第15話 海へ帰る
海は、澪が家族と船に乗った朝と同じくらい青かった。
岸近くの水は透き通り、白い砂の上を小さな魚が群れになって泳いでいる。空には薄い雲が浮かび、穏やかな波が一定の間隔で浜辺へ寄せていた。
あの夜、父と母を飲み込んだ海とは、とても思えなかった。
「ママ!」
澪は荷車から身を乗り出した。
「パパ! みお、ここだよ!」
返事はない。
澪は巻き貝を握ったまま荷台から下りようとした。ナイラが抱き留めようとしたが、澪はその腕の中で激しく身をよじった。
「おろして! ママとパパ、あそこにいるの!」
意味の分からないナイラは困った顔でテヴァを見た。
テヴァは二本の指を立て、片方を「ママ」、もう片方を「パパ」と呼ぶ。それから両手で荒れ狂う波を表し、指を沖へ向かって動かした。
「この子の母さんと父さんが、海にいるみたいなんだ」
テヴァの説明を聞き、ナイラは腕の中にいる澪を見下ろした。
「この海の、どこかに?」
「たぶん。ミーオは二人を探したいんだ」
テヴァが沖を指さすと、澪は何度もうなずいた。
「ママ、パパ! さがして!」
言葉が伝わったと思ったのか、澪はナイラの服を両手でつかんだ。
「Please, help them!(お願い、二人を助けて!) ママとパパ、おみずのなかにいるの。はやくしないと、さむいの!」
昨夜の冷たい海を思い出したのか、澪の身体が震え始めた。
ナイラは澪を砂の上へ下ろした。
途端に澪は波打ち際へ向かって走り出した。まだ足に力が戻っておらず、砂に取られて何度もよろける。それでも止まろうとはしなかった。
「ママ! いまいくから!」
最初の波が足首へ触れた瞬間、澪の顔から血の気が引いた。
冷たい水が身体を包んだ感覚が蘇る。口へ流れ込んだ塩辛さも、暗い海の中で父の服を探した指先の感触も、何一つ消えてはいなかった。
怖い。
膝が震え、息が浅くなる。
それでも父と母が同じ海にいるのなら、自分だけ岸に立っているわけにはいかなかった。
「ママ……」
澪はもう一歩、海へ入った。
足元の砂が引き波にさらわれ、身体が前へ傾く。
追いかけてきたテヴァが、背後から腰へしがみついた。二人は一緒に浅瀬へ倒れ込み、澪の服が海水を吸った。
「はなして! およいでいくの!」
澪は泣き叫び、砂を蹴った。
「パパが約束したの! 離さないって言ったの! みおを探してるから!」
テヴァには言葉の意味が分からなかった。
それでも、澪がただ海を見たかったのではなく、自分で泳いで両親を探しに行こうとしていることは分かった。
テヴァは澪の前へ回り込み、細い両腕をつかんだ。
「駄目だ! ミーオ!」
「およげるもん! はなして!」
澪はテヴァの胸を何度も叩いた。
テヴァは痛みに顔をしかめながらも手を離さなかった。澪に嫌われることより、再び海へ連れていかれることの方が怖かった。
追いついたナイラが、二人ごと浅瀬から抱き上げた。
砂浜へ戻されると、澪は力が抜けたようにその場へ座り込んだ。
「ママとパパを、たすけて……」
掠れた声で訴え、ナイラの膝へ縋りつく。
「ナイラの、おふねでさがして。おねがい……」
ナイラは答えられなかった。
必ず見つかると約束することも、もういないのだと決めつけることもできない。ただ濡れた澪を抱き寄せ、背中へ腕を回した。
澪は一瞬、身体を強張らせた。けれどナイラの胸へ耳が触れ、規則正しく打つ心臓の音を聞くと、堪えていたものが崩れた。
「ママぁ……パパぁ……!」
ナイラの胸へ顔を埋め、声を上げて泣いた。
ナイラは何も言わず、その髪を何度も撫でた。自分の息子たちが幼かったころ、転んで泣いたときと同じように、泣きやむまで腕を緩めなかった。
やがてテヴァが、海の向こうへ目を凝らした。
珊瑚礁の切れ目から、一艘の小さな漁船が島へ戻ってくる。船尾の機械が低い音を立て、細長い船体の脇には波に耐えるための浮き木が伸びていた。
船に乗っているのは、テヴァの父と年上の兄だった。
「父さん!」
テヴァは立ち上がり、両腕を大きく振った。
「こっちに来て! 海で人を探してほしいんだ!」
風に負けないよう、何度も叫ぶ。
ナイラの腕の中で泣いていた澪も顔を上げ、近づいてくる船を見つめた。
「パパとママ、さがす?」
テヴァは澪の目を見て、強くうなずいた。見つけられるとは言えなかった。
それでも、テヴァは探しもしないまま諦めることだけはしたくなかった。




