58話 実は……
「くくく、あははははは! あと一回。あと一回で白雪先輩があたしのパートナーに! くくく、あははははは!」
二回目の模擬戦が終わり、立花さんはグラウンドに高笑いを響き渡らせる。立花さんは項垂れる私に嫌味たらしい表情を浮かべたまま覗き込む。
「いよいよあんた後がないけどさ、今、どんな気持ちなの?」
「……」
「くく、ああ、その表情を見れば何となく察するわ。あんただってたくさん努力してるのにね。それでもなおあたしに手も足も出ずに敗北したんだから。もう絶望でしょ?」
「ぐ……!」
私は何も言えずにただただ、精一杯に拳を握り、奥歯をこれでもかと言うほどに噛み締める。
「さてと、あんたの絶望した顔も拝めたことだし、もう行くわ。じゃあね。所詮、ズルして手に入れたパートナーの座。あんたには過ぎた場所だったのよ。そろそろ身の程を弁えた方が、あんたのためよ。いつまでもそんなところにしがみついてるなんて、ほんと滑稽にしか見えないから、さ。あははははははは!」
立花さんは前回同様、高笑いをグラウンド内に轟かせながら踵を返した。
あと一回。
残り一回。
最後一回。
いよいよ追い詰められた私はただ自身の残されたライフを数えるだけに意識を割かれていた。
次の模擬戦で何もかもが決してしまう。現状は全く持って私の敗北が目に見えて、明快すぎる程に、喫していた。
『凡人』がいくら努力しても『天才』には敵わないのだ。それを今までの立花さんとの戦いで身に沁みて分かった。
雫さんとの戦いでもそうだ。雫さんに傷一つ付けれることは可能性としてはあった。『凡人』でも、手が届くそんな可能性があった。だからこそ、あの戦いで、『凡人』の私でも届いた。しかし、それは、雫さんを超えたことにはならない。ただ手が届いただけ。それだけだ。
そして、今回の立花さんとの戦いは、私が立花さんに勝たなければならない。そう、つまりは『凡人』である私が、『天才』である立花さんを超えると言うこと。『凡人』が『天才』を超える。そんな道理が通用することなんてあるのか? いや、ない。あるわけがない。あるはずもない。
私は次の模擬戦で負ける。必ず負ける。二回の模擬戦で、私の努力をあざ笑うかのように、立花さんに手も足も出ず、傷一つも付けられなかった。そんなんで残り数日で、立花さんに勝つなんて、無理だ。例え、血反吐を吐いても、私が死に物狂いで努力しても、無理だ。無理に決まってる。
「お疲れ様。光ちゃん」
雫さんが私の労いの言葉を掛けながらこちらへと近づく。
「……光ちゃん?」
私は雫さんを抱きしめる。それも思いっきり。離したくないと言わんばかりに、抱きしめる。
「し、雫さん。お、お願い……です。立花さんにパートナーは解消しないって、そう言ってください……」
私は雫さんの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしながら懇願する。
模擬戦で負けてしまえば、私の憧れは大幅に、いや、もう追いつくことも出来なくなってしまう。
それは、私の人生の終わりを意味する。それだけは絶対に嫌だった。嫌だからこそ、私はもう、この先、立花さんに何と言われようとも、どんな仕打ちを受けようとも覚悟があった。
雫さんさんの言うことなら、立花さんは従順になる。おそらく、この模擬戦をなかったことにして、約束を反故にしても、立花さんは嫌々ながらも頷くと思う。そうでなくても、雫さんにはパートナーを選べる意思決定がある。
雫さんがその人がいいと思えば、それで終わる。その後に何を言われようとも雫さんが決めたことだから、誰にもその権利は侵害できない。
もし、ここで雫さんが私の願いを聞くなら、立花さんは何か雫さんに良からぬことを吹き込んだと思い、その矛先は必ず私にやってくる。
今までの嫌がらせよりもさらに悪質な嫌がらせを私に施してくる可能性は大いにある。
それでも私は、私は……!
