55話 西園寺奏の妹
「神崎君、水無月君。おはよう」
「か、金山理事長! えっと、お、おはようございます!」
「お、おお、おはよう、ござい、ます!」
立花さんとの模擬戦で無様な敗北を喫した私は、もっともっと強くなるため、早朝から訓練所へ向かっていた。
本当なら私一人でトレーニングに励むつもりだったのだが、案の定、凜ちゃんもついて行きたいと言い出したので、こうして二人で足を運んでいる。
そんな折、白衣姿で学院を歩く金山理事長と遭遇した。
入学式のときに見せていた、どこか剣呑な雰囲気とは違う。表情には疲労の色が滲み、心なしか顔もやつれていた。
「はっはっは。そんなかしこまらなくてもいいよ、君たちは私にとって娘みたいなものだからね」
金山理事長は柔らかな笑顔を浮かべ、私たちの緊張をほぐそうとしてくれる。とはいえ、私たちにとっては目上の人であり、何よりこの学院の理事長だ。そう簡単に緊張が解けるはずもない。
「とと、君たちはこれからトレーニングなのだろう? 引き留めてすまない」
「あ、いえ、全然大丈夫です! えっと、金山理事長はこの時間まで研究を?」
「ああ、そうだ。ただ、少々行き詰ってしまってね。今は気分転換も兼ねて、学院内を散歩していたところだ」
金山理事長の声には、研究の疲れが滲んでいた。きっと、私たちには想像もつかないほど根を詰めていたのだろうと思う。
私に研究の手伝いなんてできるはずもない。それでも、せめて元気になってほしかった。
「わ、私に何か出来ることはありませんか! け、研究のお手伝いは無理かもしれませんけど……元気づけることなら……!」
「はっはっは。神崎君の気遣いはありがたいが、それには及ばないよ……というより、私はもう君たちから十分元気をもらってるからね」
そう言って、金山理事長は柔らかな笑みを浮かべる。
改めてその顔を見ると、確かに、出会ったときよりも疲れ切った様子が幾分か和らいでいるように感じた。
「さて、私はまた研究に励むとしよう。ありがとう。君たちのお陰で元気をもらったよ」
「い、いえ! また元気がなくなったときはいつでも声をかけてください」
「はっは。ありがとう、じゃあ、その時はまたお願いするよ。では、二人共。トレーニング頑張ってくれ」
「はい!」
「は、はい」
金山理事長は踵を返すと、私たちに背を向けながら右手をひらりと上げ、そのまま研究室のある方へと歩いていった。
*
「ひ、光ちゃん。なんか日に日に刀の振り方が良くなってる、ね」
「え? えへへ、そ、そうかな~?」
「う、うん。ずっとひ、光ちゃんの刀を見てきたからわかる。凄い綺麗な太刀筋になってるよ」
互いに向き合いながら、一緒に素振りをしていた私達。師匠から学んだ今までを意識しながら刀を振っていた。
ほとんど毎日のように指摘されたことを意識して振り続けてきたおかげか、特に姿勢に関しては、今では何も考えなくても自然と形になるようになっていた。師匠からも、姿勢に関してはもう問題ないと太鼓判を押されている。
まだまだ粗削りではあるが、それでも、凜ちゃんにもはっきりと分かるほど太刀筋が良くなったと褒められて、私は思わず頬を緩めた。
毎日積み重ねてきた努力が、少しずつ目に見える形になって表れている。
それが、私には凄く嬉しかった。
「おはようございます。神崎さん、水無月さん。朝から精が出ますね」
と私たちの間に割って入ってくる人物が。
「あ、西園寺さん。おはよう」
「お、おはよう……」
長い銀髪を揺らし、自然を思わせる澄んだ碧眼を持つ少女。その立ち居振る舞いには、育ちの良さを感じさせる気品が漂っていた。
彼女は一年Dクラスの西園寺穂花さん。学院のアイドルにして最強と謳われる西園寺奏先輩の妹。
彼女は入学してすぐに、西園寺先輩の妹だと言うことが知れ渡り、瞬く間に学院で注目の的に。
礼儀正しく品行方正。それでいて文武両道。
昼休みにはラウンジで他の生徒へ勉強を教える姿をよく見かける。訓練の授業で行われた模擬戦でも、その実力は一目で分かるほど高い。
まさに、誰もが認める優等生。
それが、西園寺穂花という少女だった。
「西園寺さんも今から鍛錬?」
「そうです。少しでも強くなりたいですから」
「えっと、もしかして、毎日この時間に鍛錬してるの?」
「はい。夜は勉強に励みたいので、必然的に空いてる朝に鍛錬をしてます」
