68話 師匠の憂鬱
立花さんからのアプローチも特になく、ただ漠然と時間は過ぎ、今は昼食時。
「はあ……立花さんと一緒に任務なんて……はあ。今から憂鬱です……」
師匠は盛大なため息をつきながら、げんなりと肩を落としている。
手に持ったおにぎりを一口食べては、ため息をつく。もう一口食べては、またため息をつく。その繰り返しを、かれこれ十回以上は続けていた。
「絶対に何かがみがみ嫌味を言われるに決まってます。いや、絶対そうです。だって立花さんと任務に行ったことがあるクラスメイトが言うんですから、絶対に四季にも何か降りかかるんです。ああ……! 絶対そうです!」
そうして、師匠は残りのおにぎりを勢いそのままにぱくりと一口。そして、もぐもぐと咀嚼して飲み込むとそのままラウンジの机に突っ伏した。
「げ、元気出してください師匠! 大丈夫です! 立花さんは嫌味何て言いませんよ! たぶん……」
憂鬱な師匠を元気づけようと懸命に励ます私。すると師匠はゆっくりと顔を上げ、ジト目で私を見つめてきた。
「……その『たぶん』、余計ですよ。励ますなら、自信満々に言ってください」
「えっと……元気出してください、師匠! 大丈夫です! 立花さんは嫌味なんて言いませんよ!」
「……言い直したところで、さっきの言葉が帳消しになるわけじゃありませんよ」
「すみません……」
師匠に言われた通り、今度こそ自信満々に言い切ってみたものの、空振りに終わり、むしろ、不機嫌さが増す始末。
元気づけるつもりが、逆に圧のある言葉を突きつけられてしまい、私はしゅんと肩を落とす。
「あ、嵐山さん! せ、せっかくひ、光ちゃんが元気づけようと頑張ってるのに、そ、その言い方はよ、良くないよ! ひ、光ちゃんがか、かわいそうだよ!」
凜ちゃんは、私を庇うように師匠へと食ってかかる。凜ちゃんの怒りを真に受けた師匠はさすがに言い過ぎたと思ったのか、ばつが悪そうに目を伏せた。
「……そうですね。すみません、神崎さん」
「あ、い、いえ。大丈夫です」
師匠はため息を吐き、首を振りながら上体を起こす。
「はあ、任務のことを考えても仕方ありませんね。そういえば、神崎さんも任務でしたね」
「あ、はい。まあ、補欠ですけど」
「ひ、光ちゃん、が、頑張ってね!」
「ありがとう、凜ちゃん。まあでも、私が任務に出るときって人型が相手の時だし、大丈夫だと思うけどね」
今日の私は補欠要員。
しかも、人型を相手にする戦闘要員としての補欠だ。
人型が出現すること自体が、そもそも滅多にない。
以前、雫さんと戦ったあの人型も、実に半年以上ぶりの出現だったらしい。それでも、人型の出現間隔としては早い方で、これまでの統計では一年に一体程度。長いときには、数年に一体しか現れないことすらあるという。
それほどまでに、人型は稀有な存在なのだ。
だからこそ、今日の私が実際に出動する可能性なんて、ほとんどないに等しい。
「神崎さんは、実際に人型と戦ったんですよね? やっぱり、人型って強いんですか?」
師匠は先ほどまでの憂鬱そうな様子も忘れ、人型の強さに興味津々といった様子で尋ねてくる。
「はい。凄く強いです。実際に戦ってみて分かったのですが、身体能力がずば抜けています。本当に、『災厄』と呼ばれるのも納得するくらい……化け物です」
「……分かってはいたんですが、実際に人型と戦った神崎さんの口から直接そう言われると、説得力が違いますね。戦ったことのない四季ですら、神崎さんの言葉の端々から伝わってくる畏怖に、身の毛がよだつ思いですよ」
そう言いながら、師匠は寒さを感じたかのように、両腕の二の腕をさすさすと擦る。
どうやら、実際に戦っていない師匠ですら、人型の恐ろしさを想像してしまったらしい。
「うう……ひ、光ちゃん。よ、よく無事で帰ってきてくれたよ~」
凜ちゃんは私をぎゅっと抱きしめると、うりうりと自分の頬を私の右腕へ押し付ける。そして、改めて私が無事に帰ってこられたことを実感したのか、その目からぽろぽろと涙を零す。
確かに今思えば、よく無事でいられたなと思ってしまう。正直、死んでもおかしくはなかった。
自業自得とはいえ、余儀なく人型と一対一で戦う羽目になってしまった場面があったのだが、今振り返っても、なんであの死線を潜り抜けれたのか――うん、さっぱりわからない。
「確かに、よく無事に帰ってきてくれました。弟子との鍛錬の時間を、大好きな時間をまだ過ごさせてくれるのですから。改めて思います。今のこの一瞬、一瞬を大切にしようって」
師匠は胸に手を当て、噛み締めるように、しんみりと呟く。
私達はいつ死ぬかもわからない、そんな場所にいる。だからこそ、こうして今、当たり前のように過ごせているこの日々が、何よりも尊く感じてしまう。
