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17話 取り乱す師匠

「神崎さん。今日は四季と一緒に買い物に出かけましょう」


 朝七時頃。


 朝食を摂るため、寮のラウンジで凜ちゃんと落ち合い食堂へ向かおうと歩き出した、その折だった。


 食堂の扉が開き、ちょうど中から出てきた師匠がまるで待ち構えていたかのように、そう告げた。


 今日は土曜日。


 授業のない、いわば絶好の鍛錬日和だ。明日に控えたパートナー選抜を思えば、その一日を余すことなく鍛錬に費やすつもりでいた。


 昨晩、師匠から『明日の土曜日は休養に努めてほしいので、鍛錬は中止です』と告げられた。


 私は納得がいかず、幾度も食い下がったものの、その一点張りから微動だにせず、結局、渋々ながらも頷く他なかった。


 とはいえ、胸の奥にくすぶる鍛錬欲が消えず、いや、抑え込まれたがゆえに、かえってその熱は濃さを増し、意識の底で執拗(しつよう)(うごめ)いていた。

 

 師匠に背くことへの後ろめたさを覚えながらも、この衝動に抗いきれなかった私は師匠の目を盗んで、ひそかに鍛錬を積むことを企てようとしていた、その矢先に今の一言である。


「あ、えっと……今日は、その、用事が……」


「その用事は、鍛錬、ですよね?」


 完全に図星を付かれた私は心臓を鷲掴みにされたように息が詰まる。


「あ、あはは……そ、そんなわけないじゃないですか」


 私はぽりぽりと指先で頬を掻きながら愛想笑いで誤魔化した。


「じー……」


 師匠は何も言わず疑いの眼差しでこちらをじーっと見つめてくる。


「わ、私、素直、なので、師匠の言いつけはちゃんときちんと守ります」


「じー……!」


 私の言い分を耳にしても相も変わらず師匠の疑いの眼差しは晴れぬ一方。


 私は足りない頭を使ってなんとか師匠のその眼差しから逃れようと必死に考えるも、視線の圧力が、私の思考をかき乱し、口からは、まとまりのない言葉ばかりが零れて落ちていく始末。


「だから……その」


「じー!!!」


「……うう、はい、すみません。鍛錬しようと思っていました……」


 その視線に耐えられなかった私は観念し、肩を落としながら師匠に白状した。


 そんな私に師匠は呆れたように小さく息を吐く。


「最初からそう言えばいいんですよ。まったく……まあ、昨日の様子を見る限り、神崎さんが納得していないのは明らかでしたから、こうなる予感はしてましたが」


 どうやら師匠は、私の行動を最初から見透かしていたようで、はなから私の言い訳なぞ無意味だったと知り、唇を噛む。


「で、でもでも、パートナー選抜は明日なんですよ! しかも今日は休日で、たっぷりと鍛錬できる貴重な日なんですよ。そんな日に鍛錬が出来ないなんて、我慢なりません」


 万全の状態で選抜パートナーに臨むべきだという師匠の主張も理解できる。


 それでも、やっぱり、少しでも研鑽を積んで憧れに一歩でも近づきたい、その想いが私を掻き立てるのだ。


 それが休日となれば、なおさらだ。


「自分のキャパシティーをきちんと見極められるなら、四季も口を出したりしません。ただ、神崎さんの場合、憧れを抱えているから、いや、抱えているからこそ暴走気味になってしまい、自分の器を超えたを鍛錬に踏み込むと思ったんです。だからせめて今日は休んでもらおうと無理やりにでも、遊びに連れ出そうと」


 憧れを持つ私だからこそ、師匠は私が限界を超えた鍛錬を行うと思っているようだった。

 

