内裏の朝③
「塩で冷える」
その一言で、内裏の一室が、妙な熱気に包まれていた。
「なるほど……!」
後の後奈良天皇――主上が、真剣な顔で頷いておられる。
「つまり、氷へ塩を加えることで、さらに温度を下げるのだな?」
「理屈としては、はい……」
私は若干遠い目になっていた。
どうして自分は今、戦国時代の帝へ“凝固点降下”を説明しているのだろう。
しかも…
主上の目が完全に研究者のそれ。
『長慶おじさん』が笑い転げている。『あかん。この帝、知的好奇心に火が付いとる』
(もう消えない気がする……)
方仁親王も、半ば呆れながら茶を啜っていた。
「父上」
「なんだ方仁」
「少し落ち着かれては」
「落ち着いておる」
全然落ち着いてない。
『はるちゃん』など、もう完全に期待に満ちた顔である。
「冷たい甘味……」
ぽそっと呟く声が、完全に夢見る乙女。
その時だった。
主上がふと真顔になられた。
「……しかし」
空気が少し変わる。
「未来を残す、という話であれば」
主上は静かに稀仁を見る。
「昨夜の“伏見宮”の話。あれは実に興味深かった」
その言葉に私も姿勢を正した。
令和の旧宮家問題。
その中心にいるのが、伏見宮系統。
現代へ続く男系男子の源流。
主上はゆっくり言葉を選ばれる。
「伏見宮は、本来皇家の枝葉として生まれた家。今の皇家にとっても祖にあたる」
後花園天皇のことだ。その流れは令和にも続いているものだ。
「だが未来でも、五百年後にもその名が残るのだな」
「はい、残っています」
静かな沈黙。
方仁親王がぽつりと呟かれる。
「…… 五百年か」
その響きは、この時代の人間にとって、ほとんど永遠に近い。
「そこまで続いた分家を、再び皇統へ戻すか否かで議論になる、と」
「はい」
私は慎重に続ける。
「未来では、“男系男子を維持するため”という理由で、旧宮家復帰案があります」
「だが、民の感覚としては遠い」
親王が鋭く指摘する。
「……はい」
そこが難しい。理屈では男系。
だが感覚では一般国民に近い。
その隔たり。
主上は静かに笑われた。
「面白いな」
「え?」
「未来では、“血”と“認識”の双方で悩むのか」
確かにそうだった。
男系という血統原理。
だが同時に、国民が“皇家らしさ”を感じるかどうか。
両方が必要とされている。
主上は庭へ視線を向けられる。
「皇家とは、不思議なものよ」
「……」
「ただ血が続けば良いわけではない。だが、血を失えば、もはや別物にもなる」
その言葉は、あまりにも核心だった。
方仁親王が静かに頷く。
「ゆえに皇家は、“近すぎても遠すぎてもならぬ”」
令和でもそうだ。
皇室が完全な一般人化しても逆に神秘化しすぎても、成立しない。
“近くて遠い” あの独特の距離感。
それこそが、この時代よりさらに五百年以上続いた理由なのかもしれない。
その時、『はるちゃん』が首を傾げた。
「では、伏見宮の方々は、未来でも皇家のお身内なのですか?」
難しい質問だった。血筋としては、身内だろう。けれど国民にとっては
「…… 感覚としては、“元皇族”です」
「元?」
『はるちゃん』が少し不思議そうな顔をする。
「ですが、男系では繋がっています」
「ふむ……」
主上が静かに考え込まれる。
「血は残る。だが立場は変わる、か」
そして。
「それでもなお、必要なら戻すことを考える」
ぽつり。
「国を続けるとは、難しいものだな」
その言葉に、誰もすぐ返事ができなかった。方仁親王が小さく笑われる。
「だが父上」
「うむ?」
「少なくとも五百年後まで皇家は続くのでしょう?」
主上が目を瞬かせる。そして、ふっと笑われた。
「そうであったな」
その笑顔は、昨夜より少し軽かった。
未来を知ったからだ。
戦乱の果てでも、皇家は消えなかった。
この国は続いた。
その時だった。
「それで!」
『はるちゃん』が勢いよく身を乗り出す。
「“あいす”は、未来の伏見宮の方々も召し上がるのでしょうか!?」
なんでそこへ繋がるの?
方仁親王が吹き出した。
主上も肩を震わせて笑っておられる。
「はる」
「はい?」
「其方、甘味になると本当に話を戻すな」
「だって大事です!」
大真面目だった。私は額を押さえる。
令和の皇統議論。
旧宮家。
男系継承。
五百年の歴史。
その全てを経由して、最終的に『はるちゃん』は “未来のアイスを誰が食べるか” へ着地するのである。
でも、そんな笑い声を聞きながら、私はふと思った。
たぶん… こういう、少し馬鹿馬鹿しい時間こそが“国が続いている”ということなのかもしれなかった。




