未來の日本②
気づけば夜はかなり更けていた。
御所の外は静かで、遠くから僅かに夜番の声が聞こえる。
方仁親王は、いつの間にかこちらのすぐ近くへ寄ってきていた。
完全に話を聞き入っている。
「稀仁殿」
「はい」
「令和には、鬼はおりますか?」
「……はい?」
あまりに予想外の質問だった。
主上が苦笑される。
「方仁は昔話が好きでな」
「父上もお好きではありませぬか」
「余は歴史が好きなのだ」
「同じでは?」
仲良しか。
私は笑いそうになるのを堪えながら答えた。
「鬼、ですか……」
令和の鬼。
どう説明するべきだろう。
「昔のような、人を喰らう鬼の話は減りました」
「減った?」
「ですが、人の心を壊す“鬼”はいます」
親王が真面目な顔になる。
「心を?」
「はい」
「戦のようなものですか?」
「少し違います」
私はゆっくり言葉を選ぶ。
「令和は豊かです。腹いっぱい食べられる。冬も暖かい。病も昔よりずっと治せる」
主上も静かに聞いている。
「けれど、その代わりに――」
一度、言葉が止まった。
「孤独があります」
方仁親王が目を瞬かせる。
「……ひとり?」
「はい」
「人が大勢いても、独りになってしまうことがある」
戦国時代では、むしろ難しい感覚だろう。
人は常に共同体の中にいる。
家。 村。 一族。 主従。
煩わしいほど、他人が近い。
だが令和は違う。
自由である代わりに、切れてしまう。
主上が静かに尋ねられた。
「なぜだ」
「……人が、“繋がり”を選べるようになったからです」
「選べる?」
「嫌な相手とは離れられる。好きな場所へ行ける。生き方も選べる」
「良いことではないか」
「はい。本来は」
私は苦く笑った。
「でも、自由とは、時に“誰とも繋がらない自由”でもあります」
方仁親王が静かに息を呑む。
主上は、何も言わずこちらを見ていた。
私は続ける。
「令和では、餓死する人は少ない。でも… “生きる意味”を失う人がいます」
戦国なら、生きる理由は単純だ。
生き延びるため。
家を守るため。
明日を越えるため。
だが平和な時代は、逆に“何のために生きるか”を人に問い始める。
主上がぽつりと言われた。
「……贅沢な悩みよな」
「はい」
「だが、苦しいものは苦しいか」
「はい」
しばらく沈黙が落ちた。
やがて、方仁親王が小さく言う。
「なら、令和にも“祈り”は必要なのですね」
私は顔を上げた。
親王は、真っ直ぐこちらを見ていた。
「飢えのためではなく。戦のためでもなく」
静かな声。
「“独りにならぬように”」
その言葉に、胸が詰まった。
主上が静かに微笑まれる。
「方仁。其方、案外と帝向きやもしれぬな」
「“案外”とは何ですか父上」
「普段は菓子のことしか考えておらぬゆえ」
「父上もでは?」
思わず吹き出した。
だめだ。
この親子、 真面目な空気が持たない。
だが、その笑い声のあと、主上はふと、遠くを見る目をされた。
「……孤独、か」
その横顔が、一瞬だけ酷く寂しそうに見えた。
私は気づいてしまう。
帝とは、たぶん孤独な存在だ。
誰より高い場所にいて、誰より自由がなく、誰より“役割”を背負う。
主上は静かに言われた。
「令和の帝も、孤独であろうな」
「……はい」
「されど」
小さく笑われる。
「民が寄り添おうとするなら、まだ救いはある」
その言葉は、不思議なくらい温かかった。
方仁親王が、そっと尋ねられる。
「稀仁殿」
「はい」
「令和の民は、皇家を好きですか?」
難しい問いだった。
全員ではない。
批判もある。 無関心もある。
だが…
私はゆっくり答えた。
「……大切に思っています」
主上の目が静かに細められる。
「そうか」
「はい」
「それなら、五百年繋いだ甲斐があった」
あまりにも静かに、当たり前のように言うから…
その一言が、胸の奥へ深く沈んでいった。