「……そうですね。本当にそう思います」
私は師匠を見て、そして、抱き着く凜ちゃんを見た後に、凜ちゃんの頭をなでなでする。
凜ちゃんは涙ぐんでいた表情から一変して、にへら~っと表情を崩す。
「じー」
凜ちゃんをなでなでしていると、横から何やら凄まじい視線の圧が。そちらへ目を向けると、師匠がじーっとこちらを見つめている。
正確には、私の左手――凜ちゃんの頭を撫でている、その手を。
まるで睨みつけるように、それでいて食い入るように見つめていた。
「し、師匠、ど、どうかしたんですか?」
「いつも思うんですが、水無月さんってことあるごとに神崎さんに頭を撫でられて、気持ちよさそうにしてますが、水無月さんは曲がりなりにも高校生。『子供っぽいな』とか思わないんですか?」
「ぜ、全然思わないよ!」
凜ちゃんは即答すると、さらにぎゅっときつく私を抱きしめる。
「ひ、光ちゃんのなでなで凄いんだよ! も、もう、凄くて凄いんだよ!」
「……水無月さん。頭を撫でられた衝動で、語彙力まで幼児並みに低下していますよ」
師匠は呆れたように呟いたものの、すぐに興味を示すように私へ視線を向けた。
「しかし、そこまで『凄い、凄い』と絶賛されると、四季としても気になりますね。試しに、四季にも頭を撫でてみてください」
そう言って、師匠はすいっと私の方へ頭を差し出してくる。
「え、ええっと……本当に撫でるんですか?」
「はい、お願いします」
「えっと、じゃ、じゃあ……失礼、します」
私は恐る恐る右手を師匠の頭へと近づけようとした、その時――。
「だ、だめ!」
突然、凜ちゃんが私の右手を強引に自分の方へ引き寄せた。私が凜ちゃんの行動に困惑するのも束の間。
「……どうして、止めるんですか?」
「え、えっと、そ、それは……あ! さ、さっき、あ、嵐山さんは、幼稚だって言ったよね。な、なのに、なんで……わざわざ撫でてもらおうとするのかなって……」
凜ちゃんはしどろもどろになりながらも、必死に言葉を紡ぐ。
「四季、言いましたよね? 好奇心で撫でてもらうって」
「……」
凜ちゃんは師匠の言葉に苦悶の表情を浮かべる。そんな凜ちゃんへ、師匠はさらに追い打ちをかけるように、少しだけ身を乗り出した。
「なんですか? 神崎さんはあなたのものじゃないんですから、止める権利はありませんよ。大丈夫です。別に取って食ったりしませんから」
「そ、それでもダメ。あ、嵐山さんは、ひ、光ちゃんのなでなでの力を知らないんだよ。そ、それを一度でも味わったら最後……も、もう戻れなくなっちゃう。あ、嵐山さんが、なでなでの魔力に侵されたら……わ、わたしの、と、と特権が……」
必死になって訴える凜ちゃん。
そこまで私のなでなでを気に入ってくれているのは素直に嬉しい。
けれど――『なでなでの魔力』だなんて言い方をされると、まるで私が人を惑わす悪者みたいで、少しだけ複雑な気分になる。
「何、意味の分からないことをごちゃごちゃと……。四季はこれでも剣道で全国優勝の肩書があります。剣道で培った精神力があるんです。そんななでなで如きで四季の精神が侵されるわけありません。四季は水無月さんとは違うんです」
師匠は堂々と自信満々に胸を張る。
師匠のその啖呵に私は少しだけムッとしてしまう。別に師匠と張り合いたいわけではない。
……わけではないけれど。
そこまで堂々と言い切られてしまうと、どうしてだか、負けたくないという謎の対抗心が、私の中でむくむくと湧き上がってくる。
「そ、それでも、だ、ダメ――」
「凜ちゃん」
なおも食い下がろうとする凜ちゃんを私は遮った。凜ちゃんは私の呼びかけに、びくっと肩を震わせてから、恐る恐る私を見る。
「ひ、ひか、りちゃん?」
私はそんな凜ちゃんの目をまっすぐ見つめながら、お願いするように口を開いた。
「一回だけ。一回だけでいいから師匠の頭を撫でさせてくれないかな?」
私の真摯な眼差しが凜ちゃんの瞳に迷いを生じさせる。やがて、ぎゅっと目を瞑ると、心の中で何かと激しく葛藤するように小さく唸り、
「……う、うん。わ、わかった」
最終的には、小さくこくりと頷いた。
「ありがとう、凜ちゃん」
私は感謝の気持ちを込めて頭を撫でると、凜ちゃんの表情は嬉しそうににまにまとする。
「師匠。いきますよ。覚悟してくださいね」
私は手をわきわきと動かしながら、師匠へと不敵な笑みを向ける。
「覚悟も何もないんですが……でも、受けて立ちましょう!」
師匠もまた、なぜか妙に気合いの入った表情で応じる。
こうして――なぜこんなことになったのかは分からないが、私と師匠による、仁義なき、『なでなで攻防』の幕が上がったのであった。




