『稀人』①
朝餉が終わり、女房たちが静かに膳を下げていく。
障子越しの朝日が、柔らかく畳を照らしていた。
その穏やかな空気の中。
主上が、ふと静かに言われた。
「……稀仁」
「はい」
「其方、余がなぜ永寿を其方へ嫁がせたか、本当の理由を分かっておるか?」
その言葉に私は背筋を伸ばした。
『はるちゃん』は、きょとんとした顔で父を見る。
「それは…… 四州近衛家との結びつきを強めるためでは?」
私の答えに、主上は静かに首を振られた。
「それだけではない」
方仁親王が、少しだけ苦い顔になる。
その反応で、私は察した。
これは、かなり深い話だ。
主上は白湯を一口含み、ゆっくりと言われた。
「余はな、最初、其方を“恐ろしい”と思っていた」
私は息を止めた。
「そなたの実父、阿波三好の海雲からある日息子である『稀人』を『保護』してほしいという奏上が届いた」
主上は言葉を続ける。
「わずか三歳で『胡蝶の夢』を見た。そう言って、細川六郎晴元から『阿波三好』を救うために、海雲を晴元から引き離し、家督を継ぎ、『阿波三好』を阿波に引き籠らせた。その結果、晴元は敗れた。追従した畿内の三好も一掃された」
その場は沈黙する。
「家督を継いだとはいえ、わずか三歳の幼い童が、異様なほど先を読む。戦を見れば流れを知り、政を見れば崩れる箇所を知る」
静かな声。
「まるで、未来を知っているかのように『三好の滅び』を回避させようと動いた」
――知っている。
実際に、そうだったからだ。
だが口には出せない。
主上は続ける。
「そして何より」
その目が、真っ直ぐ私を見る。
「其方は、“人ではないもの”の匂いがした」
ぞくり、寒気とした。
『長慶おじさん』が脳内で沈黙する。
『はるちゃん』が、少し不安そうにこちらを見た。
「おもう様……」
「誤解するな、永寿」
主上は娘に穏やかに笑われる。
「余は、稀仁を化け物と言いたいのではない」
そして。
「古き都にはな、“稀人”という考えがある」
私は目を見開いた。
――稀人。
まれびと。
外から訪れる、知識や福をもたらす異人。
神と人の境界を曖昧に持つ存在。
主上は静かに言う。
「時折、時代そのものを動かす者が現れる」
「……」
「常識を超え、世の流れを変え、未来を引き寄せる者」
方仁親王が苦笑した。
「父上は、初めて稀仁のことを知った時から、“これは放置してはいけない”と申しておりました」
「待ってください親王殿下。それだと危険人物扱いでは?」
「半分はそうだ」
「半分?」
主上がとうとう吹き出された。
「安心せよ。斬ろうとは思わなんだ」
「そこ比較対象?」
「ただ」
その笑みが少し深まる。
「其方は、あまりにも危うかった」
その一言に、私は黙った。
否定できない。
前世知識を抱え、未来を知り、歴史を変えようとしている。
もし道を誤れば… 本当に、時代を壊しかねない。
「ゆえに、余は決めた」
主上は、静かに『はるちゃん』を見る。
「稀仁を、皇家の内へ置くと」
『はるちゃん』が、静かに目を見開く。
「それが…… 私?」
「そうだ」
主上は優しく頷かれた。
「永寿ならば、其方を人へ繋ぎ止めると思った」
私は息を呑んだ。
『はるちゃん』は、少し頬を赤くしながらも、こちらを見た。
「…… 私、お役に立てています?」
その顔が、あまりにも真っ直ぐで、私は思わず笑ってしまった。
「かなり」
「本当です?」
「はい。かなり救われています」
すると彼女は、花が咲くように笑った。
その様子を見て、主上と方仁親王が、ほぼ同時に安堵の顔をした。
……あれ?
なんか今、保護者の顔してません?




