↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/63

60話 お菓子の誘惑

「神崎さんいらっしゃい! さあ、入って入って」


「お、お邪魔します」


 私は反町先輩に促されて、リビングへと足を運ぶ。リビングに繋がる扉を開けると、雫さんと臼井先輩と西園寺先輩はガラステーブルにあるティーカップを片手にクッキーを嗜(たしな)んでいた。


「光ちゃん、こんにちは」


「神崎さん、こんにちは~」


「ん。神崎さんいらっしゃい、こっちで一緒にクッキー食べよう」


 臼井先輩は私に手招きして、一緒にクッキーを食べようと誘ってくる。


「神崎さん。紅茶飲める? クッキーに合う紅茶を用意したんだけど」


「あ、はい。飲めます」


「ミルクティーにもできるけど、どうする?」


「えっと、ミルクティーでお願いします」


「ほいほ~い」


 気の抜けた返事をして、キッチンへと向かう反町先輩。私は雫さんと臼井先輩に挟まれる形で腰を落ち着かせた。


「ん。神崎さんもクッキー食べて」


 臼井先輩は一枚のクッキーを私に差し出してきた。私は「ありがとうございます」とお礼を言ってクッキーを受け取り、一口パクリ。かじった瞬間に、サクッと心地よい食感が響き、バターの豊かな風味が口いっぱいに広がった。

 

「このクッキー美味しい……!」


「美味しいよね~」


「これ渚の手作りなんだよ。凄く美味しいよね!」


「え!? そうなんですか!? どこか高級店で買ったものかと思いました」


「あはは~そんな大げさだよ」


 クッキーの美味しさについて話していると、反町先輩の謙遜する声が返ってきた。


「いえいえ、大げさではなく、本当に高級店で買ったのかと思いましたよ!」


 反町先輩はそう謙遜するが、私も実は昔、お菓子作りにはまっていた時期がある。それこそ、将来パティシエになりたいとさえ思っていたほどに。


 きっかけは五歳の頃だった。


 いつも父と私のために手作りケーキを作ってくれる母に、誕生日のお返しとして自分もケーキを作ってみたいと思ったのだ。


 父と一緒に試行錯誤しながら作ったケーキを母が「美味しい」と喜んでくれた。  


 その笑顔が嬉しくて、そこからお菓子作りは私の趣味になった。


 ケーキやクッキーはもちろん、マカロンやアイスクリーム、キャラメル、生チョコレートなど、さまざまなお菓子作りに挑戦した。


 時には父が買ってきてくれる有名店のスイーツを食べ、その味を再現しようと研究に没頭したこともある。

 そんな経験を重ねてきたからこそ、多少なりとも味には自信がある。だからこそ断言出来た。


 今、口にしているこのクッキーは、本当に美味しい。


 香りも食感も絶妙で、甘さの加減も上品だ。

 

 手作りとは思えない完成度で、有名店の商品として並んでいたとしても何の遜色もないだろう。


 反町先輩は「大げさだ」と笑っていたが、少なくとも私にはそうは思えなかった。  


 むしろ、これだけのものを作れるのなら、もっと胸を張っていいとさえ思うほどだ。


「やっぱり、ご両親からお菓子作りとか教わってたんですか?」


 前に反町先輩のお店に行ったときに、ケーキを食べたのだが凄く美味しかった。雫さんから両親ともにパティシエと聞き、だからこそ、ケーキの美味しさが衝撃だった。

 パティシエである両親から教わったのであれば、このクッキーがこんなにも美味しいのは納得だった。


「え? ああ。うん、そうだよ~。父と母のお店を手伝うためにね、少しお菓子作りを教わってたんだ~」


 私の質問に反町先輩は首肯する。


「そう言えば、前回お母様は見かけましたが、お父様は見かけなかったような?」


 この能無しの発言が無意識に反町先輩の心を傷つけてしまうなんて露知らず、しかし言葉にしてしまったためもう取り返しのつくことが出来ない。


「……父は私が小さいころゴーストに襲われそうになった所を身を挺して助けてくれた時に、重傷を負ってね、今も昏睡(こんすい)状態で、病室のベッドの上だよ」


 私のささやか疑問に、反町先輩は明らかに辛そうな表情と悲しみを背負った落ちたトーンで応える。その時に、私はとんだ失言をしてしまったことに、遅らばせながら気づく。


「あ、す、すみません! 私がとんだ失言をして、反町先輩に不快な想いをさせてしまって、本当にすみません!」


 咄嗟に私は反町先輩に何度も頭を下げて謝罪を繰り返す。後悔の念が止めどなく私の心の中を蝕んでいく。

 後悔先に立たずだが、私には後悔する暇もなく、ただがむしゃらに反町先輩に謝罪を繰り返す他なかった。


「いいよいいよ。ほら、前回、雫ちゃんの事で二人で話したとき、私、神崎さんに酷いこと言っちゃったでしょ? だから、うん。喧嘩両成敗ってことで、気にしなくていいよ」


「ですが……」


 反町先輩は憧れを遠ざけるために私に酷な事を告発した。しかし、それは誰かのための”想い”があった。私のは単なる疑問で、そこに想いはない。誰かのためでなく、ただ自分の私利私欲のための発言。

