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43話 死闘の末

「なっ!?」


 予想だにしない光景に、私の思考はかき乱されていた。


 私の刃はフォークの隙間にぴたりと挟まっていた。


 しかも、渾身の一撃だったはずなのに、男はまるで子どもの遊びでも受け止めるかのように、軽々と受け止めている。


 男は口元を歪めると、身体を翻し、手にしたナイフとフォークを私へ投げ放った。


 私は迫り来る凶器を必死に刀で弾く。


 だが、男は次々とナイフとフォークを生成し、休むことなく投げ続けてくる。


 凶器の嵐をどうにか捌くも、しかし落下姿勢は崩れたままだ。


 このままでは背中から地面へ叩きつけられる。


 数十メートルの高さからの落下。重力は容赦なく私を引き寄せ、凶器を弾くたびに体勢はさらに乱れ、落下速度は増していく。


 立て直す余裕などない。


 防ぐだけで精一杯だった。


 体勢を変えようにも、凶器の応酬に対応を見舞われ、身動きは取れず、今度こそ、万事休すだった。


 ――ああ。これで、終わりなんだ。本当にこれで……


 ただ、迫りくる死を、不思議なくらい冷静に事実として捉えていた。


 ――せっかく、雫さんの隣に立てたのに……でも、それは仕方ない。だって、私が招いたことだから。私が悪いから。これは、私の因果応報。受けるべき罰なんだ。


 それでも――


「もっと……一緒にいたかったなぁ」


 私が死ねば、雫さんはきっと、この死を一生背負ってしまう。


 そんな未来だけは嫌だった。


 本当に、嫌だった。


 しかし、もう叶わぬ願い。


 だから私は最後に、雫さんに向けて。


「ごめん、なさい……!」


 そう、小さく呟いた。


 ――その瞬間。


「光ちゃん!」


 心地よい声が私の鼓膜を優しく叩く。


 ゴーストもその声が届いたのか、意識が雫さんの方へと向く。


 攻撃が一瞬途切れた隙を突き、雫さんは一気に私との距離を詰めると、落下する私を抱き留めた。


 しかし、ゴーストも黙って見送るほど甘くはなかった。


 遠ざかる私たちの背中へ向け、無数のナイフとフォークを容赦なく投げ放つ。


 銃弾のような速さで飛んでくるそれらを、雫さんは後ろに目があるかのように、全て紙一重で躱していく。


 そのまま商店街を駆け抜け、大きな広場へ飛び出すと、飛来する凶器の軌道を読んで鋭く進路を変え、一気に射線から離脱した。


「光ちゃん。私があいつの注意を引きつける。隙ができたら合図するから、その瞬間に攻撃して。いい?」


「え……?」


 思わず間の抜けた声が漏れた。


 また「逃げて」と言われるものだとばかり思っていた。


 だけど雫さんはそうは言わず、私を戦力として組み込んだ作戦を立ててくれた。その事実が信じられず、私は返事をすることさえ忘れ、ただ雫さんを見つめていた。


「……嫌ならいいわ。その時は、私が一人で片付けるから」


「や、やります! やらせてください!」


 言い切ったあとになって、ようやく胸の奥がじんと熱くなった。


「じゃあ、よろしくね」


「はい!」


 作戦を確認し終えた、その瞬間。


 男がゆらりと姿を現した。


「コレデ、オワリ、スル。ソロソロ、ゲンカイ!」


 飢えを隠そうともせず、その濁った声には獲物を喰らいたいという欲望だけが滲んでいた。


「行くよ! 光ちゃん!」


「はい!」


 雫さんは地を蹴り、男との距離を瞬く間に詰める。


 二人の剣戟が激しく交錯し、飛び散る火花が縦横無尽に闇夜を照らす。私は巻き込まれないよう距離を取りながら、その攻防を固唾をのんで見守る。


 男は雫さんへの対処で手一杯なのか、私には目もくれない。それほどまでに、ゴーストは雫さんを脅威と見なしている証拠。


 とはいえ、雫さんの表情は著しくない。その表情は苦悶に満ちていて、額には汗が滲んでいた。


 相当に余裕が無いことが明白だ。


 激しい剣戟が交錯する中、ゴーストは時々、痛みを訴える声が轟いていた。現状は、雫さんの方が、一枚上手のようであった。


 ――だけど、それはあくまで『今』だけ。


 ゴーストには、人間のように疲労するという概念がない。それは、人間である雫さんにとってあまりにも酷な条件だった。


 長引けば長引くほど、その差は確実に雫さんを追い詰め、やがて今の優勢さえ覆してしまうだろう。


 以前、SNSで見た雫さんの投稿を思い出す。


 去年の十二月頃、人型ゴーストを討伐した時の写真には、コアを両断した姿と引き換えに、全身へ傷を負った雫さんの姿が写っていた。


 あの勝利も、決して楽なものではなかったはずだ。


 もし無尽蔵の体力が有していたなら、雫さんは傷一つ負わず勝てるのだろう。


 だけど現実は違う。


 時間が経てば、この戦況はいずれ覆る。


 しかも、人型ゴーストはコアを破壊しない限り、半永久的に存在し続ける。

 

