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42話 最悪な存在

 酷く痩せこけた男だった。


 身にまとっているのは、薄汚れたTシャツと擦り切れたズボン。


 まるで長い間、路上を彷徨っていた浮浪者のような風貌だ。


 左手には一本のフォーク。


 そして空だった右の手のひらが、不意に淡く輝き始める。


 光が収束した次の瞬間、そこには一本のナイフが握られていた。


 さらに胸――心臓の位置には、先ほど討伐した骨格恐竜と同じ”青い水晶玉”が埋め込まれている。


 淡く燐光を放つそれは、自らがゴーストであることを示唆していた。


 ゴーストの多くは『憑依型』と称される、さっきのゴーストのように物質へ憑依し、それを自在に操って力を振ることが出来る。


 しかし、ごく稀に、私たちの目の前にいるような、人の姿のまま現れるゴーストが存在する。


 『人型』と呼ばれ、ゴーストの中で、最悪の部類に入る存在だ。


 憑依能力こそ持たないが、その身一つで振るう戦闘能力は圧倒的。それこそ、先ほど討伐したゴーストが、赤子同然と思えるほどに。


 三つ葉女学院では、任務中に隊員が負傷したり、想定外の事態が発生したりした場合に備え、『補欠』と呼ばれる待機要員が配置されている。


 そして、その補欠の中には、万が一、人型ゴーストが出現した場合に備え、人型と互角以上に渡り合える実力者が必ず待機している。


 それほどまでに、『人型』は危険な存在なのだ。


 男はニィっと悪魔染みた嗤いを浮かべながら、真っ黒の瞳はきょろきょろと私と雫さんを交互に品定めをして、そして――


「オマエカラ、タベル」


 男は私へと駆けた。


 消えたと錯覚するほどの疾風の如き速さ。


 男が私の懐にたどり着いたときには、既にナイフを斜め下から斬り上げていた。


 私の認識速度すら置き去りにする一撃。


 脳は理解しているのに、身体は防御も回避もできない。ただ、その軌道を見つめることしかできなかった。


 このままじゃ……!


 脳内では危険を告げる警鐘が鳴り響いている。だが、現実では身体は金縛りにあったように動かない。


 ――そして。


「!?」


 白き刃が、男の首を断つ勢いで閃く。


 男は一瞬で攻撃を捨て、背中から地面に倒れ込んだ。その反動を利用して身体を跳ね上げ、鋭い蹴りを放つ。


 生足が、私の顎を捉えようと迫る。


「右に跳んで!」


「!?」


 雫さんの指示を脳が理解するより早く、身体が反射的に動いていた。


 男の蹴りは空を裂き、私の目の前を風圧だけ残して通り過ぎる。その勢いのまま男はバック転のように身を翻し、私たちから距離を取った。


 音もなく鮮やかに着地した男は、ゆっくりと視線を私から外す。


「シトメ、ソコネタ。オマエ、アト。サキ、ソッチ、シトメル」


 濁った声とともに、その双眸は雫さんを捉える。


「光ちゃん。今のうちに逃げて」


「そ、そんな……! わ、私も一緒に戦います!」


 私はもう、雫さんのパートナーだ。


 雫さんだけを戦わせて、自分だけ逃げるなんてできない。


「今の攻撃で分かったでしょ? あれがどれだけ凶悪か。私一人なら対処できる。でも、あなたを守りながら戦う余裕はない。悪いけど、この場ではあなたは足手まといよ」


 男から一瞬たりとも視線を逸らさぬまま、雫さんは冷たく言い放った。


 胸に、鋭い痛みが走る。


 反論なんてできなかった。たった一度の攻防で、『人型』の強さは嫌というほど思い知らされた。雫さんがいなければ、私は間違いなく死んでいた。


 それでも――私は、雫さんのパートナーとして、隣に立ちたかった。


「私は雫さんのパートナーです! パートナーが戦うなら、私も――」


「これは感情論で片付く問題じゃないのよ!」


 鋭い叱責が、私の言葉を断ち切る。


 ――その瞬間だった。


 私へ向けられた雫さんの視線が、ほんの一瞬だけ男から逸れた。


 その刹那の一瞬。


「っ!?」


 男は間合いを詰め、雫さんの懐に入り、ナイフを先端を雫さんに向ける。


「くっ……!」


「雫さん!」


 雫さんは男の刺突を咄嗟の判断で、刀を盾にして防ぐことが出来たものの、その衝撃までは殺しきれず、後方へ弾かれるように吹き飛ぶ。


 私は吹き飛ばされた雫さんを考えるよりも先に追いかけようとしてしまう。




 ――すぐ傍に、『ゴースト』がいることも忘れて。




「ハラヘッタ……」


「!?」


 男は腹に右手を当て、じゅるりと唾を飲み込むように口端を濡らした。それを左手の甲で乱暴に拭い、舌なめずりをする。


 そして――我慢の限界を迎えたように、下からナイフを振り上げた。


 その軌道を、私はゆっくりとした時間の中で視ていた。


 雫さんが油断していたとはいえ、あの人を吹き飛ばすほどの一撃だ。その腕力がどれほど規格外なのかは、考えるまでもない。


 そんな剛腕から繰り出された刃を、私なんかが受け止められるはずがない。受ければ、雫さん同様、身体ごと吹き飛ぶ。


 かといって、今さら避けようにも遅すぎる。太刀筋は鋭く、速く、私の反応など嘲笑うように迫ってくる。


 どうすることもできない私は、恐怖に身体を強張らせ、思わず目を閉じた。


 怖い。


 死ぬことも、もちろん怖い。


 だけど、それ以上に恐ろしかったのは、このまま何もできずに終わることだった。


 ゴーストに一矢報いることすらできず、最後まで足手まといのままで終わってしまうこと。


 そして、雫さんに私の死という後悔まで背負わせてしまうこと。


 ――それだけは、嫌だった。


 私が食い下がったせいで、雫さんは隙を突かれた。


 あのとき、雫さんの言葉に素直に従っていれば。


 私が意地なんて張らなければ。


 こんな状況には、ならなかったのに。

 

