67話 皆の見る目
模擬戦が終わった翌朝。
「ご、ご主人様。何か不安がおありですか?」
「う、うん。ちょっと、ね。立花さんのことで」
学院へ向かう前、私と凜ちゃんはいつものように、しばしのふれあいを楽しんでいた。
凜ちゃんが私の膝の上にちょこんと座り、私はその身体を包み込むように抱きしめている。
このふれあいも、今ではすっかり日常の一部だ。
私はいつも、凜ちゃんを抱きしめるときには優しく、優しくと心掛けている。けれど、不安や心配事が募っているときだけは、その気持ちを誤魔化すように、無意識のうちに力を込めてしまうことがあった。
そして、凜ちゃんもそれを分かっている。
「た、立花さんですか?」
「うん。雫さんは大丈夫って言ってたけど……やっぱり、昨日負けた腹いせに、私へ何かしてくるんじゃないかって。ちょっと、不安になっちゃって」
雫さんの話では、立花さんは模擬戦のあと、ぶつぶつと呪詛のような言葉を漏らしていたものの、取り乱したり、私に危害を加えようとしたりする様子はなかったらしい。
ただそれは昨日の話であって、一晩明けた今。立花さんの気持ちが変わっている可能性だってある。昨日の敗北を引きずったまま、私に何か酷いことをしてくるのではないか。そんな不安がぐるぐると私の心をかき乱していた。
「だ、大丈夫です! た、立花さんが何かしてきたら、わ、わたしがご、ご主人様を守りますから!」
凜ちゃんはふんふんと鼻息を鳴らし、絶対に私を守るぞ! という強い意気込みが、どこからともなく溢れていた。
「うう……ありがとう。凜ちゃん」
「あ、えへへ~」
私は感謝の気持ちを込めて、凜ちゃんをぎゅーっと抱きしめると共に、撫でまわしたのであった。
*
「あ……」
凜ちゃんと一緒に学院へ向かうため寮を出ようとしていた、そのときだった。食堂から出てきた立花さんと、ばったり鉢合わせた。
立花さんは私の姿を認めた瞬間、ぴたりと足を止める。
「……」
隣にいた凜ちゃんは立花さんを睨んだまま、すかさず私を庇うように一歩前へ立つ。
けれど、立花さんはそんな凜ちゃんの存在など目に入っていないかのように、ただ黙ったまま私を見つめていた。
緊迫した空気の中、立花さんはゆっくりとした動作で、左手で自身の右腕をぎゅっと掴む。私は思わず、そちらへと視線を落とすと、その左手は小刻みに震えていた。
そして、もう一度立花さんの顔へ目を向けると、その赤い瞳が怯えるように震えていた。事実、怯えているかもしれなかった。
「……ちっ」
立花さんは吐き捨てるように舌打ちすると、顔を俯かせたまま、私たちの横を通り過ぎていった。
すれ違いざまに見えたその表情は、何かと激しく葛藤しているかのように、奥歯を強く噛み締めていた。
自室に戻るのであろう立花さんの背中は、あの傲慢で、強気で、勝ち機で、高飛車な面影がほとんど残っておらず、弱弱しかった。
「ひ、光ちゃん。行こ?」
遠ざかっていく立花さんの背中を見つめ続けていた私の服を、凜ちゃんがぴっぴっと引っ張る。
「あ、う、うん」
私は凜ちゃんの促しに頷くと、そのまま凜ちゃんと並んでラウンジを後にしたのであった。
*
がらがらがら。
教室の扉を開けた瞬間、クラスメイトたちの視線が一斉に私たちへ――正確には、私へと集まった。
今まで一度も浴びたことのないような視線に、私は困惑すると同時に、思わずびくっと身体を震わせる。
けれど、それも束の間だった。
クラスメイトたちは次々と席を立つと、まるで私を待ち構えていたかのように、こちらへ駆け寄ってくる。
「神崎さん、凄いよ! あの立花さんに勝つなんて!」
「うんうん! 凄くかっこよかった!」
口々に称賛の言葉を浴びせられる。皆が私を見る目には、尊敬や憧れの色が浮かんでいた。
「神崎さん。ごめんなさい!」
