未來の日本①
その後、しばらく誰も喋らなかった。
静かな夜だった。
遠くで風が鳴っている。
京の都は荒れている。
飢えた者もいる。 盗賊もいる。 明日には誰が死ぬかも分からない。
それでも、この小さな部屋の中だけは、不思議なくらい穏やかだった。
やがて、主上がぽつりと呟かれる。
「……五百年、か」
その声には、どこか夢を見るような響きがあった。
「余には、想像もつかぬな」
方仁親王が小さく笑われる。
「父上は、すぐ“先”ばかりご覧になります」
「帝とはそういうものよ」
「稀仁殿も同じことを申しておりました」
「おや」
主上がこちらを見る。
「其方、余と同類か?」
「できれば否定したいです」
「ははは!」
珍しく、声を上げて笑われた。
その笑い声を聞きながら、私はふと思う。
この人は、本当に人の心を軽くするのが上手い。
戦国の帝。
無力だと自嘲する。
だが違う。
この人は、“場を壊さない”。
荒れた時代の中で、人の心を繋ぎ止める術を知っている。
それは間違いなく、王の力だった。
主上は笑いながら言われる。
「しかし、令和の民は面白いな」
「何がです?」
「皇家について、そこまで真剣に悩むのであろう?」
「……はい」
「平和なのだな」
あ。
その視点はなかった。
主上は穏やかに続けられる。
「戦の最中なら、“明日生きる”で精一杯よ」
炭火を見つめながら、静かに語る。
「皇家がどうあるべきか。男系か女系か。そのようなことを、国中で議論できる」
小さく笑われた。
「それは、国に余裕がある証よ」
私は思わず黙り込む。
令和では、天皇制の議論は重い政治問題だ。
しかし、この時代では…
飢えも戦乱も越えてきた人から見れば、“未来を前提にした悩み”なのだ。
方仁親王がふと聞かれた。
「令和には、もう戦はないのですか?」
私は少し迷う。
「……あります」
二人の目がこちらを向く。
「ただ、少なくとも日本国内では、長い間大規模な戦は起きていません」
主上が静かに目を細められた。
「それは……凄いな」
その一言に、戦国を生きる人間の実感が滲んでいた。
方仁親王は信じられないものを見る顔をしている。
「百年ほどですか?」
「いえ」
「二百年?」
「……およそ八十年近くです」
「八十」
親王が絶句する。
戦国時代の感覚なら、異常だ。
一世代どころではない。
主上がぽつりと呟かれる。
「もはや別の国のようだな」
「はい」
「だが」
そこで主上は、少し真面目な顔になられた。
「平和とは、人を弱くもする」
その声には、奇妙な重みがあった。
「飢えを知らねば、食の有難みを忘れる」
「……はい」
「滅びを知らねば、続いていることの価値を忘れる」
胸が痛かった。
令和では “日本が続く”ことを、空気のように感じていた。
でも、この時代の人たちは違う。
国が消えるかもしれない。
家が絶えるかもしれない。
明日には都が焼けるかもしれない。
そんな現実の中で生きている。
だからこそ、“続く”ことを奇跡として理解している。
主上は静かに笑われた。
「されど、忘れられるほど平和になったのなら」
少しだけ誇らしそうに。
「それもまた、余らの勝ちかもしれぬな」
その言葉に、私は思わず俯いた。
五百年。
無数の人が死んだ。
守った。
繋いだ。
だから未來がある。
令和の日本。
平和を“当たり前”と思える国。
それは、この時代の人たちが命懸けで繋いだ先なのだ。
方仁親王が静かに言われた。
「稀仁殿」
「はい」
「令和の民は、笑っておりますか?」
私は顔を上げた。
親王は、本当にそれだけを知りたいようだった。
「……はい」
「子らも?」
「はい」
「腹いっぱい食べられますか?」
「食べられます」
「冬に凍えずに済みますか?」
「……はい」
親王は、ほっとしたように微笑まれた。
「それなら、良かった」
その笑顔を見た瞬間。
私は理解してしまった。
この人たちは “自分たちの時代を成功させたい”んじゃない。
未来の誰かが、笑って生きられる国を残したいだけなんだ。




