土佐の天領化⑧
――1534年、霜月半ば。
阿波国・徳島城。
出陣前夜、海雲は頭を抱えていた。
「だから駄目だと言った」
私(長慶)は正座している。
「はい」
「聞いておったか」
「聞いてました」
「聞いていて何故こうなる」
「姫様がいるから」
海雲は額を押さえた。
朝廷の勅命。
姫の保護。
そして、私(長慶)の理屈。
「帝が最優先で保護を命じた方です」
「うむ」
「ならば保護後に安心して過ごせる場所も必要です」
「うむ」
「阿波へ迎えるなら」
「うむ」
「最初に会うのは私です」
海雲は天井を見上げた。
理屈としては正しい。
実に息子(長慶)らしい。
しかし、問題は、保護対象者本人(長慶)が前線へ行こうとしていることだった。
結果、評定で決まる。
希望通り私(長慶)も同行。
ただし、最前線禁止。戦闘参加禁止。
常時護衛。海雲直属警護。小一郎(篠原長房)が責任者。
私(長慶)は不満だった。(脳内の『長慶おじさん』も)
「子供扱いだ」
「十二歳です」
十四歳の小一郎(篠原長房)が即答した。
「ぐぬぬ」(自分だって子供じゃないか!)
誰も反論しなかった。
船団は土佐へ向かう。
森水軍。海部水軍を含む阿波勢。讃岐勢。伊予勢。朝廷使節。
その先頭には『錦の御旗』
大軍ではある。
しかし、征服軍ではない。
目的地も岡豊城ではない。
まずは、姫の所在確認だった。
ところが三日後、事態は急変する。
土佐国。
物部川流域。三好の偵察隊が戻る。
「報告!」
報告を受け取った海雲が振り向く。
「姫君が城を出た」
「何? どういうこと?」
「昨日、少数の供のみ連れて離脱。長曾我部勢と衝突」
小一郎(篠原長房)が目を見開く。
「衝突?」
「はい」
報告はさらに続く。
「姫君自ら、朝廷へ行きたいと主張」
全員が沈黙した。
やがて詳しい話が分かる。
姫は十四歳、幼い頃から、祖谷の山で、平家落人たちや南朝伝承を聞かされて育ち、その中で特別な存在として扱われてという。
しかし、岡豊城へ来てから、疑問を抱いた。城内が殺伐とし、戦の準備をしているのがわかった。
「なぜ戦うのですか」そう尋ねたところ、長曾我部氏が、姫を旗印にしようとしていることを知り、それを拒否したのだそうだ。
「私は戦のために来たのではありません」
そう伝えると軟禁状態にされた。そこをなんとか抜け出したのだとか。
探索隊が向かう。
父、海雲と私(長慶)と朝廷使節団。
もちろん護衛付き。
冬の山道。雪こそないけれど寒い。
祖谷に似た険しい地形。
数刻後、前方に煙が見える。
小さな野営地。
その中心に一人の少女がいた。
白い小袖の旅装束。
年は十五ほど。疲れている。
気丈に振る舞っていた。
私(長慶)は一歩前に出る。
護衛が慌てる。
しかし、海雲は止めない。
少女がこちらを見る。
警戒、不安、恐れ、全部あった。
当然だった。ずっと利用され続けてきたのだから。
長慶は静かに頭を下げた。
「初めまして」
少女が戸惑う。
目の前にいるのは、自分より少し年下の少年だった。
「私は、四州近衛孫次郎長慶稀仁と申します」
少女の目が大きくなる。
その名はよく聞いていた。
四国天領化。
阿波式。その中心人物。
しかし、想像より幼い。
「確認します」
私(長慶)は彼女に問う。
「戦いたいですか」
即座に少女は首を振った。
「いいえ」
涙がこぼれる。
「もう嫌です」
「そうですか」
私(長慶)は頷く。
「では終わりです」
少女が瞬きをする。
「え?」
「帝が保護を命じています」
「……」
「だから、もう旗にはなりません」
その瞬間、少女の肩から何かが抜け落ちた。
長年背負わされていたもの。
期待、伝承、幻想。
その全てが、ようやく終わった。
海雲が前に出る。
「勅命である」
朝廷使節も進み出る。
勅書を開く。
「保護対象として認定する」
「身分の真偽は後日確認」
「まず安全を優先する」
少女は泣いた。初めて声を上げて。安心して、泣いた。
数日後、船が出る。徳島へと。
少女は甲板に立っていた。
土佐の山々が遠ざかる。
隣には『はるちゃん(永寿)』
「怖いですか」
私(長慶)が尋ねる。
少女は少し考える。
「少し」
「大丈夫です」
私(長慶)はそう言うと笑った。
「阿波には学校があります」
「学校?」
「あります」
「病院もあります」
「びょういん?」
「あります」
「友達もできます」
少女は思わず笑った。
何だろう。この少年は?
戦の話をしない。権力の話もしない、未来の話しかしない。
そして、船は一行を乗せて徳島港へ向かう。
こうして、四州警固軍最大の目的、姫の保護は成功した。
だが同時に、長曾我部国親は完全に孤立する。
旗印を失い、土佐諸家の支持も得られず。
1534年の冬。四国の歴史は、さらに大きく動き始めることになるのであった。




