も?」
俺は蛇口を止めた。
結衣を現実へ連れ出すつもりはなかった。でも、美緒と2人で電話をしに行けば、この家には結衣しか残らない。
「今日は、俺だけ行ってくる」
美緒が俺を見た。
「私の家にも?」
「ああ。つながったら、まだ呼び出す前に一度切って戻る。お前と代わるよ」
彼女が頷いた。
結衣は美緒の袖へ手を置いた。
「お姉ちゃん、いる?」
「いるよ。終わったら、こっちで何をするか決めよう」
結衣がようやく椅子へ座り直した。
*
現実へ出る前に、俺は美緒の部屋を確認した。
玄関は閉まり、室内にも誰もいない。外の音を聞いたが、近くに足音はなかった。
移動してスマートフォンを見る。
時計の分表示が変わったところを覚え、実家へ電話した。
今日もつながらなかった。
美緒から聞いた番号にも掛けたが、同じ案内が流れた。メッセージを送ろうとしても、失敗する。
机へ腰を掛け、少し待った。
窓の外で鳥が鳴いた。
俺は時計を見た。
2分が過ぎている。
それでも、街で結衣たちが何日も待っているわけではなかった。美緒と結衣が残っているから、向こうでも同じ2分だ。
もう1度だけ父へ掛け、電話を切った。
街へ戻ると、結衣が玄関の方を向いて座っていた。
「帰ったよ」
俺が言うと、彼女が立ち上がった。
美緒が台所から顔を出す。
「どうだった?」
「駄目だった。メッセージも送れない」
「そっか」
彼女は持っていた布巾を置いた。
結衣が俺の前まで来た。
「お兄ちゃん、また行く?」
「今日は、夜にもう1回電話する。それまでは、ここにいるよ」
結衣が頷いた。
俺は膝を曲げ、目線を合わせた。
「結衣ちゃんは、電話のために外へ行かなくていいからな」
「うん」
彼女が自分の席へ戻る。
美緒は俺の隣へ来て、小さく言った。
「次は私が行く。直人、こっちで待ってて」
「ああ」
*
昼前、3人で庭へ出た。
結衣は玄関ではなく、リビングの窓から出られることに気づき、美緒に聞いていた。
「ここも、開けていいの?」
「いいよ。庭に出るときは、私たちに声をかけてね」
結衣が靴を履き、鉢のそばへしゃがむ。
「これ、お姉ちゃんが植えたの?」
「そう。色、気に入って買ってきた」
黄色い花へ顔を近づけ、結衣が匂いを嗅いだ。
俺はじょうろへ水を入れた。
「少し、やってみる?」
結衣が手を出したので、持ち手を渡す。重すぎないよう、水は少なくしてある。
彼女は鉢の縁へ口を向けた。
「葉っぱにかける?」
「土のところ。ゆっくりでいいよ」
水が細く落ちた。
結衣は鉢を1つずつ見て、同じようにかけていく。途中で美緒が支えたが、最後まで自分で持っていた。
「明日もやる?」
俺が聞くと、結衣が頷いた。
「やる」
「じゃあ、朝ご飯のあとにしよう」
じょうろを受け取り、壁際へ置いた。
結衣は少し離れてから、花へ振り返る。
「明日の卵焼きも、甘いのがいい」
美緒が笑った。
「今日より甘くするね」
俺は台所へ戻り、朝使った砂糖の量を書いておいた。その横に、美緒が「もう少し増やす」と書き足した。
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