56話 冷静さ
土曜日、午前八時。
雲一つない空は淡く澄み、春らしい柔らかな青がどこまでも広がっていた。入学当初はまだ冬の名残を感じさせる冷たい空気が頬を撫でていたが、今ではその気配もすっかり消え、穏やかな陽気が優しく肌を包み込んでいる。
翌日に立花さんとの二度目の模擬戦を控えた私は、その日に備えて雫さんに鍛錬をつけてもらうため、凜ちゃん、雫さんと三人で訓練所へ足を運んでいた。
やがて訓練所へ到着し、朝の陽射しが降り注ぐグラウンドへ目を向ける。すると、ひときわ目を引く大きな青いリボンが目に飛び込んできた。
「あ、師匠!」
小柄な体に揺れるその青いリボンは、一目見ただけで誰なのか分かる。私は自然と声を弾ませ、師匠へ駆け寄った。
「これは、神崎さ――え? し、白雪先輩!?」
私に向けられていた師匠の視線は、その後ろに立つ雫さんを捉えた途端、驚きに見開かれた。
「おはよう。あなたが光ちゃんの言っていたお師匠さんの嵐山四季さんね。どうも、白雪雫です。光ちゃんがお世話になってます」
まるで保護者が挨拶をするかのような穏やかな笑みを浮かべ、雫さんは固まったままの師匠へ手を差し出した。
一昨日。任務からの帰り道に、私の刀筋が日に日に良くなっていると雫さんに褒めてもらった。その流れで、「独学なの? それとも誰かに教わってるの?」と尋ねられ、師匠から指導を受けていることを話したのだ。
「あ、と、とんでもございません! こちらこそ、か、神崎さんがお世話になっております!」
師匠も慌てて背筋をぴんと伸ばし、差し出された手を両手で包むように握り返した。二人のやり取りは、まるで保護者同士の初対面の挨拶そのもので――。
隣の凜ちゃんも同じことを思ったのか、「な、なんか、ふ、二人共、ひ、光ちゃんの保護者みたいだ、ね」と私に囁いてきた。
本当は血のつながりなんてないはずなのに、二人が疑似的に私の母親のように思えて、不思議とむず痒い。
「これからも、光ちゃんの指導をよろしくお願いします。頑張り屋で、本当にいい子なので」
「こ、こちらこそ、神崎さんのことをよろしくお願いします。素直で努力家な子ですから。……あ、でも、頑張りすぎるのが玉に瑕でして。強引にでも遊びに連れ出して、たまには休ませてあげてください」
「分かりました。肝に銘じておきますね。あっ、そうだ。光ちゃんって、普段の鍛錬ではどんな感じなんですか?」
「四季の言うことを素直に聞いてくれますから、教えてる身として凄くやりやすいですね」
「あ、あのあの! もうその辺でお願いします!」
二人はすっかり意気投合した様子で、私のことを肴に話を弾ませている。その様子は、まるで保護者同士が子どもの成長を語り合っているようであった。
最初は少し照れくさい程度だったのに、褒め言葉が次々と飛び出すたび、そのむず痒さはどんどん膨らみ、今では全身を掻きむしりたくなるほどに恥ずかしかった。
しかも、周囲には鍛錬中の人がちらほらといて、学院のアイドルである雫さんがいるだけでも視線を集めているというのに、その雫さんと師匠が、楽しそうに口を揃えて私の人となりを語っているのだ。
二人の間に割って入るように声を上げた私を見て、二人は顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、くすりと笑う。
最初こそ雫さんを前にして緊張していた師匠だったけれど、今ではすっかり打ち解けたらしく、いつもの自然体を取り戻していた。
「し、雫さん! は、早く鍛錬を始めましょう!」
「ふふっ。はいはい」
雫さんは、照れ隠しのように話を切り上げ、慌てて鍛錬を始めようとする私を見て、可笑しそうに笑う。
「あの、よろしければ四季もお二人の稽古を見学してもいいですか? 一度、どのような鍛錬をされているのか見てみたいと思っていたんです」
「私は構わないけど、光ちゃんは?」
「私も大丈夫です」
「ありがとうございます。では、見学させていただきますね」
こうして師匠も見学者として加わり、いつもとは少しだけ賑やかな特訓が始まった。
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「さて、光ちゃん。今日も今日とて受け流しをしてもらうけど、今日はそれに加えてもう一つ」
雫さんは人差し指をぴんっと立てた。
「常に冷静でいること。今日はこれを意識してほしいの」
「冷静……」
「戦いでは、常に冷静さが求められる。光ちゃんは追い詰められると焦って、反射的に行動してしまう癖があるでしょう。それが経験に裏打ちされた反応ならまだしも、戦いの経験が浅い光ちゃんの場合、焦りに任せた行動は、それだけで相手に隙を与えてしまう」
雫さんの指摘は、あまりにも心当たりがありすぎた。
私は焦ると、途端に思考が止まってしまう。
何をするべきかを考えるより先に、「とりあえず」と反射的に身体を動かしてしまうのだ。
例えば、相手から攻撃を仕掛けられれば、とりあえず刀を盾代わりにして防ごうとする。
相手との間合いを外そうとすれば、必要以上に大きく後ろへ跳んでしまう。
冷静に考えれば、もっと他にやりようがあるはずなのに、焦った瞬間の私はそんな当たり前の判断すらできなくなる。
その結果、何をするにしても必要以上に大げさな動きになってしまう。
言われてみれば、まさに私の悪い癖だった。
「でも、冷静さを保てれば、そうした余計な動きは減らせる。そうすれば、相手に付け入る隙を与えることも少なくなるし、その分、次の動きにも繋げやすくなる。だから今日は、光ちゃんにしっかりと冷静さを身につけてもらうよ」
「はい!」
私が快活に返事をすると、雫さんは満足そうに微笑みながら頷いた。そして、腰の刀を抜くと、静かに構える。
「さて、それじゃあ。鍛錬を開始するよ」
「お願いします!」
私も刀を構え、深く息を吸い込む。雫さんから教わった言葉を胸に刻みながら、私は一振り目の攻撃を待ち構えた。
こうして、何度も何度も繰り出される雫さんの攻撃を、冷静さを意識しながらひたすら受け流しに明け暮れる私なのであった。