 確かに一日を使って鍛錬を励もうと思うが、それはちゃんと休憩しながら行う前提。それならば、キャパを超えることもないはずだ。


 それに、師匠の言い方的に、自分の器を見極められるなら、鍛錬可能というニュアンスが伝わるので、そこを突破すれば、鍛錬が出来ると言うもの。


 師匠的に、そこが一番のネックと思っている節があるので。


「大丈夫です、師匠! 自分のキャパを超えた鍛錬はしません。確かに鍛錬はしたいと言いましたが、それはちゃんと休憩を取りながら、という意味です。十分な休憩を取ったうえでなら、キャパを超えることもありませんし、師匠も――」


「信じられません」


「へ?」


「信じられないと言っているんです。神崎さんの指導をしてたから分かります。神崎さんは鍛錬が終わると、事あるごとに、四季を説得しようとして、鍛錬を続けようとするんですよ? 見るからに身体は疲労で限界なのに。いくら休憩を取るうえでと言われましても、それを無に帰すくらいに無茶するに決まってます!」


「……そんなことは」


 師匠にそう言われて、少しだけ自分が鍛錬をする姿を脳裏に思い起こす。


 鍛錬に没頭し、時間の感覚すら失っていく自分の姿。


 息も絶え絶えになりながら、それでもなお先へ進もうとする、その執拗な自分の姿。


 その光景が目に浮かび、私は弱弱しい頼りない否定が出てしまった


「それに、神崎さんは四季を師匠と思っているんですよね?」


「そ、それは、もちろん。師匠のお陰で少しですけど強くなれた気がするので」


「だったら、師匠の教えをちゃんと守ってください。それが出来ないなら、四季は……四季は今後一切、神崎さんに享受(きょうじゅ)致しません!」


 師匠はそう言い切った後、頬をぷくっと膨らませて子供のようにそっぽを向く。


「そ、そんな!?」


 足場が崩れる、というのはこういう感覚なのだろうか。


 立っているはずの大地が、音もなく消え失せ、どこまでも落ちていくような、底の見えない空虚に呑み込まれていく。

 

 一週間足らずで、私の振るう刀は見違えるほどに研ぎ澄まされていた。


 まだまだ粗削りな部分はあるが、それでも、独りで闇雲に振っていた頃とは、比べるべくもない。


 これもひとえに師匠のお陰だ。


 師匠がいなければ決してこの短時間で目に見えての成長には至らなかったはずだ。彼女の言葉に従いさえすれば、きっとこれから先も、恐ろしいほどの速さで成長できるだろう。


 ――あの憧れに届くためには、その速度でなければ間に合わない。

 

 師匠がいたから、師匠がいたからこそ、私は飛躍な成長を成し遂げているのに、その師匠が居なくなれば、私は再び、覚束ない足取りでしか進めなくなる。


 そうなれば、私の憧れはもう閉ざされたのと同じ。


「し――」


「ひ、光ちゃん!」


 私はそっぽを向く師匠に『自分が悪かったから、指導をやめないで欲しい』と伝える瞬間、凜ちゃんの声によって遮られる。


「わ、わたしが、あ、嵐山さんの代わりに、お、教えてあげる!」


 ずっと蚊帳の外だった凜ちゃんは、両手を胸の前で握り拳を作りながら息の弾むように言った。


 その茶色の瞳には、決意のようなものが灯っていた。


「ちょっ!? 水無月さん、いきなり何を言い出すんですか!?」


 意外なことに凜ちゃんの言葉に大きく反応を示す師匠。


 凜ちゃんは、驚くような、焦燥に満ちたような反応をする師匠に、小首を傾げる。


「ど、どうして、あ、嵐山さんがそんな反応を、する、の? あ、嵐山さんが教えないなら、わ、わたしがその、代わりを務める、だけ、だよ?」


 凜ちゃんは師匠にけん制するように、私の腕をぎゅーっと抱きしめた。


「し、四季は教えないとは言っていません! 神崎さんが四季の教えに従えば、ちゃんと教えます!」


「あ、嵐山さんの言うことを全部守らないといけないなんて……そ、それは、ひ、光ちゃんを縛っているのと同じだよ。そ、それじゃあ……あまりにも、かわいそう……」


「し、四季はそう言ってるわけじゃなくて……」


「ひ、光ちゃん! わ、わたしだったらあ、嵐山さんと違って、そんな風に押し付けたりしない、よ。ひ、光ちゃんは、明日のために今日は鍛錬を積みたいんだよね? だ、だったら、ひ、光ちゃんが満足するまで、つ、つきっきりで、し、指導するよ?」


