”戦国あいす”②
翌日の朝餉の後。
内裏の一角、陽の差し込む渡殿で。
『はるちゃん』は、欄干にもたれながら庭を見ていた。
春の風が、長い黒髪をさらさらと揺らしている。
私は少し離れた位置で控えていたが、 彼女は振り返らないまま言った。
「よし様」
「はい」
「……昨日、お父様が嬉しそうで安心しました」
その声は、どこか年相応だった。
十四歳。
未来のことも、皇家のことも、政のことも理解している。
けれど同時に、まだ父を案じる娘でもある。
「最近ずっと、難しいお顔ばかりでしたから」
私は静かに頷いた。
「お父様は、先のことを考えておられます」
「はい」
「たぶん…… 百年単位で」
『はるちゃん』が小さく笑った。
「よし様みたい」
「え」
「似ております」
待って。
それ、褒められてるのか分からない。
彼女はくすくす笑う。
「でも、お父様とよし様は少し違います」
「違う?」
「お父様は“国を残そう”となさる。よし様は――」
そこで振り返る。
真っ直ぐ、こちらを見る。
「“人を残そう”としておられる」
息が止まった。
「皇家も。宮家も。公家も。武家も。皆が滅びぬよう、必死に繋ごうとしておられるでしょう?」
図星だった。
四州近衛家。
それは単なる家ではない。
皇家と武家を繋ぐ楔。
そして、“稀人”を未来へ残す器。
『はるちゃん』は少し困ったように笑う。
「だからお父様、本当に安心しておられるのです」
「……安心?」
「はい」
彼女は庭へ視線を戻した。
「よし様がいる限り、皇家は急には滅びないと」
その言葉は、重かった。
主上がやろうとしていること。
それは単なる皇位継承対策ではない。
“文明の継承”だ。
皇家。宮家。摂関家。武家。
それぞれを孤立させず、血と役割で結び直す。
『はるちゃん』こと永寿内親王は私の正室となった。
伏見宮第一王女。三条公頼卿の長女。三条西公枝卿の二女。
多分他の家の幼い姫君たちも、未来には四州近衛家へ入る予定になっている。
政略結婚。と言えばそれまでだ。
けれども、主上は、もっと長い視点で見ている。
血を散らし、繋ぎ、滅ぼさぬための仕組み。まるで、巨大な生態系みたいに。
「……不思議です」
『はるちゃん』がぽつりと言う。
「何がです?」
「昔は、皇家は“閉じる”ことで守られてきました」
「はい」
「でも今は逆です。“繋がる”ことで守ろうとしている」
それは、確かに時代の転換だった。
平安。鎌倉。室町。皇家は神秘性と隔絶で権威を守った。
だが戦国は違う。
閉じれば、そのまま途絶える。
だから主上は、あえて外へ血を流し始めた。
その中心にいるのが、四州近衛家。
そして――私。
「よし様」
「はい」
「怖くありませんか?」
「何が?」
「未来です」
静かな問いだった。
私は少し考える。
未来。
知っている。
これから起こるであろう戦乱も。飢饉も。革命も。敗戦も。
昭和天皇の人間宣言。象徴天皇制。
そして令和。
知っているからこそ、怖い。
「……怖いですよ」
私は正直に答えた。
「すごく」
『はるちゃん』は驚かなかった。
「でも」
私は空を見上げる。
「未来を知ってても、全部は守れません」
「……はい」
「だからせめて滅びないようにだけはしたい」
文明は壊れる。国も変わる。制度も変わる。
けれど、“繋がっている”限り、また立ち上がれる。
たぶん主上も、同じことを考えている。
『はるちゃん』はしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「でしたら」
「?」
「私も頑張ります」
その顔は、少し大人びていた。
「よし様が未来へ走くなら、私は横で支えます」
「……はるちゃん」
「その代わり」
彼女は急に悪戯っぽく笑う。
「ちゃんと寝てください」
「うっ」
「あと甘味を忘れないこと」
「そこ重要!?」
「重要です」
真顔だった。
「未来を救うには甘味が必要です」
誰だこの思想を植え付けたの。
絶対、主上だ!
渡殿の向こうから、ぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。
「ながよしさまー!」
現れたのは、まだ七、八歳ほどの幼い姫君たち。
伏見宮第一王女。
三条公頼卿の長女。
三条西公枝卿の二女。
まだ“側室候補”という言葉の意味すら、完全には理解していない年頃。
けれど、皆、なぜか私に懐いていた。
(”アイス”効果だと思う絶対!)
「おあそびしてください!」
「え」
「あと冷たいお菓子!」
「まだ作れてないから!」
「えー!」
きゃいきゃい騒ぐ幼女軍団。
『はるちゃん』が口元を押さえて笑っている。
「人気者ですね、よし様」
「いやこれ完全に保育園……!」
その時、さらに向こうから、主上の声が響いた。
「稀仁ー!“あいす”はまだかー!」
主上まで来たーーー!?
しかもめちゃくちゃ期待してる!
渡殿が爆笑に包まれる。
戦国の内裏。皇家。宮家。公家。そして未来を知る稀人。
本来なら、重苦しいだけの時代のはずなのに。
今この場所には、確かに笑い声があった。
未来へ繋がる、笑い声が。