 

 反町先輩の発言と私の発言は込められた想いの違いで、今のは完全に失言した私が悪い。


「ほらほら、せっかく楽しく五人で遊ぼうって時に、そんな悲しくされちゃあ、楽しめないよ。ほれほれ~ミルクティー淹れたから、ほっと一息つけつけ~」


 後ろめたさに神妙な表情になる私に、反町先輩は元気づけようと明るく振舞いながらトレイに乗せたミルクティーを私に差し出す。湯気が立ち昇る香りは、後悔の念により冷たくなった心を、甘く溶かしてくれるようなホッとする香りだった。


 私はゆっくりとティーカップを口に運び、ごくりと一口飲む。


「おいしい……!」


「それはよかった~。このミルクティーは私のお気に入りでね、父がよく淹れてくれたんだ~。だから、美味しいって言ってくれて嬉しいよ。父の味を褒めてくれたみたいで、さ」


 父の味を褒めてくれたことに反町先輩は嬉しそうににこにことした笑みを浮かべていた。


「ん。そういえば、集まったのは良いけど、この五人で何遊ぶ?」


「お! よくぞ聞いてくれました! 今日はね~」


 西園寺先輩はリビングにある自分のカバンの中から、一つの大きな白い用紙を持ち、それを嬉しそうに私たちに見せびらかす。


「じゃーん! 今日は『イチャイチャすごろく』を遊んでもらいま~す」


「「「「いちゃいちゃすごろく?」」」」


 すごろくは良いとして、いちゃいちゃとは何か全然分からなかった。私達四人が口をそろえて疑問符を浮かべるのを見た西園寺先輩はニコニコとした笑顔を崩すことなく、ルール説明する。


「ほら、私以外の四人。それぞれパートナーがいるでしょ? パートナーのキズナをより強固にするためのこのすごろくなの。二人一チーム。勝った方は、負けた方の言うことを一つ何でも聞く。この条件で今からすごろくをやってもらうよ」


「あ、あの~」


「はい、神崎さん」


「西園寺先輩は参加しないんですか?」


「もっちろん。このすごろくはさっき言った通りパートナーのキズナを深めるもの。パートナーがいない私は参加資格がない代わりに……」


 西園寺先輩はおもむろにポケットから自身のスマホを構えて、


「みんながいちゃいちゃするその姿を撮影する係だから」


「ん! 私、このすごろくやりたくない!」


 臼井先輩は、いやいやいと首をふりながら、このいちゃいちゃすごろくなるものをやることを放棄しようとする。


「葉月ちゃん。いいの~? もし勝ったら神崎さんを一生もふもふ奴隷にすることも出来るんだよ?」


「もふもふ……」


 臼井先輩は西園寺先輩から悪魔のささやきに目を輝かせて、何かにとりつかれたように、私の方へと視線を集中させ、もふもふと手をワキワキさせながら、呪詛のように呟く。


「ん。分かった。やる」


「奏さん」


「はい、何かな雫ちゃん」


「例えばなんですけど、パートナー同士のなでなでって、これはどういったもので?」


「あ、それはね。十五秒間交代でパートナーになでなでをしてもらうということ」


「それって、つまり、私は光ちゃんに頭を撫でられるってことですか?」


「お! さすが雫ちゃん。理解が早い」


「そ、そんなの嫌です! 私だけが光ちゃんのなでなでするのはまだしも、私まで、しかもその様子を動画で収められるなんで、嫌です。奏さん。別の遊びをしませんか? せっかくなんですから、五人で遊べることをしましょう」