 実際、凜ちゃんの実力は疑いようがない。


 模擬戦で相対したとき、私はそれを身をもって知った。師匠に劣らぬ技量――いや、あるいは別のかたちで洗練された強さを誇っていた。

 

 凜ちゃんなら師匠の代わりでも務まるかもしれないけど……


「うう……ううぅ」


 師匠は、今にも零れ落ちそうな涙を堪えながら、小さく喉を震わせていた。


 その姿は、どこか取り残された幼い子猫のようで、普段の凛とした面影は、影のように薄れている。


 前回は、師匠に言い負かされた凜ちゃんだったが、今日は完全に立場が逆転していた。


 ちょっと意外だったのは凜ちゃんが師匠に対してずばずば、物申していることだった。


 前回のこともあり、凜ちゃんは師匠に対して僅かながらの苦手意識はありそうだと思った。


 その上、師匠の性格は、凛としていて、少しだけつんけんしているような性格。対して、凜ちゃんは、引っ込み思案な性格で、基本的にはおとなしい。


 だからちょっと驚いた。凜ちゃんが誰かに対して強きな態度を示すことが。


「凜ちゃん、ありがとね。でも、やっぱり私は師匠に教えてもらいたい」


「神崎さん……!」


 そのひと言に応じるように、師匠の目元に滲んだ涙の粒は、かすかな震えを帯びながら、悲しみの色をほどいていく。


「ど、どうして……? わ、わたしじゃ、不満?」


 凜ちゃんは、かすかに唇を震わせながら、問いを落とす。その瞳は、拭いきれない戸惑いが顕著に表れていた。


「ううん。そうじゃなくてね。やっぱり、今日まで師匠に指導を受けてもらっていたから、中途半端な形のまま、突然指導者が変わると、どこかで歯車がかみ合わなくなって、知らぬうちに変な癖がついちゃうのが……怖いの。凜ちゃんが教えたいって気持ちは凄くありがたいけど、こればかりは譲れないの。ごめんね、凜ちゃんの気持ちを無下に扱うような真似をして」

 

「あ、ううん。あ、謝らなくて、いいよ? ひ、光ちゃんが言うこともわ、分かるから。うん、そ、そう言うことなら、わ、わたしは引くよ」


 私の言い分に納得してくれた凜ちゃんは、これ以上は問答無用と言うように身を引く。


 それを見た師匠は、ようやく安心したように息をつく。


 きっと師匠は、私を鍛錬へ行かせないための脅し文句として言っただけで、本気ではなかったのだろう。


 だから、凜ちゃんが真に受けて食いついてきたのは予想外だったはずだ。自分の立場が危うくなると思い、取り乱したのだろう。


 とはいえ、一つだけ腑に落ちないことがある。


 師匠から指導を受け始めて、まだ片手で数えられるほどの日数しか経っていない。それなのに、あの取り乱しようは少し大げさにも思えた。


 そもそも、私が鍛錬をお願いしたとき、師匠は「自分の時間がなくなる」と渋り、条件に私の尊厳を提示するほどだ。


 それにもかかわらず、さっきの師匠は、まるで捨てられる子猫のような瞳をしていた。


 そこまでして私を指導したいと思ってくれるのはありがたいけれど、その心境だけはどうにも分からない。


 それでも、指導者として私に真剣に向き合ってくれていることだけは、十分すぎるほど伝わってきたので、それ以上は考えないようにした。


「こほん。無事に事態は収拾しましたし、さっきも言った通り、ショッピングを楽しみますよ」


 取り乱したのが嘘のように冷静を装う師匠。

 

