天文の皇族の子供たち⑥
――天文四年(1535年) 卯月下旬。
京・内裏。
しかし、御所の一室だけは妙に騒がしい。
理由は単純。
主上(後奈良帝)が、とんでもないことを言い出したからである。
「清彦と第二皇子より第六皇子までを阿波へ送る」
静まり返る部屋の中、最初に声にならない声を発したのは東宮・方仁親王だった。
「……は?」
主上は平然としている。
「阿波式を学ばせる」
「いや、父上」
「なんだ」
「皇子ですよ?」
「知っておる」
当然知っている。
産まれた時から見ている。
むしろ兄であり、父親である。
だが問題はそこではない。
「阿波です」
「うむ」
「四国です」
「うむ」
「遠いですよ」
「うむ」
方仁親王の言葉に主上は頷く。
「だから行くのだ」
方仁親王は黙った。
理屈は分かる。今や四国天領は朝廷財政の大部分を支えている。
紙。塩。港。造船。流通。そして教育。
今の京で「阿波式」を知らないことは、朝廷の未来を知らないことに等しかった。
「まだ幼いのですよ」
主上は少し笑う。
「だからだ」
視線は庭へ向いた。
「六宮など、まだ六つだろう」
六宮。末の皇子。
そして四宮、五宮もまた六歳。
三人とも母が違う。
同じ年に月違いで生まれた。
御所では「六歳組」と呼ばれていた。
とにかくうるさい。
よく走る。よく転ぶ。そしてよく怒られる。
主上は少し遠い目をした。
「京だけで育てるには元気すぎる」
その言葉に方仁親王は吹き出しそうになった。
それは否定できない。
数日後、呼び出されたのは当人たちだった。
第二皇子、十四歳。
第三皇子・覚恕親王、二十歳。
四宮、五宮、六宮、六歳。
主上が彼らを前にして言う。
「阿波へ参る者を決めた」
その声に全員が緊張する。
「第二皇子」
「はい」
「行け」
「はい?」
「第三皇子」
「はい」
「行け」
「……はい?」
「四宮、五宮、六宮。」
「「「はい!」」」
「行け」
「やったー!」
主上は少し後悔した。
遊びに行く話ではない。
その日、方仁親王が位子王女に声を掛ける。
「寂しいか」
位子王女は少しだけ笑う。
「少しだけ」
「稀仁殿のことか」
「……はい」
方仁親王は苦笑した。
会ったのは数回。
それなのに妙に印象に残る少年だった。
話す内容が変だった。
「学校を作ります」
「病院を作ります」
「冬でも冷たいお菓子が食べられるようになります」
意味が分からない。
特に最後のやつは。
あの日、御所で大騒ぎしながら皆を巻き込んで作った『あいす』。
乳と砂糖。
それを混ぜて、稀仁が中心となって作ったもの。
「ミルクアイスです」
それを待ち望んでいた主上も。
妹の永寿も。位子王女を始めとする稀仁の幼い側室候補。そして、自分(方仁親王)も全員が、一口、口にすると、雪のように冷たく、スッと溶けてしまった。
「……冷たい」
「甘い」
「なんだこれは!」
「美味しい」
あの日の位子王女の笑顔を方仁親王は覚えていた。
たぶん、あれが最初だった。
稀仁という少年が特別になった日。
同じ頃、還俗したばかりの清彦親王は頭を抱えていた。
「二十五年ぶりに俗世へ戻れと言われても困る」
本当に困る。
延暦寺の生活しか知らない。経典なら読める。
政治は知らない、税も知らない、船も知らない、商売はもっと知らない。
そこへ兄である主上が言う。
「阿波へ行け」
「またですか」
「学べ」
「何を」
主上は即答した。
「今の国の動かし方を」
清彦親王は長く黙った。
そして、
「なるほど」
と呟く。『四州近衛』の話は比叡山にも聞こえてはいた。
寺院を、宗派を問わず『寺子屋』にしたと。
老若男女、貴賤の隔たりなく『学問』を開放した小童と。
「寺は人を救う」
「国もまた人を救うものか」
主上は頷いた。
「稀仁はそう考えておる」
同じ頃、覚恕親王もまた悩んでいた。
曼殊院で育った。学問も修めた。書も上手い。
けれど、俗世を知らない。
国を知らない。民を知らない。市場を知らない。
その時、父である主上が言う。
「そなたには見てほしい」
「何をでしょう」
「民が笑う国を」
覚恕親王はその言葉を忘れなかった。
そして出発前日、近衛家の当主、近衛稙家がやって来る。
唯一の『阿波』経験者だった。
八歳の千熊丸を見た男。
「行けば分かります」
方仁親王が尋ねる。
「どのような場所ですか?」
稙家は少し考えた。そして思い出したように笑った。
「変な国です」
全員が首を傾げる。
「寺子屋に身分がありません」
「市場に身分がありません」
「医者に身分がありません」
「裁判は帳簿で行います」
「子供が大人に質問します」
静まり返る。それは京の常識ではなかった。
稙家は最後に言う。
「そして… 甘い冷たい食べ物があります」
方仁親王が吹き出した。
「まだ言うのですか」
「重要です」
稙家は真顔だった。
「私は二杯食べました」
そして、誰もまだ知らない。
数ヶ月後、阿波へ到着した六歳組が、徳島城の廊下を全力疾走し。
篠原小一郎(長房)を困らせ、海雲を笑わせ、そして、稀仁を本気で疲れさせることになることを。
後に徳島城では、この年をこう呼ぶ。
「皇子襲来の年」と。