「わ、私も、その、せっかくですから五人で……」


 私は雫さんの意見に乗りながら、バタークッキーを食べよう……と思ったら、既にお皿は空であり、私の手は何かを求めるように虚空をつまむ。


「……神崎さんは余程渚ちゃんのクッキーが気に入ったのね。ほとんど一人で食べちゃって」


「え? あ! す、すみません! あ、あまりにも美味しくて、つい……」


 お皿の中身はすっからかん。あまりの美味しさに私は次々とクッキーを手に取っていた。

 西園寺先輩に指摘された私は、四人に食い意地を張っている姿を晒していた事実に、羞恥心により顔が真っ赤になる。


「神崎さん。もっと渚ちゃんのクッキー食べたいわよね?」


「え、い、いや……私はもう、充分堪能しましたから」


「……渚ちゃん。まだクッキーある?」


「ありますよ。取ってきましょうか?」


「お願いするわ」


「あいあいさ~」


 西園寺先輩のお願いに反町先輩は敬礼して応えると、空になったお皿をキッチンへと持っていきクッキーを補充し戻ってくる。


 たんまりと盛られたバタークッキーに私は魅入られる。バターの芳醇《ほうじゅん|》の香りが鼻腔をくすぐり、私を誘惑してくる。


 ごくり……


 あれだけ食い意地を張っているところを見られるのを恥ずかしがっていたはずなのに、目の前に並べられたクッキーの誘惑には、どうしても抗えなかった。


 気づけば私は、ゆっくりと手を伸ばしていた―—。


「はい、ダメだよ」


 西園寺先輩に羽交い絞めされて、無残にもクッキーを食べられなかった。私は、何とか西園寺先輩の拘束から逃れようとするも、全然動じない。


「渚ちゃん」


「は~い」


 西園寺先輩はただ反町先輩の名前を呼んだだけなのに、反町先輩は意思疎通が出来てるかの如く、バタークッキーを私の口元へと持ってくる。


「バタークッキー……」


「こんなにも私の手作りクッキーを気に入ってくれるなんて、作った身として本望だよ。しかも、あれだけ食べたのに、まだ物惜しそうに口元をだらしなくさせて、神崎さん可愛い~」


 反町先輩にSっけ溢れる文言を言われてる気がしないでもないが、それ以上に私は、バタークッキーに釘付けだった。


「神崎さん。もし、すごろくで遊んでくれるなら渚ちゃんの手作りクッキーが食べれるけど、ううん。それ以上にすごろくに勝ったら、渚ちゃんの手作りクッキーも、ケーキも食べ放題。あ~、あの渚ちゃんお手製のショートケーキ凄く美味しかったな~」


「バタークッキー……ショートケーキ……」


「光ちゃん! しっかりして奏さんの悪魔のささやきに屈しちゃだめだよ。このまますごろくをやる流れになったら、恐ろしい辱め(はずかしめ)を受けるんだよ。その上、それを動画に収められるんだよ!」


「はっ! そ、そうです。は、辱めを受けるくらいなら、お、おおお、お菓子は、い、いりません」


「本当に?」


「ほ、ほんと――むぐっ!?」


 西園寺先輩の囁きに抵抗しようと口を開いたところに、反町先輩がバタークッキーを私の口の中に突っ込んだ。

 消えかけていたバタークッキーの残り香が、新たに突っ込まれたバタークッキーにより上書きされ、鮮明なバターの芳醇さが口いっぱいに広がる。


 その残り香が無くならないうちに、反町先輩は再び新しいバタークッキーを私の前に差し出してくる。


「神崎さん。本当にお菓子いらない? どうどう?」


 先程食べたバタークッキーの甘さが私の脳内を甘く溶かし、思考力を奪っているせいか、西園寺先輩の悪魔の囁きに耳を貸してしまう。

 

「ほれほれ~神崎さん。すごろくをやれば、このバタークッキーを食べれる権利があるよ~」


 西園寺先輩の援護射撃をするように、反町先輩も負けじとバタークッキーをゆらゆらと私の前で揺らし、視線を誘導してくる。


「どうして、渚はそんな乗り気なのよ!」


「どうしてって、面白そうだから? 私は別にいちゃいちゃを動画に収められようが、はーちゃんに何かするのもされるのも好きだから」


「……くっ! ひ、光ちゃん! 誘惑に乗っちゃだめだよ!」


 雫さんは私に全てを委ねるように祈っていた。あ、そ、そうだ……辱めを受けるなんて、私には、私には……。


「「食べたいでしょ?」」


 反町先輩と西園寺先輩の声が重なったとたんに、私の意思はバタークッキーの甘さのように溶けていき……、


「た、べたい……で、す」


 もはや私の口は勝手に動いていた。自分の意思で動いてるともつかない程に。


「「じゃあ、すごろくやる?」」


「光ちゃん!」


「あ、う、や、やり……ます」


「光ちゃああああん!」


 雫さんは祈りが通じなかったために、泣き叫ぶような悲しみに暮れた叫び声を上げる。

 こうして、私達(西園寺先輩を抜いた)四人でいちゃいちゃすごろくで遊ぶことになったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。