66話 勝利の祝福に、焼き肉を
もう何度、この白い天井を見たことだろう。そして――。
「ひ、光ちゃん……!」
何度凜ちゃんの悲痛な表情を見ただろう。
凜ちゃんはいつだって私のことを想ってくれているからこそ、私が受けた痛みも、抱えた想いも、まるで自分のことのように受け止めてしまう。
そんな凜ちゃんを、これ以上悲しませたくない。それは紛れもない本心だが、私の憧れが友達を悲しませることよりも自分を優先してしまうのだ。
「凜ちゃん、ごめんね。いつも心配をかけて、悲しませて……」
「う、ううん。き、気にしないで? ひ、光ちゃん」
凜ちゃんは、心配をかけてしまった私に対して悲痛さを残しながらも努めて笑顔で許してくれる。
毎度のことながら心が痛む光景で、私としてもなるべく凜ちゃんの悲しむようなことはしたくないと願うも、私が憧れを手放さない限りそれも無理な話だろう思う。
「……ありがとう、凜ちゃん」
「あ、ひ、光ちゃん。え、えへへ~」
私は、悲しませてしまったことへのお詫びと、そんな私を許してくれる凜ちゃんの寛大な心への感謝を込めて、何度も何度も凜ちゃんの頭を撫でる。
撫でられた凜ちゃんは、嬉しそうに頬を緩ませる。その喜びに呼応するように、頭の上のアホ毛もぴょこぴょこと楽しげに揺れていた。
やがて凜ちゃんは、私のお腹に頬をすり寄せながら、すっかりなでなでの虜になってしまう。
そんな凜ちゃんの姿を微笑ましく眺めながら、穏やかな時間を過ごしていると――。
不意に、扉ががらがらがらと音を立てた。
「光ちゃん。起きてたのね」
姿を現したのは、手に体操服と紺色のジャージ服を胸に抱える雫さん。目が覚めた私に穏やかな声色で応じる。
雫さんはゆっくりと私の方へと歩むとベッドの傍らにある椅子に腰を下ろす。胸に抱えていた体操服とジャージ服を太ももに置くと、
「お疲れ様」
そう言って雫さんは私の頭を撫でた。そのなでなでは優しく、慈しみに溢れていた。
私は凜ちゃんをなでなでし、雫さんは私をなでなでするという、一種のマトリョーシカ形式。傍からみればシュールな光景極まりないだろうと思う。
私はくすぐったさもあったけれど、やっぱり憧れの人から頭を撫でられることは私にとってこの上ない至高。
「光ちゃんなら勝てるって信じてたよ」
雫さんのその言葉を聞き、私は勝ちが現実となった事による安心感から、不意に涙が零れた。
これで私は、これからも雫さんの隣にいられる。その事実が、たまらなく嬉しかった。
嬉しくて、嬉しすぎて……もう、筆舌に表しがたい程で。
頬を伝い落ちていく涙には、勝利の喜びがこれでもかというほど詰め込まれていた。甘い蜜のようにその涙は甘く、飲み込むたびに胸の奥が温かさでいっぱいいっぱいになっていく。
「あの、雫さん」
「ん? 何?」
「戦いが終わった後の立花さんの様子でどう、でした?」
勝利の余韻も束の間。
私は立花さんの様子が気になっていた。『天才』に誇りを持っていた立花さんだ、さぞかし、荒れたに違いない。
「負けた現実を受け入れたくないのか、『そんなわけない』とか『信じられない』とか、ぶつぶと唱えていたわ」
思いのほか立花さんは暴れ狂うようなことをしていなかったらしい。立花さんのことだから、逆上して意識を失った私に危害を加えたりするのさえ思っていた。
まあ、あそこで私に危害を加えても、守護君に止められていたと思うが。
「わ、私大丈夫ですかね? 立花さんにもっと酷い事されませんかね」
私に敗北した立花さんの今後が心配だった。もしかしたら、なりふり構わずプライドを傷つけられた憂さ晴らしに、もっと酷いことをされてもおかしくない。
「大丈夫だと思うよ。相当、光ちゃんに負けたことに打ちひしがれた様子だったからね」
雫さんがそう言うなら大丈夫なのだろう。大丈夫だと思いたい。が、精神的に追い詰められている人間が、どんな行動を起こすのかなんて分からない。
ましてや、立花さんは自身の『天才』さに、誰よりも強い誇りを抱いていた。
その誇りを真正面から打ち砕かれた今、立花さんは相当なメンタルブレイクを起こしてるはず。突発的に何かとんでもないことをしでかしても不思議ではない。
ほんと、何かしでかさないようにと願うばかりだ。
ぐうううううううううううううう!!
