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ZERO*MA  作者: とも
第二章 知らない言葉の島

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第11話 マレア


 澪の指が掌へ触れると、老女は皺の刻まれた手をゆっくりと返した。


 強く握るのではなく、逃げたくなればいつでも離せるほどの力で、小さな指を包み込む。


 その手は、見た目よりも温かかった。


 澪は老女の手と顔を何度も見比べた。銀色の髪も、日に焼けた肌も母とはまったく違う。それなのに、床へ座り込んでいる自分を急かさず、ただ待っていてくれたことが、張り詰めていた心をほんの少しだけ緩めてくれた。


 老女は空いている手を自分の胸へ当てた。


「マレア」


「……まれ、あ?」


 澪が不安そうに繰り返すと、老女は目尻の皺を深くしてうなずいた。


「マレア」


 次に老女は、傍らにいる少年を指さした。


「テヴァ」


「テヴァ」


 今度は間違えずに言えた。テヴァが嬉しそうに笑い、自分の胸を何度も叩いてみせる。


 最後に二人の指が澪へ向けられた。


「ミーオ」


 テヴァに呼ばれ、澪は小さくうなずいた。


「みお」


 同じ音を繰り返しただけなのに、それまで知らないものばかりだった部屋の中に、三人分の名前ができた。


 テヴァは老女を指さし、今度は別の言葉を口にした。


「プナ」


 澪が首を傾げると、テヴァは腰を曲げて杖をつく真似をした。あまりに大げさだったため、老女が細い杖でテヴァの尻を軽く叩く。


 テヴァは飛び上がって尻を押さえたが、笑っているところを見ると、本気で痛かったわけではないらしい。


 澪は二人のやり取りを見つめたあと、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 それを見たマレアは、床へ置いていた器を手に取った。


 中には、白く濁った温かな汁が入っていた。魚のだしに柔らかく煮た芋を溶かしたもので、青い葉が細かく刻まれている。湯気とともに塩気のある匂いが漂ったが、澪は警戒して顔を背けた。


「いらない。ママのがいい」


 言葉の分からないマレアは、無理に器を近づけなかった。


 代わりにテヴァを呼び、別の小さな器へ汁を分ける。テヴァは受け取ると、一口すすってから、わざと大きく頬を動かして飲み込んだ。


「おいしいぞ」と伝えるように腹を撫で、澪の方へ笑いかける。


 それでも澪が動かないので、テヴァはもう一口飲んだ。今度は熱かったらしく、慌てて口を開け、手で舌をあおいだ。


 澪の目が、わずかに丸くなる。


 マレアは汁を匙ですくい、何度も息を吹きかけて冷ました。自分の唇で温度を確かめてから、澪の手が届く場所へ器を置く。


 飲めとも、口を開けろとも言わなかった。


 澪はしばらく器を見つめていたが、やがて空腹に負け、震える手で匙を取った。


 一口目は、味がよく分からなかった。


 けれど温かな汁が喉を通り、冷え切っていた身体の内側へ落ちていくと、腹の奥に小さな火が灯ったような気がした。


 澪はもう一口すくった。


 マレアもテヴァも喜ぶ声を出さず、澪が食べる様子をただ黙って見守っていた。


 器の半分ほどを口にしたところで、澪の手から匙が滑った。


「ママ……」


 身体が急に熱くなり、部屋の景色が揺れ始める。マレアが額へ手を当てると、その顔から柔らかな笑みが消えた。


 澪は再び寝台へ運ばれた。


 日が傾くころには熱が高くなり、浅い眠りの中で何度も父と母を呼んだ。マレアは濡らした布を額へ当て、汗をかけば身体を拭き、乾いた布へ取り替えた。


 テヴァは寝台のそばから離れようとしなかった。


 窓から差し込む光が橙色に変わったころ、マレアが家へ帰るよう身振りで促した。テヴァは一度立ち上がったものの、苦しそうに息をする澪を見て、また座り込んだ。


「この子が元気になるまで、手伝わせて」


 澪が眠ったため、テヴァは島の言葉でマレアへ頼んだ。


「お前が見つけたからといって、命まで背負う必要はないよ」


「責任だからじゃない」


 テヴァは眠る澪の手に握られた、桃色の筋がある巻き貝を見つめた。


「目を開けたとき、知らないところに一人だったら怖い。俺の名前だけは覚えてくれたから、起きたときに俺がいた方がいい」


 マレアはしばらくテヴァを見つめていた。


「昼の間だけだよ。家の仕事を済ませて、親の許しをもらってきなさい。ここへ来たら水を汲み、薪を運び、薬草を覚えること。見ているだけでは手伝いとは言わないからね」


「全部やる」


 答えだけは立派な少年を見て、マレアは小さく息を吐いた。


「それなら今日は帰りなさい。明日の朝、この子が目を覚ます前においで」


 テヴァはようやくうなずいた。


 家へ戻る前に寝台へ近づき、眠る澪へ小さな声で呼びかける。


「ミーオ。また明日な」


 言葉は届かなかったはずなのに、澪の指が巻き貝をわずかに握り直した。


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