土佐の天領化①
第八章『土佐の天領化』開始です。
――1534年、文月のある日
阿波国・徳島城。
夜。政所の仕事も終わり、城の中も静かになっていた。
私(長慶)は一人。
父・海雲の部屋を訪れていた。
「父上」
「どうした」
海雲は書状から顔を上げる。
普段なら、こんな時間に来るのは珍しい。
しかも、息子(長慶)の顔が真面目だった。
「話があります」
「ほう」
海雲は座り直した。
「未来の話か」
私(長慶)は頷く。
海雲だけは知っている。
息子(長慶)が時折語る"未来の記憶"を。
「土佐を急ぐ理由です」
私(長慶)はそう切り出した。
「ふむ」
「正確には、まだ生まれてもいない子供の話」
海雲が眉を上げる。
「生まれてもいない?」
「うん」
私(長慶)は頷く。
「今の土佐には関係ない。でも、将来の土佐には関係がある」
静かな夜だった。
虫の音だけが聞こえる。
「その者の名は」
私(長慶)は大きく深呼吸してから言った。
「長曾我部元親」
海雲はその名前を聞いたことがない。
当然だった。まだ生まれていない。長曾我部国親の子。未来の人物なのだから。
「長曾我部元親、その者は土佐を統一します」
海雲は黙って聞く。
「土佐だけでは終わらない」
「ほう」
「四国統一を目指す」
海雲の目が少し細くなる。
四国統一。
それだけなら、別に珍しくない。
戦国なら誰でも考える。
しかし、いつもと息子(長慶)の表情が違った。全く笑っていない。
「その時、阿波は焼ける」
海雲が動きを止める。
「讃岐も焼ける」
「……」
「三好も滅びる」
「ほぼ全滅。家臣団も国人衆も多くが死ぬ」
海雲は何も言わない。ただ聞いている。いや、吐き出させている。
幼い頃、必死に六郎(晴元)様と袂を分けろといったあの時の千熊丸を彷彿とさせた。
千熊丸に刻み込まれている潜在的な恐怖。
「篠原も香川も十河も、多くが消える」
私(長慶)は続けた。
「もしかしたら、今、阿波で育った人材も積み上げたものもたくさん失われるかもしれない」
未来の記憶、それは、勝利の物語ではなかった。破壊の物語だった。
「そして、四国全体が疲弊する」
海雲は深く息を吐いた。
「なるほどな」
ようやく言葉を発する。
「だから土佐か」
「うん」
私(長慶)は頷いた。
「土佐を敵にしたくない」
「なるほど」
「できれば戦う前に、一緒になりたい」
それが本音だった。
「だが」
海雲は続ける。
「その未来は必ず来るのか」
私(長慶)は首を振った。
「来ない」
「ほう」
「多分、もう来ない」
断言だった。
なぜなら、阿波が、讃岐が、伊予が違う。
既に歴史は大きく変わっている。
だから、元親という人物が生まれても、同じ人生にはならない。多分、きっと。
「でも」
私(長慶)は続けた。
「でも理由は分かる」
「理由?」
「どうして四国統一を目指したか」
海雲は頷く。それは興味深いといった風に。
「土佐が弱かったから」
「?」
「弱いから強くならなきゃいけなかった」
海雲は黙る。
「土佐は閉じている。山が多い。平野が少ない。国人同士で争う。だから、一つにまとめる必要があった」
私(長慶)は地図を見る。
土佐。四国最後の一国。
まだ手を付けていない場所。
「父上」
「何だ」
「私は長曾我部を止めたいんじゃない」
海雲が私(長慶)を不思議そうに見る。
「救いたい」
本音が溢れる。
「救う?」
「うん。長曾我部も、土佐も、阿波も、讃岐も、伊予も。そして。戦争そのものを」
海雲は少し笑った。
「大きく出たな」
「うん」
私(長慶)も笑う。
だが、その目は真剣だった。
しばらく沈黙した後、やがて海雲が言う。
「ならば急げ」
「うん」
「国親がどんな男か見てこい」
「うん」
「長宗我部がどんな家か見てこい」
「うん」
「敵と決めつけるな」
「分かってる」
海雲は頷いた。
未来は未来。今は今、まだ何も起きていない。
ならば、先に手を差し伸べればいい。
それが私(長慶)のやり方だった。
こうして文月下旬。
徳島城では土佐調査団の準備が本格化し始める。
そしてその先で、まだ若き長曾我部国親と四州近衛孫次郎長慶稀仁の運命が、初めて交わろうとしていた。