「「きゃっ……!」」
立花さんに勝利した安心感からか、今度は私の胃が空腹を訴える。
あまりにも唐突で、それでいて轟音のように響き渡ったお腹の音に、凜ちゃんと雫さんが揃って小さな悲鳴を上げた。
「あぅ……」
凜ちゃんだけならまだしも、ずっと憧れている雫さんの前で、こんなみっともない空腹音を盛大に響かせてしまったことが、恥ずかしくてたまらない。顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
それはもう穴があったら、今すぐにでも飛び込みたいほどに。
「……もう三時だもんね。一応、医師からはいつでも退院していいって言われてるけど、もし、光ちゃんがまだ動けそうにないなら、調理師さんに伝えてこようか?」
「あ、いえ、大丈夫です。今日は久しぶりに凜ちゃんと二人で行った高級焼き肉店でばくばく食べたいので!」
この三週間、あまりにも精神的、肉体的どちらも辛く苦しく、大変な日々だったので、久々に入学式以来に凜ちゃんと食べたあの高級焼き肉店で美味しい焼き肉を食べたかった。
「そ、そっか……」
雫さんは私の焼肉欲にちょっと引き気味だったは気にせいだろう。気のせいだと思いたい。
そうして私はゆっくりと上体を起こす。凜ちゃんはさっと私の背中に手を添えて支えてくれた。
「っ……」
けれど、上体を起こした途端、視界がぐらりと揺れる。私は思わず眉間を指で押さえてしまう。
「ひ、光ちゃん。だ、大丈夫!? あ、あまり辛いなら無茶しない方が」
「だ、大丈夫! 大丈夫だから。よし、と……!」
私は凜ちゃんに心配させまいと元気よく振る舞いながら、ベッドから降りる。傷そのものはすっかり治っている。
ただ、身体にはまだ疲労と血を失った影響が残っているのか、少し動いただけでも身体が重く感じられた。
私は自分の格好を見下ろす。今着ているのは病院服だ。さすがに、このまま外へ出るわけにはいかない。
「光ちゃん、はい。模擬戦が終わってからクリーニングに出して、ちょうどさっき返ってきたから。これに着替えて」
差し出された衣類に目を向ける。それは、私が模擬戦のときに着ていたものだった。
どうやら戦いが終わったあと、雫さんがわざわざクリーニングに出してくれていたらしい。
「あ、すみません。雫さんに、こんなことまでしてもらって……」
私のためにこんな雑用までしてもらったことに申し訳なさが押し寄せ、ついぞ、謝罪を口にしてしまう私。
「光ちゃん。そこは謝るんじゃなくて、素直に『ありがとう』って言ってくれた方が、私としては嬉しんだけどな~」
雫さんは謝罪する私に不満そうを露にするように頬をぷくっと膨らませた。確かに、雫さんは私のためを思って、わざわざここまでしてくれたのだ。なのに、そこで「すみません」と謝ってしまったら、雫さんの優しさを無下にしてしまうような気がする。
「あ、えっと……ありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして」
そうして私は手に持つ衣類に着替えていく。凜ちゃんは私が脱いだ病院服を丁寧に畳んだり、立ち眩みを起こしたりして惨事にならないようにと身体を支えたりして着替えをサポートしてくれた。
私が着替え終えると三人で私のリクエストである焼肉へと足を運ぶため、訓練所から出て、そのままアリノスへと向かう。
「っ……」
ただ、その途中にまた再び立ち眩みを起こす私。ふらつき、倒れそうになる私の身体を雫さんが支えてくれた。
「大丈夫?」
「あ、あはは。大丈夫です……」
心配をかけまいと笑ってみせる。けれど、雫さんは私の顔をじっと見つめたまま、少しだけ考え込むような表情を浮かべると、
「……ほら」
雫さんは私に背中を向けると、その場で腰を落とした。
「……し、雫さん。何を?」
「何って、見て分からない? 光ちゃんをおんぶするの。やっぱりちょっと心配だから」
両手をパタパタと動かしながら、私に背中へ乗るよう促してくる雫さん。雫さんにおんぶしてもらえる、憧れの人に背負ってもらえるなんて、私にとってはご褒美だ。
しかし、流石にそこまでしてもらうのは申し訳なさすぎる……!
