後奈良天皇②
「稀仁」
再び呼ばれる。
「はい」
「其方に見せたいものがある」
その言葉に、『長慶おじさん』が嫌な予感を察知した。
やめよう。絶対ろくでもない。
だが拒否権などあるはずもない。
主上は静かに手を打たれた。
すると奥の襖が音もなく開く。
入ってきたのは、白髪の老女房だった。その手には、古びた黒塗りの箱。
大きくはない。だが妙な存在感がある。
箱が運ばれ、主上の前へ置かれる。
「これは……」
思わず呟くと、主上は静かに答えた。
「皇家に伝わる『写』の一つよ」
空気が変わった。『はるちゃん』ですら背筋を伸ばす。
主上はゆっくりと箱を開けられた。
中にあったのは――
紙ではなかった。
薄い。
半透明。
幾枚も重ねられた板。
その瞬間…『令和のおばちゃん』の脳が理解を拒否した。
いや、待って。
これ。
これって――
「……まさか」
主上がこちらを見る。
「知っておるか?」
震える声で答える。
「アクリル……板?」
沈黙。
次の瞬間。
主上が、にやりと笑われた。
「やはりな」
『長慶おじさん』が脳内で絶叫した。
終わった。もう色々終わった。
だって今、“令和の素材”が、戦国時代の御所から出てきたんだよ!?
主上――知仁天皇は、こちらの反応をじっと観察していた。
試すように。いや、“確信”を深めるように。
対するこちらは完全に混乱していた。
だって、目の前にあるのはどう見ても――
“現代製品”だった。
薄く、透明度が高く、わずかに青みがかった板。 表面の劣化はある。細かな擦り傷も入っている。
けれど… 木簡でも、水晶でも、雲母でもない。
どう見てもアクリル。いや、もしかしたらポリカーボネートかもしれない。
待って。そんな素材、この時代にあるわけない。
『令和のおばちゃん』の理性が「理解不能」を連呼している横で、『長慶おじさん』は「もう考えるな」と現実逃避に入り始めていた。
「……触れても?」
恐る恐る尋ねると、主上は静かに頷かれた。
「構わぬ」
両手でそっと持ち上げる。
軽い。
木より軽い。
指先に伝わる質感が、あまりにも“知っているもの”だった。
ぞわり、と鳥肌が立つ。
板の端には、細かい傷が刻まれていた。
いや。傷じゃない。文字だ。
しかも――
「日本語……?」
掠れかけてはいるが、読める。
令和式の漢字と仮名。
しかも横書き。
完全に現代日本語だった。
息が止まる。
主上は静かな声で言われた。
「読めるか」
「……はい」
「読んでみよ」
喉が渇く。
だが、拒否はできない。
私は板を光にかざし、刻まれた文字を追った。
『――西暦二〇二七年六月。 もしこれを読む者がいるならば、 私は失敗したのだろう』
空気が凍った。
『はるちゃん』が小さく息を呑む。
主上の目だけが静かだった。
私は続きを読む。
『私は日本考古学研究機構所属、主任研究員、天城修司』
うわああああああ。
実名!?
いや待って待って! なんでフルネーム残してるの!?
『令和のおばちゃん』の脳内が大混乱している。
だが文字は続く。
『私は恐らく、過去へ遡行した』
うん。知ってた。
でも本人が断定すると破壊力が違う。
『場所は不明。だが植生、地層、石器群、海岸線の形状から推定するに、後期旧石器時代末期――』
主上がぽつりと呟かれる。
「“こうこがく”という学問らしいな」
「……はい。昔を調べる学問です」
「なるほど。故に世界の違和を見抜けたか」
私は頷きつつ、続きを追う。
『言語は通じない。だが人類であることは間違いない』
『生存率向上のため、火の維持、煮沸、塩の生成、石器加工を開始』
『私は彼らに知識を与える』
その瞬間。脳裏に浮かぶ。火を囲む人々。
泥まみれになりながら土器を焼く男。
海水を煮詰め、塩を作り、弓を削り、必死に“文明”を繋ごうとする姿。
――孤独だったろうな。
思わず胸が締めつけられる。
たった一人、数万年前に放り込まれて。
帰れないと知りながら。それでも未来へ何かを残そうとした。
主上が静かに言われた。
「最初の『稀人』よ」
その声には、敬意が滲んでいた。
「皇家では、“始祖の導き手”と伝わっておる」




