65話 勝負の行方
立花さんは怒りに吠えると、私の首元を鷲掴み強引に立たせた。
「ぐ……」
「ムカつく!」
つんざくような咆哮が響いた、その直後。立花さんは怒りを叩きつけるように、私の額へ思い切り頭突きを食らわせた。
「あ、が……!」
頭がかち割れそうなほどの衝撃に私はうめき声を上げてしまう。額から血が滲み、流れ落ちた血が視界を赤く染めていく。まるで脳そのものを揺さぶられたかのように、頭の中がぐらぐらと揺れる。
「ムカつく! ムカつく! ムカつく!」
立花さんは怒りに歯を剥き出しにしながら、何度も、何度も、何度も、何度も頭突きを私へと叩き込んでくる。
そのたびに私は痛みの知らせを口で訴えるのだが、次第にそれすらも出来なくなっていく。
ただ、身体中から血が抜けていく感覚だけは、嫌というほど分かる。
―—寒い。
身体の芯まで凍えそうなほど、寒かった。
自分でもわかる。もう長らく私は意識を失ってしまうのだと。もはや、立花さんの怒号も、いつしか遠く遠くへと離れていき、今では頭の中で残響するだけになっていた。
ここで意識を手放してしまえば、私は本当の意味で終わってしまう。
頭では理解しているのに、身体が言うことを聞かない。私が出来ることは必死に意識を繋ぎとめることだけだ。
打開策を考えようにも、がっしりと首を掴まれて身動きは取れないし、何度も頭突きを受けたせいで血を失い続け、身体にはもうほとんど力が残っていない。
成す術なんて、どこにもなかった。もはや八方塞がりだ。ここから巻き返すなんて、どう考えても不可能だった。
それでも私は、何かを求めるように、無意識のうちに視線を動かした。
血に遮られていない片目だけで、かすかに雫さんの姿を探していると偶然にも雫さんと目が合った。
雫さんは、私の置かれた状況を見ても、痛々しそうな表情を浮かべることも、心配そうに眉を曇らせることもなく、ただじっと私たちの戦いの行方を見つめていた。
雫さんの瞳は真摯な輝きだけがあり、そこには一片の曇りもない。まるで、この絶望的な状況にあってなお、私の勝利を疑っていないかのように。どこまでも、どこまでも、私の勝利を信じている。
その瞳に射抜かれた瞬間、朦朧としていた私の意識が、少しずつ鮮明になっていく。
満身創痍の身体には、もう力など残っていないはずだった。
それなのに――不思議と、身体の奥底から新たな力が湧き上がってくるのを感じる。
雫さんは、こんなにも絶望的な状況にあってなお、私がここから覆し、勝利することを信じている。
私が誰よりも憧れている人が、私を信じている。ならば、私はそれを信じる。雫さんが信じてくれる限り、私も自分を信じる。
だって私は――雫さんのパートナーなのだから!
「……あ、ぐ」
喉の奥から、かすかな呻き声が漏れる。それでも私は、ゆっくりと両手を動かした。
「……!?」
その瞬間、立花さんの手が、ほんの一瞬だけ強くなった。けれど、それは私の首をさらに絞めつけるような力ではなかった。
まるで予想だにしなかった反応を目の当たりにし、思わず力が入ったかのような、驚きに満ちたぴくりとした動きだった。
「あ……あんた、まだ、動けるっていうの?」
立花さんの声色は震えていた。それは驚きも含まれているだと思う。しかしそれだけではない気がした。
この満身創痍な状態でそれでもなお勝利を掴もうと足掻き続けている、その執念深さに心なしか恐怖すら覚えているように見えた。
私は首元をわし掴みにしている立花さんの右手首を、両手で力強く掴む。指が食い込むほど握り締め、残された力をすべて注ぎ込んでいく。
「……くっ!」
立花さんは奥歯を噛み締めると、再び頭を振り上げ、私へ頭突きを叩き込んできた。
鈍い衝撃が頭に響き、視界が揺れる。それでも、私は怯むことなく、歯を食いしばり痛みに耐えながら、さらに両手へ力を込めていく。
「……ち、くそ!」
立花さんは頭突きでは埒が明かないと悟ったのか、それをやめると、左手に握った刀を大きく振りかぶる。
しかし、その前に私は首を掴む立花さんの左手を引き剥がすと同時に、力の限りを尽くして向こうへと押しやった。
「……っ!」
立花さんは押された方向へとバランスを崩されたせいで、攻撃を一時中断せざる得なくなってしまう。立花さんは数歩、後退りながら、どうにか倒れるのだけは堪えて身体の均衡を取り戻した。
私はせき込むのも我慢し、地面に横たわる自身の刀を手に持つ。淡い光を宿した刀は、まるで今の私に残された、勝利への最後の灯火のように思えた。
私は刀を構えながら、右目に汗のように流れ込んでくる赤い血を、手の甲で乱暴に拭うと、立花さんの動向をじっと伺う。
