伊予の天領化⑤
――1534年、水無月上旬。
伊予国。
調査開始から半月余り。
私(長慶)たちは、ようやく伊予の輪郭を掴み始めていた。
そして、最初に見えてきたのは問題ではなかった。
富だった。
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湯築城。
夜。私(長慶)は地図を広げる。
その横には、海路班が作った航路図。
びっしりと線が引かれている。
瀬戸内海。伊予灘。燧灘。安芸灘。
まるで蜘蛛の巣だ! 私(長慶)は見てそう思った。
これは、街道だ。
陸ではない、海の街道だった。
「すごいな……」
思わず漏れる。
海部家嫡男が頷く。
「伊予は海で食っております。阿波以上に」
その言葉は正しかった。
阿波は発展している。しかし、まだ発展の途中だ。
対して伊予は、既に巨大な交易国家だった。
河野通直も説明する。
「伊予は昔から海だ」
「田だけではない」
「船だ」
瀬戸内海。畿内へ行く船。九州へ行く船。中国地方へ行く船。全てが通る。
だから、河野氏は強い。
海を押さえているからだ。守護職だけではない。物流の中心だった。
しかし、調査を進めるうちに私(長慶)はある違和感を覚える。
「河野殿」
「何だ」
「これ」
航路図を指差す。
「誰が管理しているんです?」
河野通直が少し困った顔をする。
「皆だな」
「皆?」
「各港。各領主。各水軍」
う〜ん、嫌な予感しかしない。
数日後、海路班が報告書を提出する。
そこには、初めて文字化された数字も含んだものが並んでいた。
通行税。入港税。積荷税。保管料。警固料。これら全部だ。
私(長慶)は資料を全て読む。読む。読みこむ。
そして、気づいてしまった。『伊予の弱点』を。
確認のために読めば読むほど声に出る。
「え?」
静かになる。
「え?」
もう一回読む。
「え?」
皆が不安になる。
「どうしました」
小一郎(篠原長房)が聞く。
私(長慶)は紙を見たまま言う。
「伊予、めちゃくちゃ損してる」
沈黙。
「は?」
すぐに言葉の意味が理解できないのか、河野家重臣が固まる。
「いや」
「損してる」
「すごく」
私(長慶)は別の帳面を出した。阿波の資料。そして比較する。
「税が多すぎる」
「え?」
「多すぎる」
再び言う。
「取りすぎじゃなくて?」
「種類が多すぎる」
意味が違う。税率ではない。種類だった。
そこで、以前から協力している海商たちを呼ぶ。
「正直に言って」
「はい」
「伊予どう?」
海商たちは顔を見合わせた。
そして、代表が言う。
「面倒です」
一同沈黙。
「面倒?」
「面倒です」
「ものすごく」
さらに続く。
「河野殿には申し訳ないですが、同じ荷を運ぶなら阿波へ寄ります」
河野家重臣が固まる。
「なぜだ」
海商は答える。
「一回で済むからです」
静寂。海商は説明する。
「伊予は港ごとに違う、島ごとに違う、手続きごとに違う、書式も違う、税も違う。だから遅い」
それは伊予側にとってものすごい衝撃だった。
河野通直は無言だった。
彼は知らなかった。
いや、知ることが出来なかった。
今までは、誰も全体を見ていない。
だから、気付けなかった。
各港は儲かっている。各領主も儲かっている。だから問題ないと思っていた。
けれどあらためて、伊予全体で見ると「もっと儲けられる」「もっと人が集まる」「もっと船が来る」その機会を失っていたことが見えてきた。
その夜。少人数の会議。
出席者は河野通直と私(長慶)、海雲の三人だけ。
私(長慶)は河野通直に向かって伝える。
「河野殿」
「うむ」
「伊予は強いです」
河野通直は黙って聞く。
「正直、阿波より豊かです」
それも事実だった。
「でも… 伊予は一つじゃない」
その言葉に河野通直の目が細くなる。
「伊予の中に、小さな伊予がたくさんあります。港ごとに、島ごとに、家ごとに。だから力が分散しています」
長い沈黙、河野通直は答えなかった。だが、その言葉は深く刺さっていた。
守護でありながら、伊予全体を一つの仕組みとして見たことはなかった。
しかし、目の前の少年は違う。家ではなく、国を見ている。
そしてこの頃から、河野通直の中では、「天領化を受け入れるか否か」ではなく「伊予をどう残すか」という問いが生まれ始めていた。
それは、後の決断へ繋がる、伊予天領化最大の転換点の始まりだった。