「い、いえ、そこまでしてもらうわけには、ほんとに大丈夫ですので……!」
「そっか」
雫さんは私の言葉を聞くと、すっと立ち上がり、おんぶの体勢を解き、「じゃあ……」と言った後。
「ふえ?」
「光ちゃんは、こっちがご所望のようね」
気づけば、私は雫さんにお姫様抱っこをされていた。雫さんは私を軽々と抱き上げたまま、にこりと微笑んでこちらを見つめている。
「え、ええ、えええええええ!?」
突然の出来事に、私の頭は真っ白になる。
「ど、どうして雫さんが、わ、私を、お、お姫様抱っこ……!?」
「だって、光ちゃん、おんぶされるのは嫌って言ったでしょ? だから、こっちがご所望なのかなって」
雫さんは楽しそうに笑いながら、私の顔を覗き込む。
「どう? 私のお姫様抱っこ。嬉しい?」
雫さんの笑顔は眩しくて、それはもう太陽よりも眩しくて、私は熱に浮かされたように顔が熱くなっていた。
「……恥ずかしい、です」
「ふふ、そう言う割には、まんざらでもなさそうだけど?」
「あう……」
図星を突かれて、私は思わず小さく呻いてしまう。
そりゃあ、雫さんにお姫様抱っこをされて嬉しくないわけがない。私にとっては、これ以上ないくらいのご褒美だ。
だから、今の「恥ずかしい」という言葉は、建前でいったのだ。だって嬉しいです、なんて正直に言うと、子供っぽい気がして、それを雫さんに晒すのは嫌だった。
とはいえ、恥ずかしいという気持ちもあながち間違いではなく、こんな状態でアリスに行ってしまえば、十中八九色んな人からの注目を浴びるのは必致。けど、それを差し置いても、お姫様抱っこは嬉しいのだ。
「ふふ」
雫さんは、私の反応から嬉しいという気持ちを悟り、穏やかに笑みを零した。
その後、私たちはアリノスで焼き肉を食べた。私の食欲は凄くて入学式とは比にならない程にお肉を食べた。
雫さんは食欲旺盛な私を見て、そして、美味しそうに食事する私を始終ニコニコと観察。
凜ちゃんもいつの間にか食べるよりも私のためにお肉を焼いたりして根本からの世話焼きが発動していた。
因みにお会計は血の気が引くほどの値段だったものの、雫さんがおごってくれた。焼き肉を食べ終えると、立ち眩みも無くなったのだが、先程のお姫様抱っこを見て、凜ちゃんも私をお姫様抱っこをしたいとのことだった。
最初は拒んだのだが、凜ちゃんが凄く泣きそうな表情をしたため、今日一日は凜ちゃんに迷惑をかけっぱなしだったこともあり、渋々、私は凜ちゃんにお姫様抱っこされたのだった。