「分かりました」


 鍛錬をしたい気持ちの衝動はあった。が、ここで余計な事をいって、また事態がごちゃつくのは避けたかった。


「あ、そうそう、水無月さんは付いてこないでください」


「どど、どうして!?」


「むかついたから。それだけです」


「そ、それは、ただのは、腹いせだよ! も、もともとは、あ、嵐山さんが啖呵を――っ!?」


「うるさいです」


 心に余裕が出来たのか、師匠はここぞとばかりに凜ちゃんに報復を重ねる。


 最終的には、凜ちゃんとの問答すら(わずら)わしくなったのか、師匠はふいに手を伸ばし、洗濯ばさみのように凜ちゃんの唇を指先でつまみ上げ、声を上げることも許さない始末。


「師匠、凜ちゃんも一緒に連れて行きましょうよ」


「神崎さん。どうして、この”でか乳女”の肩を持つのですか!?」


「ちょっと師匠! 凜ちゃんに何て言うことを! ちゃんと名前で呼んであげてください! あと、凜ちゃんの唇をつまむのもやめてあげてください!」


 師匠はさっきの件で、凜ちゃんに対してうっ憤が募りに募っていたのか、名前すら呼ぶこともせず、思春期男子のような呼び方をする。

 

 流石に友達のことを侮辱するような呼び方を看過するほど私は薄情じゃないので、師匠にちゃんと名前で呼ぶように口答えする。


「ふ、ふーんだ」


 師匠はそっぽを向き、露骨に知らぬふりを決め込む。その姿は、最初の抱いていた冷静沈着で凛とした面影とは、あまりにかけ離れていた。


 これが俗に言うカエル化現象。


 その感覚を私は初めて知ったのだった。


「……師匠ってこんなにも幼稚だったんですね」


「よ、幼稚!? か、かか、神崎さん、いいい、今の言葉は撤回を希望します。そもそも、四季のどこが幼稚なんですか!?」


「さっきの腹いせで凜ちゃんをのけ者しようとするところとか、八つ当たりで凜ちゃんのことを変なあだ名で呼ぶところとか。師匠として、少し器が小さいと思います」


「そ、そんな……し、四季が、そんな……」


「ぷはっ」


 言葉を重ねるごとに、師匠の表情は崩れ、よろよろと後ずさる。その拍子に、凜ちゃんの唇をつまんでいた指も、力を失って削がれ落ちた。


 自分でも驚くほどにとげとげしく言ってしまったが、凜ちゃんは大切な友達の一人。


 たとえ相手が師匠でも、このことだけは譲れない。


「……器が小さいと言われれば、それは師匠失格……ぐ、わ、分かりました。水無月さんも一緒に来てもいいです」


 器の小ささを咎められたのが余程聞いたのか、苦々しげな表情で、すごく、すごーく渋々に凜ちゃんの同行を許可する。

 

 ――ぐ~!!


「今の音、神崎さんからですか?」


「っ……!!」


「あ、嵐山さん。お、乙女心が、な、ない、の?」


「別にお腹がなった事を口に出しただけじゃないですか。四季はただ事実を述べただけ」


「そ、それが乙女心が、ない、ってい、いってるの! あ、嵐山さんは、平気かも、しれないけど、お腹の、音がなったことをわざわざ、口に出されるのは、ふ、普通ははず、かしいんだよ!」


「何が恥ずかしんですか? 人間の生理現象なのですから、別に恥ずべきことでは――」


「あああ、も、もうやめてください!」


 羞恥に耐えきれなくなった私は、思わず声を張り上げた。


「えっと、り、凜ちゃん! は、早く朝食に行こ? 師匠、また後で、です!」


「あ、ひ、光ちゃん! ま、待って~」


 言い終えるが早いか、私はその場を逃げるように歩き出す。


 背後から、「ま、待って~」と凜ちゃんの声が追いかけてくるも、私は振り返る余裕もなく、ただ足早に、食堂へと向かったのだった。1

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