そんな中、一人のクラスメイトが突然、私に向かって頭を下げた。周囲から称賛の声が飛び交う中での突然の謝罪に、私は思わず目を丸くする。
「私、神崎さんが白雪先輩のパートナーになったって聞いたとき、納得できなかった。私も立花さんみたく、何かずるをして強引に白雪先輩とパートナーになったんだって思ってた。けど、昨日の立花さんとの戦いでそれが違うって分かったの。本当に、ごめんなさい!」
「そんな、顔を上げてよ」
頭を下げて謝るクラスメイトに、私は慌てて両手を振りながら、顔を上げるよう促す。
それでも顔を上げようとしない彼女に、私はすかさず彼女の右手を奪い取るようにして両手で包み込む。驚いたように顔を上げた彼女に、私はにこりと微笑む。
「私も、自分で言うのも何だけど、白雪先輩のパートナーになれたこと自体が不思議なくらいだから。そう思われても仕方ないって、私も思ってたよ。だから、謝らなくていいんだよ」
雫さんとパートナーになってから、特に訓練の授業で私の実力を知る一年生の中には、私のことをあまり快く思っていない人が少なからずいることは分かっていた。
だって、向けられる眼差しからありありと憎しみや嫉妬、恨みの感情が伝わってきていたから。
ただ私も雫さんとパートナーになったらこうなる予感はあった。だから、居心地の悪さを覚えることはあっても、なるべく気にしないようにしていた。
それに、私もこの子の気持ちが分かる。
もし私ではなく、別の誰かが雫さんのパートナーになっていたら、きっと私だって、その人に嫉妬したと思う。
自分が憧れている人の隣に、自分ではない誰かがいるのだから。そう思ってしまうのは、決しておかしなことではない。
ましてや、それが学院でもっとも弱いと自覚している私なのだから、なおさらだ。
「むしろ、勇気を出して私にその気持ちを打ち明けた、あなたのその勇気を称賛したいよ」
私がそう思うのは、何も特別なことじゃない。この子は、自分の中に生まれた嫉妬や不満を、隠してしまうことだってできたはずだ。
わざわざ私に話す必要なんてない。 それなのに、この子は逃げることなく、自分の気持ちを私に打ち明けた。
しかも、それを本人に伝えれば、自分の印象が悪くなるかもしれない。それでも、ちゃんと私と向き合って、自分の気持ちを認め、そのうえで謝罪した。
それが、どれほど勇気のいることか。
だから私は、その勇気を素直に凄いと思ったのだ。
「え……あ……あああ、ああ……」
私の言葉を聞いた少女は、沸騰したようにぽっと顔を赤らめた。まるで憧れの人を目の前にしたかのように、声まで震わせ始める。
「えっと……?」
どうしたのだろう。
私が首を傾げていると――、
「あっ……!」
少女は突然、両手で真っ赤になった顔を覆い、私が呼び止めるよりも早く、そのまま足早に廊下へと出て行ってしまった。
「……?」
私は呆然と、その後ろ姿を見送る。
「え、えっと。り、凜ちゃん。わ、私何か今、失礼な事言っちゃったのかな?」
何か気に障るようなことを言ってしまったのではないか。そう思って凜ちゃんに尋ねるけれど、凜ちゃんは何も答えない。
ただ、頬をぷくっと膨らませ、見るからに不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「えっと……凜ちゃん?」
「むう~」
凜ちゃんは唸るような声を漏らすと、まるで私は渡さないとでも意思表示するかのように、私の左腕へ自分の腕を巻きつけ、ぎゅ~っと抱きついた。
どうして凜ちゃんが不機嫌なのかいまいちわからなかった私だが、すぐに、クラスメイト達から、たくさんの称賛と、何故か握手まで求められてしまい、てんやわんや状態になったため、不機嫌の真相は闇へと葬られたのだった。