「優等生だ……!」
入学以来、毎朝欠かさず鍛錬に励み、夜は勉強に打ち込む。まさに文武両道という言葉がぴったりだった。
私は鍛錬には人一倍力を入れている自負はあるものの、勉強は後回しにしがちで、最近では授業の内容も少しずつ理解が追いつかなくなってきている。
六月には定期テストが控えている。
赤点という制度はないものの、朝倉先生からは「どれか一教科でも五十点以下を取れば、学院のトイレ掃除をしてもらう」と宣告されていた。
毎朝鍛錬に励み、夜は勉強に打ち込む西園寺さんを見ていると、私も少しは見習わなければと思わされる。
……鍛錬だけじゃなくて、勉強もしっかり頑張ろう。
「あまりにも自然で気にしてなかったけど、私の名前よくわかったね」
「わ、わたしもそ、それ思った」
西園寺さんとは、これまでまともに会話をしたこともなければ、直接顔を合わせるような機会もほとんどなかった。せいぜい、訓練の時間に顔を見かけるくらいだ。
それなのに、西園寺さんは私の顔と名前を迷いなく一致させ、まるで以前から親しくしていたかのように呼んでみせた。
「暗記しましたから」
「あ、暗記?」
「はい。この学院に所属する生徒たちの名前は一週間ほどかけて全員覚えましたから」
「「えええ!?」」
西園寺さんの言葉に私と凜ちゃんはそろって驚く。つまりは、暗記したから私と凜ちゃんの名前が分かったということだった。
全寮制と言えど、関わる人なんてそう多くない。ましてや、一年生同士ならともかく、二年生や三年生ともなれば、日常的に顔を合わせる機会だって限られている。少なくとも、学院にいる生徒全員と関わることなんて、普通ならあり得ないはずだ。
それを、一週間かけて生徒の名前を全員覚えて――それ以前にそもそも覚えようなどと考えつくこと自体が、私には少しも理解できなかった。
「ど、どうして、そこまで覚えて……あ、いや。それは人それぞれだし、別にいいんだけど……」
「そうですね。端的に答えるなら、私にとって必要な事だからです」
「ど、どういう、こと?」
「私には超えたい人がいます。だからです」
「そう、なんだ」
返ってきた答えは、あまりにも簡潔だった。正直なところ、西園寺さんが何を考えているのか、私にはさっぱり分からない。
どうして学院中の生徒の名前を覚えることが、その人を超えることに繋がるのか。
気にならないと言えば嘘になるが、人には人それぞれの行動原理がある。本人にとって、それが必要だというのなら、それ以上の理由を無理に聞くのは野暮というものだろう。
それに、まだそこまで親しい間柄でもない私が、根掘り葉掘り聞くのも失礼な気がして、それ以上突っ込むのはやめる。
「あ、そうだ。西園寺さんも一緒に鍛錬しない?」
「私がお二人混じってですか?」
「ね? 凜ちゃんもいいよね?」
「え……? あ、う、うん……」
凜ちゃんは少し戸惑いながらも頷く。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えてご一緒させてもらいますね」
「うん! よろしくね」
「あ、えっと、よ、よろしく、ね」
「はい。神崎さん、水無月さん。よろしくお願いします」
こうして、西園寺さんも加わり、私たちは三人で鍛錬に励むのであった。
*
朝の鍛錬を終えた私と凜ちゃんと西園寺さんは寮への帰路の途中。
「あら、『凡人』三人で朝からトレーニング? それはご苦労な事」
今から教室へと向かうのだろう、立花さんと遭遇した。相も変わらず嫌味たっぷりな挨拶を私たちにする。
「立花さん!」
隣にいた西園寺さんは立花さんを見るなり、鋭い声色で名前を呼ぶと、一歩前に出て、指を差す。
「私はいつか必ずあなたに勝ちます!」
西園寺さんは立花さんに敵意を剥き出しにして、そう宣言する。品行方正で、気遣いやで、気配り上手で、誰隔てることなく優しく接し、まさに優しさの権化である彼女。
そんな彼女の中にある優しさの仮面が、立花さんを前にした瞬間だけ剥がれ落ちる。
そこに残るのは、獲物を前にした猛獣のような、鋭く激しい敵意だった。
授業の訓練で模擬戦が始まると、西園寺さんは決まって何度か立花さんに勝負を挑んでいた。
一年生の中でも、西園寺さんの実力は群を抜いている。
自分の強さに悩む生徒がいれば親身になって相談に乗り、頼まれれば丁寧に指導する。そんな姿をちょくちょくと見かけていた。
