土佐の天領化②
――1534年、文月末。
土佐国。
四州近衛孫次郎長慶稀仁の名による正式通知。
朝廷使節副署。菊の御紋。
その一行は、讃岐や伊予と同じ手順で土佐へ入った
武力ではない。調査。説明。選択。
それが基本方針だった。
しかし、私(長慶)が予想していたよりはるかに反応は早かった。
理由は単純だった。
讃岐と伊予の天領化が既に終わっていたからだ。
噂ではない。現実だった。
商人は見ている。
僧も見ている。
海商も見ている。
阿波へ留学した若者もいる。
伊予へ研修へ行った者もいる。
情報は既に土佐へ届いていた。
「讃岐が受けた」
「伊予も受けた」
「朝廷も認めた」
「阿波は栄えている」
その事実は重い。非常に重い。
まず動いたのは、嶺北の本山氏だった。
説明会の後、本山氏代表は言う。
「我らは参加する」
場が静まる。早かった。
「理由を聞いても?」
私(長慶)は尋ねる。本山氏は答えた。
「土佐は争いが多すぎる」
「……」
「毎代だ。隣と争う、親族と争う、国人同士で争うことに疲れた」
率直だった。
私(長慶)は頷く。理解できる。
東部の安芸氏も似ていた。
「我らも参加する」
「理由は?」
「港だ」
安芸氏は即答した。
「阿波式が入れば、船が増える、商いが増える、ならば反対する理由がない」
極めて現実的だった。いかにも土佐武士らしい。
高岡郡。津野氏。
ここも決断が早かった。
「賛同する」
「条件は?」
「家が残るなら良い」
それだけだった。私(長慶)は思う。
讃岐と伊予と同じだ。
皆が恐れているのは、滅亡。家の消滅。それだけなのだ。それが無いなら、案外受け入れられる。
そして、最後に残った長曾我部氏。
岡豊城、土佐中央部。
ここだけが返事を保留した。
いや、正確には違う。反対した。
岡豊城城主、長曾我部国親。三十になったばかりのまだ若い当主。
だが、目力が強い。しかも非常に鋭い。
説明を聞き終えた後、長曾我部国親は静かに言った。
「なるほど、見事な仕組みだ」
「ありがとうございます」
私(長慶)は答える。
しかし、長曾我部国親は続けた。
「だが断る」
場が静まり返る。
私(長慶)は驚かなかった。むしろ、予想していた。
「理由を聞いても?」
長曾我部国親は笑う。
「簡単だ」
「はい」
「土佐をまとめるのは、長曾我部だからだ」
静寂。
「朝廷ではない、阿波でもない、四州近衛家でもない、長曾我部だ」
強い言葉だった。
その場の誰もが理解する。
これは欲ではない。信念だ。
長曾我部国親は本気でそう思っている。
私(長慶)はしばらく黙る。そして、少しだけ笑った。
「そうですか」
長曾我部国親が眉を上げる。
「怒らぬのか」
「怒りません」
私(長慶)は首を振る。
「選ぶ権利がありますから」
長曾我部国親は少し驚いた顔になる。
普通なら、圧力が来る。脅しが来る。
そう思っていた。だが違った。
四州様(長慶)は本当に選ばせている。そこが不思議だった。
その夜の宿所。
「失敗ですか」
小一郎(篠原長房)の言葉に私(長慶)は首を振る。
「違う」
「?」
「成功だよ」
皆が首を傾げる。
「だって本音を聞けた」
それが大きい。
国親は敵ではない。
反対派でもない。
ただ、父の仇を討ち、土佐を自分でまとめたい。
現状のままでは不満なのだ。それだけなのだ。
私(長慶)は窓の外を見る。
『令和のおばちゃん』の知る未来では、この男の息子が、四国を揺るがす。
だが、今は違う。まだ何も始まっていない。
ならば、急ぐ必要はない。
土佐の大半は賛同している。
本山。安芸。津野。吉良。一条方。その他国人衆のほぼ全て。
残るは、長曾我部のみ。一部の情報から、長曾我部国親は父親である長曾我部兼序の仇を討つことが悲願になっているらしい。
その話を聞いた時、『令和のおばちゃん』も『長慶おじさん』も深くため息をついてしまった。こればかりは本人が折り合いをつけるしかないからだ。
こうして1534年夏。四国天領化はほぼ完成した。
四国中央部に残った一つの独立勢力。
長曾我部氏。
その存在が、後に私(長慶)自身にとっても大きな意味を持つことになるのであった。