 朝四時を迎えれば、ゴーストの活発化は収まるのと同時に、ゴーストへの攻撃は一切通用しなくなる。


 それまでに決着をつけられなければ、この人型は翌日もどこかに存在し続ける。再びこの地に現れるかもしれないし、別の場所へ移るかもしれない。それは誰にも分からない。神のみぞ知る領域だ。


 そして、その影響は翌日の任務に向かう別の誰かへと及ぶ。


 人型と戦うに足る実力を学院に認められた者ならまだいい。


 けれど、そうでない者が遭遇すれば、命を落とす危険すらある。


 そんな結末になれば、雫さんの今の頑張りは無に帰るどころか、討伐し損ねたという事実が、きっと深い罪悪感となって心を蝕むだろう。


 それだけは、絶対に嫌だった。


 それに、もしこの場で討伐し損ねたとすれば、その責は私にもある。


 最初に雫さんの指示を聞かなかったせいで、本来なら避けられたはずの消耗を与えてしまった。


 もしそれがこの戦いの結末を左右する決定打になったのなら――その責を負うのは、私だけでいい。身勝手に招いた結果だ。それは甘んじて受けるつもりだ。


 けれど、その結果として誰かにまで必要のない罪を背負わせることだけは、したくなかった。


 そんな未来だけは、絶対に避けなければならない。


 だからこそ私は、雫さんの戦いを無駄にしないために。


 そして、未来を掴むために。


 雫さんの合図が来た、その瞬間に迷わず動けるよう、全神経を戦場へと研ぎ澄ませた。


 雫さんの呼吸が乱れていき、徐々に戦況の均衡が崩れ始めていた。


 そして――

 

 雫さんの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


 疲労が積み重なった末に()()()()()()()()()()、刹那にも満たない隙。


「メシダアアアアアアア!!!」


 ゴーストは歓喜の雄叫びを上げ、勝機とばかりに右手のナイフを大きく振りかぶる。


 その一撃を誘い出すには、十分すぎる"隙"だった。


 ナイフが雫さんを捉えた瞬間、鋭い金属音が響いた。


「ナ!?」


 雫さんはナイフを真正面から受け止めたのではない。刃を左斜め下へと流し、その軌道に沿ってナイフを滑らせたのだ。


 勝利を確信していたゴーストは反応が一瞬遅れる。滑り落ちるナイフを咄嗟に手放せず、身体ごと前へ引っ張られて、大きく体勢を崩した。


「光ちゃん、今!」


 雫さんの合図とともに、私は地を蹴った。


 ゴーストの背後から、私は迷わず刀を振り下ろす。


 刃は右肩口から深く食い込み、手には本物の肉を断つような、生々しい感触が伝わってくる。


 それは、訓練の授業で人間を模した人形に振るったときの感触と同じだった。


 訓練では、人型との戦闘に備え、人間を模した人形を相手に刀を振るう授業があった。


 人体の感触まで再現されたその訓練は、飛び降り訓練以上に残酷だった。


 精神的に追い詰められ、涙を流す者もいれば、体調を崩す者もいた。


 私も例外ではない。恐怖で身体の震えが止まらず、立っていることすら苦しかった。


 それでも、生徒たちは辛いながらも必死に向き合い続け、その訓練を乗り越えてきた。


 あの過酷な訓練を乗り越えたからこそ、この感触に動揺することはなかった。


 ――だけど。


「や、めて、くれ……」


「!?」


 男は苦しげに首をこちらへ向け、悲痛な表情で声を絞り出した。


 訓練用の人形はいくら斬っても、苦しむことはない。命乞いをすることも、恐怖を浮かべることもない。


 だけど、目の前の人型ゴーストは違った。死を前にした恐怖が、その声にも、その表情にもありありと浮かんでいる。


 今まで聞いてきた濁った声も、今まで見てきた虚ろな姿はどこにもない。


 目の前にいたのは、死を恐れ、助けを求める一人の”人間”だった。


 その姿に私は息を呑み、気づけば振り抜くはずだった刃は止まっていた。


 その隙を、ゴーストは見逃さなかった。


 ナイフを手放し、滑り落ちる勢いを利用して腰を捻る。


 振り向きざま、左手のフォークを私の側頭部めがけて突き出した。


 反応が遅れた私は、迫りくる切っ先を見つめることしかできない。


 その先端が目と鼻の先まで迫った――その瞬間。


 フォークは、不意にその勢いを失った。


 何が起きたのか理解する間もなく、男の身体はコアごと真横に両断されていた。


 一拍遅れて、その身体は切断面を境に静かにずれ落ちると、やがて全身は青いガラス片へと姿を変えて、夜空へ吸い込まれるように舞い上がっていった。


 こうして、人型ゴーストとの死闘は静かに幕を下ろした。

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