教えを乞う生徒たちも、西園寺さんの実力を知っているからこそ、その言葉を信頼し、素直に耳を傾けている。
それほどまでに強い。
それでも、そんな彼女さえも立花さんに勝つことは出来なかった。それどころか、その実力差は圧倒的で西園寺さんは立花さんに手も足も出ず、幾度となく敗北を積み重ねてきた。
「ふん。あんたも懲りないわね。今まで会ってきた『凡人』の中で初めてよ。こんなにもあたしに突っかかってくる輩は。そろそろ自覚したら? 『凡人』のあなたじゃあ『天才』のあたしに勝てないって。だって――」
立花さんは西園寺さんを顎を突き出して、見下すように、そして、憐れむように次の言葉を零した。
「あんたは西園寺先輩とは違うんだから」
「っ!? 黙ってください!」
その言葉が、西園寺さんの逆鱗に触れた。
普段の穏やかな彼女からは想像もつかないほどの激昂。その怒りに任せるように、西園寺さんは立花さんの胸倉へと手を伸ばす。
「あ、ぐ……」
しかし、その手が届くよりも早く、立花さんは西園寺さんの手首を捻り上げていた。
鋭い痛みに、西園寺さんは苦悶の声を漏らすも、しかし、その痛みをこらえるように歯を食いしばり、開いた右の碧眼で真っ直ぐ立花さんを睨み返す。
「ほんと羨ましいわ。あたしが西園寺先輩の妹だったらよかったのに。絶対毎日楽しいに決まってるわ」
「変わ、れる、ものなら……変わって、あげた、いですよ。あの、人のせいで、私は……あ、ぐ!」
言葉の途中で、さらに手首を捻られた西園寺さんはさらに表情を苦痛に歪める。
「あんたみたいな出来損ないが、『天才』である西園寺先輩に侮辱? はなはだしいにもほどがあるわ」
「た、立花さん! もう、その辺にして! 西園寺さんを離してあげてよ!」
たまらず二人の間に割って入る私。すると、立花さんの赤い瞳が、ぎろりと私へ向けられた。
その視線は鋭く、まるで獲物を睨みつける猛獣のようで、私は思わず怯んでしまう。
「は? なんであんたの言うことを聞かないといけないの? そもそもこいつから掴みかかってきたのに、なんであたしが悪いみたいな扱いなの? あたしは正当防衛でこうしてるだけなのに、さ」
「あ、がああああ!!」
西園寺さんは迸る痛みに耐えきれず、先ほどまで立花さんを睨みつけていた右目を強く閉じた。歯を食いしばって耐えようとするも、もはや抑えきれない苦痛の声が、その口から溢れ出る。
捻られた手首は、見ているだけでこちらまで痛みを感じてしまうほど不自然な方向へ曲がっていた。
「ほんとに、もうやめてよ!」
立花さんに睨みを利かされ、怖気づいていた私。それでも、西園寺さんの苦痛に満ちた悲鳴を聞いているうちに、胸の奥からふつふつと怒りが込み上げてくる。
気づけば私は、その怒りに身を任せるように立花さんへ掴みかかろうとして――。
「何してるの」
川のせせらびのような透き通った声色が、この空間に一滴の水滴が垂らされた。
張り詰めていた空気も、怒りに満ち溢れていた私の感情も、西園寺さんの痛みの苦鳴も、立花さんが西園寺さんに痛みを与えることも、何もかもが、その一声で、鎮まった。
全員の意識はそれら全てを置き去りにしてその声色の主――雫さんに意識を奪われる。
雫さんはこの惨状に目を通してから、立花さんを双眸に入れると、まるで事の顛末を察したかのように、やれやれと小さく息を吐いた。
どうやら、この状況を引き起こした元凶が誰なのか、すぐに察したらしい。
「立花さん。西園寺さんを離してあげて」
「……分かりました」
立花さんは、雫さんの一言にあっさりと従い、西園寺さんの手首を解放する。
解放された西園寺さんは、荒い息を吐きながら、痛めた右腕を左手で庇うように押さえた。
「何があったのかは聞かないけど、あまり荒立てないでね。いい?」
「「「……すみません」」」
私と立花さんと西園寺さんは三人揃って、しょんぼりとした声で謝罪する。
「ほら、三人は早く寮に戻って支度してきなさい。授業に遅れるちゃうよ」
雫さんは腰に手を当てて、子供をしつけるように立花さん以外の三人にそう促す。
「は、はい。失礼します!」
「失礼します」
「し、失礼……します」
私たちは慌てて頭を下げ、颯爽と雫さんの横を駆け抜ると、あわただしく寮へと戻ったのであった。




