伊予の天領化②
――1534年、皐月十三日。
燧灘。『四州近衛』の船団は西へ進む。
阿波を発って三日。
讃岐沿岸を抜け、いよいよ伊予の海へ入ろうとしていた。
甲板の上、私(長慶)は海図を見ていた。
その横では、海部家と森家が何やら議論している。
「この潮なら昼には着く」
「いや、風が変わる。結果半刻遅れる」
ここまでくると私(長慶)には分からない。
海の人間はすごいなぁ。本気でそう思った。
その時、海雲が発言する。
「伊予は讃岐とは違う」
「うん、知ってる」
「いや」
海雲は首を振る。
「お前はまだ分かっておらん。」
「そもそも讃岐は阿波との関係が深い」
「元々三好とも縁がある」
私(長慶)は頷く。確かにそうだった。
「しかし、伊予は違う」
「独立心が強い」
「海を持つ」
「交易を持つ」
「自前で生きていける」
そこが大きい。
讃岐は阿波との連携で利益が見えた。
だが伊予は、現状でも比較的豊かだった。だからこそ難しい。
夕刻、船団は伊予東部へ到着する。
最初の寄港地、河野氏の勢力圏。
港には既に人が集まっていた。
大船団を見ている。一際目立つ旗。
錦の御旗。
朝廷使節。『四州近衛』とその側近。阿波三好と阿波と讃岐の国人。
百名を超える『若者』たち。それに続く技術集団。
奇妙な集団だった。港の人々もざわつく。
「本当に来たぞ」
「噂は聞いていた。讃岐をまとめたらしい」
「本当か?」
讃岐天領化の噂は既に伊予にも届いていた。
当然である。
瀬戸内海は広いようで狭い。
商人も船乗りも僧も、情報を運ぶ。
今では讃岐で起きたことが、伊予にも伝わっていた。
同じ頃。ある館には河野家家臣たちが集まっていた。
机の上には書状。
『四州近衛(長慶)』から送られた正式通知。
朝廷使節からは『綸旨写し』。
天領化説明会開催通知。
さらに同封されて送られてきた『讃岐調査報告書抄本』。
一人の重臣が呟く。
「面倒なことになった」
「確かに」
別の者も頷く。
「だが無視できぬ」
なぜなら、今回は三好だけではない。
朝廷がいる。錦の御旗がある。
そして、讃岐主要国人が賛同した。
それが大きい。
もし反対するなら、それなりの理由が必要になる。
到着したその夜、宿所。阿波と讃岐の若者たちが集まる。
百人を超える。そこで私(長慶)があらためて話す。
「讃岐と同じです」
皆が聞く。
「戦わない」
「押し付けない」
「脅さない」
一拍。
「まず聞く」
「まず調べる」
「まず知る」
国分寺一期生たちは頷く。もう理解している、私(長慶)のやり方を。
「そして、決めるのは伊予の人たち。私たちじゃない」
それがこの制度の根幹だった。私(長慶)が目指す『天領化』は命令ではない。あくまで選択肢だ。だから受け入れられる。
会議後、『はるちゃん(永寿)』がぽつりと言う。
「不思議ですね」
「何が?」
「皆、最初から賛成しているわけではありません」
「うん」
「それなのに話を聞こうとしている」
私(長慶)は少し考える。
「多分、見たからじゃないかな」
「見た?」
「讃岐を」
私(長慶)の言葉を『はるちゃん(永寿)』はすぐに理解した。
なるほど、噂ではない。既に実例がある。
讃岐が『天領化』へと実際に進んでいる。
だから伊予も聞く価値があると思う。
それが大きい。
翌日、朝廷使節の名で、正式通知が発せられる。
伊予国諸家へ
一、説明会開催
二、天領化制度説明
三、調査方法説明
四、選択権保証
五、朝廷による審査制度説明
そして最後に、「参加は強制せず」
その一文。これが私(長慶)の強い希望だった。
武力ではなく、理解によって進める。それが四国天領化の原則だからだ。
数日後、河野氏をはじめとする伊予各地の有力者たちが、説明会のため一堂に集まることになる。
そしてそこで、四国最大勢力の一つである河野氏が、初めて私(長慶)と正面から向き合うことになるのだった。