血を失いすぎたせいで、頭は鉛でも詰め込まれたかのように重く、少し動くだけで脳を直接揺さぶられているような感覚があり、足元も覚束ない。
ほんの少しでも気を抜けば、そのまま意識を手放してしまいそうだった。それほどまでに、私の身体は限界を迎えている。
このまま戦いが長引けば、先に倒れるのは間違いなく私だ。ならば、残された力をすべて使ってでも、一気に決着をつけるしかない。
私はそう覚悟を決め、早期決着を狙うことにした。
「ふっ……憐れね。その状態でまだあたしに勝つことを諦めないなんて、あたしからしたら滑稽以外の何ものでもないわ」
「……」
正直、何か言い返したいのは山々だが、意識を留めることが精一杯な私はただ荒い呼吸を繰り返すだけしか出来ない。
「くくっ……もう喋ることに意識を割く余裕すらないのね」
立花さんは、何も返さない私を見て、すべてを悟ったように口元を歪めた。
「さて、そろそろこの戦いも興ざめだし、もう終わらせてあげる」
そう告げると、立花さんはゆっくりと刀を構える。そこに、先ほどまでの怒りに満ちた形相はもうなかった。
今の彼女の表情に浮かんでいるのは、傲慢不遜な笑み。
まるで、勝敗などすでに決したとでも言わんばかりの、余裕に満ちた笑みだった。
立花さんは右脚を後ろへ滑らせる。グラウンドの土を抉るように、弧を描いて伸びた右脚がぴたりと止まった。
ふう、はあ、と呼吸を整えると――右足へ力を込めた。
ずさっ。
足元の土を擦る音が響いた瞬間、止まっていた時間が再び動き出す。
踏み込んだ勢いそのままに立花さんは一気に私との間合いを詰めると刃を私の頭上に降り下ろす。
私は動かない。いや、正確には動けない。
ここまで蓄積した疲労と失血のせいで、足は鉛のように重く、思うように動かすことすらできない。ここで少しでも足を動かせば、間違いなくもつれる。
だから私はただその場に立ち尽くし、迫り来る立花さんの白刃の軌道を見つめる他なかった。
しかし、だからといってこのまま黙って斬られるなんて毛頭ない。
足は動かないまでも、私にはまだ腕の力が残っていた。ならば、私にできることはただ一つ。
立花さんの刃を受け流す。それだけだ。
立花さんも、先ほど私が刀を地面へ突き立てることで攻撃を防いだことを覚えているはずだ。
だからこそ、迂闊に薙ぎ払うような攻撃を仕掛けるのは危険だと判断し、頭上からの振り下ろしに出たのだろうと思う。
このままいけば私の受け流しは成立する。
しかし、構えるタイミングが早すぎると、立花さん自慢の反射速度で即座に軌道を変えて、がら空きになった箇所に刃を刷り込ませるだろう。
だから、焦らない。
早まらず私はただタイミングだけを冷静に見計らう。
集中し神経が研ぎ澄まされた感覚のなか、時間がゆっくりと引き伸ばされていく。その時間の中で迫り来る白刃を、私はただひたすらに視る。
まだ……。
まだ……。
まだ……。
―—今!
ここぞとばかりに私は受け流しへと動いた。立花さんの白刃は軌道を変えることなく、私の刃へと接近。
このままいけば、立花さんの刃は私の刃とぶつかる。
「ふふ……」
そのとき、不意に立花さんの笑い声が降ってきた。ちらりと視線を向ける。そこにあったのは――。
立花さんの勝利を確信したような笑みだった。
カン……
乾いた音がグラウンド内に響く。いつもなら、ぶつかった拍子に刃から火花が散るのだが、それが無かった。
それが意味するのは、単純明快。立花さんはほとんど力を込めていなかったのだ。だからこそ、火花を散らすに値しなかった。そしてそれが意味するのは一つ。
私の受け流しは、不発に終わった。つまりそれは、私の敗北はほぼ約束されてしまったのも同義だった。
――そう、ほぼ……。
「……っ!?」
立花さんの驚愕に満ちた息遣いが鼓膜を震わせた。
私は手に伝わる衝撃が小さいことを時間が置き去りになった意識の中で瞬時に判断。
私は先ほど立花さんが披露した受け流しを思い出し、そのときとまったく同じ軌道をなぞるように、刃を走らせた。
私の白刃の残滓は綺麗な弧を描き、その切っ先は、立花さんの右腰へと吸い込まれるように迫っていく。
立花さんは勝ちを確信した直後の油断により反応が遅れてしまい、どう回避しようにも身体を両断されるのは約束されており、だからと言って防御をしようにも、刃は目と鼻の先にあり間に合わない。
もはや、立花さんに残されたものは何もなかった。
ただ、迫り来る白刃と――自らの敗北を、ただ見つめることだけ。
「嘘よ……あたしが……!」
その瞬間――。
ガキィンッ!
私の白刃が立花さんへ届く寸前、守護君のアームが割り込み、その一撃を阻んだ。
「ショウシャ。カンザキヒカリ!」
その言葉を聞いた瞬間、私は張り詰めていた気を手放し、意識は暗闇へと吸い込まれたのであった。




