第8話 知らない浜辺
朝の海は、昨夜の出来事など何一つ知らないように静かだった。
雲一つない空から強い日差しが降り注ぎ、透き通った波が白い砂浜へ寄せている。青緑色に輝く水の中では、小さな魚が細い影を引きながら泳いでいた。
椰子の葉は穏やかな風に揺れ、砂の上では小さな蟹が巣穴を出入りしている。島には強い雨さえ降らなかったのか、葉の上にも地面にも、昨夜の嵐を思わせる跡はほとんどなかった。
ただ、海から運ばれてきた物だけが、いつもの朝とは違っていた。
折れた枝、見慣れない布、蓋の割れた籠。海藻の絡みついた細い板が、波打ち際に沿って点々と転がっている。
少年は、それらを拾うために浜辺へ来ていた。
年は六つほどで、日に焼けた肌は濡れた砂に似た褐色をしている。黒い髪は潮と日差しで毛先だけ淡い茶色に抜け、額や頬へ無造作にかかっていた。
まだ幼い顔には長い睫毛とすっきり通った鼻筋があり、村の大人たちからは母親によく似ていると言われている。しかし本人が気にしているのは自分の顔よりも、浜辺に落ちている漂着物だった。
使えそうな紐や流木を見つけるたび、肩から提げた網袋へ入れていく。海の向こうから来た物には、村では見たことのない形や色のものがあり、少年にとって浜辺は宝探しの場所でもあった。
砂浜の端まで来たところで、沖から白い物が近づいてくるのが見えた。
最初は、大きな箱だけだと思った。
波に押されるたび白い角が砂へ乗り上げ、引き波にさらわれてまた海へ戻る。その上に、黄色い布のようなものが載っていた。
少年は眩しそうに目を細めた。
黄色いものから、小さな腕が垂れている。
網袋を砂の上へ放り出し、少年は走った。
裸足が砂を蹴り、浅瀬へ飛び込む。腿まで水につかりながら白い箱をつかみ、波が岸へ向かう力に合わせて懸命に引いた。
箱の上にいたのは、自分よりも小さな女の子だった。
見たことのない服を着て、黄色いものを身につけている。濡れた黒髪が顔を覆い、日に焼けていない白い手には細かな傷がいくつもあった。
少年は息を呑んだ。
少女は動かなかった。
海が運んでくるものの中には、触れてはいけないものもある。死んだ魚や鳥、海の向こうで使われていた壊れた道具。分からないものを勝手に持ち帰るなと、大人たちから何度も言われていた。
けれど、この少女を置いて逃げるという考えは浮かばなかった。
少年は恐る恐る膝をつき、少女の肩へ触れた。濡れた身体は冷たく、島の言葉で呼びかけても反応がない。
どうすればよいのか迷った末、少年は以前、大人が溺れた者を助けたときの姿を思い出した。少女の鼻と口へ耳を近づけ、自分の息を止めて待つ。
ほんの微かに、温かい息が頬へ触れた。
生きている。
少年は顔を上げ、村へ続く木々の方を振り返った。
怪我をした者や熱を出した子どもを診ることのできる老女がいる。どの傷へどの葉を当てればよいのかも、毒のある魚に刺されたとき何を飲ませればよいのかも知っている人だった。
少年は少女が波に戻されないよう、救命胴衣につながったロープを浜辺の太い流木へ結びつけた。
「ここにいろ。すぐ戻る」
島の言葉で呼びかけたが、少女には届かなかった。
走り出した少年は、数歩進んだところで足を止めた。少女が目を覚ましたとき、知らない浜辺に一人きりでは怖がるかもしれない。
迷った末、少年は網袋から白い巻き貝を一つ取り出し、少女の手のそばへ置いた。自分が戻ってくるまでの目印にするつもりだった。
少女の服についた小さな鞄の中にも、よく似た白い巻き貝が入っていることを、少年はまだ知らなかった。
強い朝日を浴びながら、見知らぬ少女は白い箱の上で眠っている。その姿は、海が大切なものを壊さないよう、箱へ載せて運んできたようにも見えた。
少年は今度こそ村へ向き直り、足がもつれそうなほどの速さで走り出した。




