『阿波焼き』
商品化するために必要なのが容器。この時代はセラミック。つまり陶器だ。
できるかな? と試行錯誤しながら令和の大谷焼きもどきができた。『阿波焼き』と名付けた。
ろくろや焼き窯も職人さん、根性で作ってくれました。
藍染め用の大甕も作れるように『登り窯』という特殊な形にしてもらって、基本はたたら製法で作ったものを応用してくれた。
ろくろも構造自体はうろ覚えだったのを見よう見まねで説明するとそれを叩き台にして作ってくれた。小さいものから『寝ろくろ』という大きなろくろも作ってくれた。
これは令和の時に子供達をよく連れて大谷焼きの工房で見せてもらったものを参考にした。
土に関しては『萩原粘土』『姫田粘土』『讃岐粘土』といった鉄分を多く含んだ粘土を探して『採取』、それを自然乾燥させて水分を飛ばし、乾燥した土を細かく『粉砕』して粉状に。『水簸』砕いた原土を水でとき、撹拌して小石や余分なものを取り除く。その後水を加えながら均一な粘土状になるまで丁寧に練り上げる。その後ろくろ(寝ろくろ)を使って成形。整形したものを陰干しした後、天日干し。乾燥後釉薬を浸し掛けや流し掛けをして色合いや光沢を与えた後素焼きを行う。その後登り窯で焼成。
この辺も『大谷焼き』の工房で教えてもらったことだ。けれど、あくまで大きな流れを覚えていただけだ。
細かいところは手探りなのだ。
これが形になり献上できるまでの芸術的になるまではかなり時間がかかったけれど、破損していなければ、普通の食器として領内流通させた。使用してみなければ欠点とか改良点とかわからないからね。
釉薬も物によっては色合いも大きく変わる。ニュースで藍染の染料を作る過程でできた灰をベースに調合した藍色の釉薬を使った大谷焼きというのをみた記憶があったので、それも試してもらうことにした。
後、釉薬なしの高温で長時間焼成してできるという『黄金窯変』にも挑戦してもらうことにした。
それ並行して『ガラス』も挑戦していく。原料の硅砂はどこで採れるかってことだけど、これもうちの旦那が教えてくれたことがある。砂じゃないけど徳島には3ヶ所くらい珪石鉱床があるらしい。徳島市多家良町付近にあったのだとか。あとは那賀郡見能林町答島にある津乃峰鉱山。と、勝浦郡福原というところ。
勝浦の福原は鉱石を掘っても運搬しづらいらしく、最寄りの場所に釜(大谷焼き用)の方を作り貝殻や海藻灰等の素材の方を運搬させてガラス作りに挑戦させてみることにした。
もちろん多家良町も津乃峰も同じようにした。
ここで採掘されたシリカは一部大谷焼きの釉薬として使用された。
シリカがあれば、貝殻と焼いた海藻。鉛は人体に悪いから使用しない。鉄や銅、マグネシウムやマンガン等いろいろ試してもらった。
それから、草木灰と海藻灰と消石灰の濃い水溶液を混合したあと炭酸カルシウムを沈澱させたあと濾過した液に植物油を入れて『石鹸』も作った。
植物脂はオリーブはまだ日本には入ってきていないからメインは『大豆』。嗜好品として『すだち』や『ゆず』の果汁を絞った後の残り滓から『油分』を取り出したものや『椿』を使った。