「大丈夫。光ちゃんなら勝てるよ」
その瞬間、私の願いは砕かれたのだと悟った。雫さんは何があってもこの戦いを終わらすことはしない。
それどころか、雫さんはあの戦いを見ても立花さんに勝てるというのだ。その声色には揺るぎない絶対の信頼があった。
「……無理ですよ。わた、しじゃ勝てま、せん」
「大丈夫、勝てる」
雫さんは私の頭を優しく撫でながら言うことで、私の脳内に自信を付けさせようとする。
その柔らかな雫さんの手のひらを私は両手で包みこみ、震える声で。
「しず、くさんは、私のこと、嫌い、ですか?」
「もう、何言ってるの。嫌いだったらこうやって話すことも、鍛錬を施すことも,
ましてや、パートナーになることもないよ」
その言葉の節々から嫌われていないことが雫さんから伝わってくる。それでも、私は信じ切れることが出来なかった。
信じ切れることが出来ないから、たまりにたまった激情が溢れ出してくる。
「だったらどうして! こんな条件を立花さんに課すんですか!? 雫さんも心のどこかで、私みたいな『凡人』よりも、立花さんみたいな『天才』の方が自分のパートナーに相応しいって、そう思っているんですよね!? そうじゃなきゃ、こんな……! こん、な……」
八つ当たりだと分かっていた。それでも、胸の奥に押し込め続けてきた不安は、もう抑えきれなかった。
頬を伝った涙がぽたぽたと地面へ落ち、一つ、また一つと土を濡らしていく。やがて幾つもの雫は境界を失うように滲み合い、不格好な染みとなって広がっていった。
「……何度でもいうよ。光ちゃんなら勝てる」
「どうして? どうしてどうしてどうして!? どうしてそこまで信じられるんですか!? 雫さんだって実際に見たはずです! 感じたはずです! 立花さんと私の差を! 『天才』と『凡人』の差を!」
自分でも、何に対してこんなにも声を荒げているのか分からなかった。
雫さんに怒っているのか、自分自身に怒っているのか、それとも『天才』と『凡人』という埋めようのない差に叫んでいるのか。
積もり積もった感情は、もはや理性では押さえ込めず、激情のまま溢れ続けていた。
「うん。見た。感じた。だからこそ確信した――光ちゃんなら勝てるって!」
「っ!?」
私は息を呑んだ。
あの戦いを目の当たりにしてもなお、雫さんは勝てると言うのだ。勝てると言い張るのだ。
理性の枷が外れ、感情の奔流に流されるまま、なりふり構わず叫び散らかしていた私は、その一言で言葉を失う。
雫さんの瞳。雫さんの声。雫さんの表情。そのすべてが、私の揺るぎない勝利を信じてるような、いな、確信している眩しい輝きに私はただ、目を奪われることしかできなかった。
「光ちゃんは気づいてないかもしれないけど、実は立花さんに刃が届いていたのよ」
「え……?」
驚愕する私。
知らなかった。だって戦いでそんな手ごたえ一切なかったのだから。
「ええ、まあ身体に傷を付けたわけじゃないけど、ジャージ服を裂かせた」
立花さん自身に傷に付けたわけではないものの、私の刃は立花さんに届いたそうな。
しかし、それは何の気休めにもならない。むしろ希望を与えられたせいで、最後の戦いで絶望に堕とす材料の一つになったに過ぎない。
雫さんは私の暗い表情を見て、私の抱いている気持ちを如実に感じ取ったのだろう。
「確かにその一太刀は立花さんを傷つけられなかった。でもね、届いたという事実が大事。届いたということは、勝てる可能性があると言うことなの」
「……今日届いたからと言って、次の戦いでは届くとは限りませんよ」
「届くよ! ううん。それどころか、光ちゃんは立花さんに勝てる! 私はそう、信じてる」
雫さんは真っ直ぐな、それでいて、真摯な輝きを、眩しいくらいの輝きを、圧倒的な輝きを以て、信じ切れない私の心の濁りを取り去っていく。
もはや、その輝きに私はもう何も言えなくなってしまった。
「私の言葉、信じてくれた?」
雫さんは私の鼻に人差し指をちょこんっと触れ、可愛らしくウインクをして、私にそう言った。
「……信じてみようと思います」
私は直視できず、恥ずかし気に目を逸らしながら、小さくそう呟く。それを見た雫さんはくすっと小さく笑ったのだった。




