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[31万PV達成!感謝]長慶さんに転生してしまった!  作者: 天の樹
孫次郎の『徒然日記』⑥ 皇統詔(天文四年)①

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天文の東宮の恋⑤

――天文四年(1535年)卯月


 京。東宮御所。

 方仁親王は書を読んでいた。

 正確には、三十分ほど前から同じ頁を見ていた。

 一文字も頭に入っていない。


「東宮様」

「……何だ」

「先ほどから一頁も進んでおりませぬ」


 近習が静かに指摘する。

 方仁親王は視線を逸らした。


「考え事をしていた」

「姫君のことでございますか」

「……」

「図星でございましたか」


 否定できなかった。

 東宮が恋をしている。それは内裏でも既に知られ始めていた。

 誰も茶化さない。むしろ少し安心していた。

 東宮がようやく年相応になった、と。


 方仁親王自身、不思議だった。

 なぜこんなにも気になるのか。

 美しいからだろうか。もちろん美しい。けれど違う。

 儚いからだろうか。違う。


 守りたいからだろうか。

 それだけでもない。

 もっと厄介だった。もっと単純だった。


(あの人に笑っていてほしい)

 それだけだった。

 笑っていてほしい。安心していてほしい。

 眠れていてほしい。寒くない場所にいてほしい。

 怖くない未来を見ていてほしい。それだけだった。


 そう思っている自分に気付いた時、方仁親王は少し笑ってしまった。

(これは重症だな)

 政治ではなく、理屈でもない。恋だった。


 数日後、偶然だった。本当に偶然だった。

 御所の庭、姫が花を熱心に見ていた。

 藤の花だった。


「お好きなのですか」


 方仁親王は少女に声を掛ける。少女が振り返る。


「あっ」


 一瞬だけ驚いた顔。そして少し笑う。


「好きです」

「藤が?」

「はい」

「どうして?」


 少女は藤を見る。


「急がないから」

「急がない?」

「桜は一気に咲いて、一気に散ります」

「はい」

「でも藤は違います」

「ゆっくり伸びてゆっくり咲く。だから好きです」


 方仁親王は黙る。

(ああ)また好きになる。そう思った。困るくらいに。


「東宮様は?」

「方仁で」


 少女が笑う。


「方仁様は何がお好きですか?」


 方仁親王は少し考える。


「昔は馬でした」

「昔は?」

「今は違います」

「今は?」


 方仁親王は少し困った顔をする。


「秘密です」

「ずるいです」

「お互い様です」


 顔を見合わせ、二人とも笑う。


 風が吹く。藤が揺れる。


 方仁親王は心の中で願う。

(ずっとこうしていたい)

 何もしなくていい。

 政治も。朝廷も。皇統も。全部忘れて。

 ただ話していたい。それだけでいい。それだけで十分だった。


 その夜、主上の御前にて、


「顔が違うな」

「え?」

「恋をしている顔だ」

「父上」

「否定せぬのか」

「できません」


 正直すぎる方仁親王の言葉に主上が笑う。


「重症だな」

「自覚しております」

「どのくらいだ」


 方仁親王は少し考える。


「……阿波へ行ってみたいと思うくらいです」

「重症だ」


 即答だった。


「お前が旅を嫌うのは有名だぞ」

「知っています」

「それでも行きたいのか」

「はい」

「なぜ?」


 方仁親王は窓の外を見る。


「稀仁に会ってみたいのです」

 主上が少し驚く。


「稀仁に?」

「はい。あの人なら、姫君が何を望んでいるか知っている気がします」


 主上は少し考える。

 確かに、あの十三歳の少年は妙に人を見る。

 立場ではなく、肩書でもなく、人そのものを見る。

 だから人が集まる。だから皆あの子を守ろうとする。


「なるほどな」


 主上は納得したように頷く。


「お前も毒されたか」

「毒ですか?」

「阿波の毒だ。人を人として扱う。厄介な思想だ」


 方仁親王は笑う。


「良い毒です」

「違いない」


 主上も笑った。


 京では、十七歳の東宮が、人生で初めて、未来の帝としてではなく、一人の青年として一人の少女を好きになっていた。

 そして困ったことに、その想いは日に日に深くなっていた。


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