土佐の天領化③
――1534年、葉月半ば
土佐国。
長曾我部氏を除く諸家が、正式に天領化受諾を表明した。
そして、阿波、讃岐、伊予。
三国で既に始まっていたものが、土佐へ流れ込む。
人。制度。知識。そして、記録。
最初に来たものは兵ではなかった。
役人だった。さらに、教師、測量士、医師、職人だった。
土佐の国人たちは驚く。
「本当に軍勢ではないのか」
「違います」
「学校です」
「学校?」
皆が首を傾げる。しかし、阿波から来た若者たちは慣れている。
「まず人材育成です」
「次に制度です」
「その後で工事です」
既に阿波で経験済みだった。
土佐では、夏は暑く冬は厳しい。
雪は少ない。
しかし、山が多い、道が悪い。
雨が多い。台風も来る。
四万十川が荒れる。
結果、冬になると地域同士が分断される。
それが当たり前だった。
ところが、阿波式が入る。
まず倉だった。阿波から来た技術者が言う。
「収穫量を記録してください」
「なぜだ」
「足りなくなるからです」
「そんなことは経験で分かる」
「数字で見ましょう」
半信半疑だけれど、とりあえず、やってみる。
すると、初めて分かった。
村ごとの余剰。村ごとの不足。
そして、輸送量が数字化されて全部見える。
今まで勘だったものが、数字になった。
次に道路。大工たちが動く、橋が調べられる。危険箇所が記録される。補修順位が決まる。
土佐国人たちは驚いた。
「なぜ分かる」
「記録したからです」
それだけだった。
だが、その"それだけ"がなかった。
今まで、誰も全体を見ていなかった。
そして、最も歓迎されたものは医療だった。
阿波で育成された医師。
薬師。看護役。彼らが土佐を巡回する。
その結果、特に子供、老人、妊婦、その死亡率が目に見えて下がる。
村人たちは衝撃を受けた。
「四州様(長慶)の制度とは」
「戦のためではないのか」
違った。生きるためだった。
さらに変化したのは、次世代だった。
本山氏。安芸氏。津野氏。一条氏。
それぞれの嫡子たち、彼らが徳島城へ向かう。
研修生として、国分寺二期生として、阿波へ向かう。
最初、親たちは不安だった。
しかし、帰ってきた一期生を見ている。
阿波、讃岐、伊予。
彼らは変わっていた。強くなった、賢くなった。そして、視野が広くなった。
だから再度人を阿波へと送る。未来のために。
その頃。徳島城。
私(長慶)は土佐の進捗状況の報告を読んでいた。
土佐各地の、倉整備。学校整備。測量開始。医療巡回開始。港記録開始。全てが順調だった。
海雲が様子を観にくる。
「どうだ」
「思ったより早い」
私(長慶)は答える。
「皆やる気がある」
「土佐か」
「うん」
私(長慶)は少し笑う。
「貧しいからだと思う」
「ほう」
「変わる理由がある」
海雲は頷いた。
確かに、豊かな者は変化を嫌う。
けれど、苦労している者は違う。
良くなる可能性があるなら、試してみる。
一方、岡豊城。
長曾我部国親。
彼もまた報告を受けていた。
「本山も参加」
「安芸も参加」
「津野も参加」
「一条方も参加」
家臣が読み上げる。場が静かになる。
土佐の大半が阿波式へ移行し始めている。
長曾我部国親は窓の外を見る。
そして、ぽつりと呟く。
「さて」
「どうするか」
それは焦りではなかった。
怒りでもない。純粋な思考だった。
長曾我部国親もまた決して凡庸な男ではない。
そして、彼の目の前にも少しずつ現れ始める。
阿波、讃岐、伊予土佐。
四国全体が一つの仕組みとして動き始める未来が。
まだ完成には遠い。しかし1534年の夏、
四国は確かに戦国の常識とは違う方向へ歩み始めていたのである。