 私のせいで……





 ――ううん、まだ終わったわけじゃないよ、私! 諦めるな!


 後悔を振り切るように、私は強引に思考を回転させる。


 目を開けた私は、絶望的状況から打破するため、時間を置き去りにした感覚の中で必死に考える。


 現状、男の刃はすでに私を捉えている。回避は不可能。できるのは、刀で受けることだけ。


 だが防御に回れば、そのまま天井まで吹き飛ばされる。


 商店街を覆うアーチ状の天井。その高さに届くまでに、足で着地できればいい。


 失敗すれば――おそらく、死ぬ。


 私は助けてくれたあの日を思い出す。

 

 雫さんが、骨格恐竜の攻撃後の爆風を利用して宙を制した光景。


 ――大丈夫。私ならできる!


 自分に言い聞かせ、刃の軌道へ自身の刃を重ねる。


 ――そして。


 甲高い金属音。


 手に物凄い衝撃が走るのと共に、視界が反転。


 まるでジェットコースターのような加速と暴風。


 私の身体はみるみると天井への階段へとひた走る。


 そんな中、私は必死に身体を捻らせて、無理やりにでも脚からの着地の体勢を目指していく。


 ――くっ! 風圧が凄くて、思った通りに身体が動かせない。


 思った以上の加速で放り上げられ、暴風の中での身体は融通があまり効きにくく悪戦苦闘する私。


 ――出来る、出来る、出来る、出来る!


 肌感で天井までの距離はだいたい分かる。もう残り数メートルもない。それでも、私は鼓舞することで、冷静に身体を制御していき――


 





「はあ……はあ……」


 荒い息遣いだけが、やけに大きく響いていた。


 ――かろうじて、命は繋いだ。


 そう思った、刹那。


 男が跳んでいた。


 何十メートルもの距離を無視するように踏み込み、空間を蹂躙しながらこちらへ迫ってくる。


「くっ……!」

 

 人の身体能力を軽く凌駕する、人型ゴーストに苦悶の表情を私は浮かべてしまう。


 その勢いは一切の衰えはなく、跳躍の最中、ナイフと刀が交差する。明確な殺意が、空中でこちらへ向けられていた。


 ――迎え撃つしかない。


 私は覚悟を決めて、曲げていた膝を伸ばし男へと立ち向かう。


 男はクロスを崩し、右手を自身の左腰辺りに引き寄せる。おそらくは、間合いに入った瞬間に右斜め上へとナイフを振るうのだと見て取れた。


 なら、間合いに入られる前に私が刀を振るえばいい。


 刀のリーチはナイフを圧倒している。


 空中では回避もできない。先に斬り込めば、相手は防御せざるを得ない、少なくとも確実な生存は約束される――はずだった。


「なっ……!? くっ!」


 不意に男は左手を器用に動かし、フォークを鷲づかむように持ち替えた。そして、自身の右肩にそれを持ってくると、思いっきり私に投げ飛ばした。


 ヒュッ!


 風を斬る乾いた音。


 私は投げられたフォークの対処に、刀を盾にして防いだ。


 音に反して、手に伝わる衝撃は重く、一瞬だけ腕が痺れる。


 その痺れに一瞬だけ気を取られている間に、ゴーストは、本来は薙ぐはずだったナイフを、刺突するように正面へと差し出す。


 伸ばした肘の長さも加わって、間合いはほぼ消えており、私は刀を盾にする動作から他に移行する暇がない。


 そして、ナイフの切っ先は、その軌道上からズレる位置――私の脳天へと収束していた。


 このままだと、私の脳天はくし刺しに。


 だけど、もう防御の手札は切っている。


 ――これで、終わり……? ううん、ダメ! 


 ――最後の最後まであきらめちゃダメ!


 ――防御が出来ないなら、無理やりにでも回避するまで!


 私の意識は回避一点に絞る。


 私は力の限り腰を無理やりでも捻った。


 次の瞬間――ナイフの切っ先が、髪をかすめて突き抜けた。


 間一髪で回避した私は、無意識に刀を構えて、捻転力を生かした斬り払いをお見舞いする。


 刃は男の腰辺りを捉えた。


 男は今もなお、体勢は変わらず、ナイフを天井に突きつけてる形。


 男は首を動かし、私の刃の軌道を視線でなぞる。だけど、それだけで、身体はそれに反応できていない。


 胴と脚を断てば、それで十分だ。コアが無事でも戦闘不能にはできる。


 ――いける!

 

「はああああああ!!!」


 私は闘気の雄叫びを上げながら、渾身の刀を振るった。






 私の刃は――









 男の左手にあるフォークに阻まれた。

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