讃岐の天領化21
――1534年、弥生十日。
讃岐国分寺。
鐘の音が消える。
境内に集まった者たちは、誰一人として口を開かなかった。
数百、いや、千に近いかもしれない。
大名、国人。城主。寺社。庄屋。商人。
讃岐という国を動かしている者たちが、ほぼ全て集まっていた。
その正面。
錦の御旗。
そして朝廷使節。
その後ろに私、四州近衛孫次郎長慶稀仁。
海雲と阿波の次世代たち。
讃岐の者たちは、その光景を見ていた。
武力の威圧ではない。だが、別の重みがあった。
やがて朝廷使節の一人が立ち上がる。白髪の記録官だった。
「これより朝廷の名において評議を行う」
この言葉で空気が変わる。
四州様(長慶)ではない。海雲でもない。
朝廷である。それを皆が理解した。
「本日問うものは一つ」
記録官は巻物を広げた。
「讃岐国諸家は、朝廷による四国天領体制へ加わる意思があるか」
静寂。
「参加する家は、所領を一度朝廷へ返上すること」
「家格・冠位も一度返上すること」
「その後、実地調査を経て再任する」
「ただし官職は与えられぬ」
「また阿波式の法と規格を受け入れること」
「教育制度も同様とする」
全員が聞いている。誰も動かない。
そして、記録官が最後の一文を読む。
「参加せぬ家は」
一拍。
「四国統一法域の外に置かれる」
その瞬間、境内の空気が変わった。
多くの者は今まで、参加するか否か、その程度に考えていた。
だが違う。外に残るということ。
それは、将来的に、法も流通も教育も、制度も全て別になるという意味だった。
香西氏が目を細める。
寒川氏が腕を組む。
十河氏は黙ったまま聞いている。
安富氏は静かに目を閉じた。
ここで私(長慶)は立ち上がった。
皆が注目する。
「勘違いしないでほしい」
声は静かだった。
「私(長慶)は服従を求めていない。支配も求めていない」
「なら何を求める」
誰かが呟く。
私(長慶)は答えた。
「参加だ。四国を作るための参加」
皆が聞いている。
「今まで通りでも生きていける。しかし…」
私(長慶)は地図を広げた。
阿波、讃岐、伊予、土佐が描かれている。
「港を繋ぐ」
「道を繋ぐ」
「学校を繋ぐ」
「法を繋ぐ」
「そうしなければ、百年後も同じことで争う」
誰も反論しなかった。
なぜなら、それが真実だったから。
_香川氏
最初に立ち上がったのは香川元景だった。
全員が見る。
「香川家、朝廷への返上を受け入れる」
ざわっ。
「調査も受けよう」
「阿波式も受け入れる」
静寂の中、香川元景は続ける。
「家を守るためではない」
「讃岐を残すためだ」
その言葉に、多くの者が顔を上げた。
_香西氏
続いて当主香西元定。
「香西家も異存なし」
「ただし」
一同が見る。
「港の発展に全力を尽くすことを望む」
商人たちが頷いた。
_寒川氏
寒川元政が立つ。
「寒川家も受け入れる」
「村々を守ること」
「それを条件とする」
私(長慶)は頷いた。
「約束する」
_安富氏
そして、最も注目されていた男が立つ。
安富盛方。旧守護代家。
場が静まり返る。
「安富家」
一拍。
「守護代の名を返上する」
どよめき。
「そして、新たな制度に参加する」
衝撃だった。旧秩序の象徴が、自ら終わりを認めた。
_十河氏
最後に十河景滋。
「十河家も参加する」
短い、そして続けた。
「この後、うちの若者を阿波へ送る」
私(長慶)はその申し出に思わず笑った。
「歓迎する」
十河氏も少し笑った。
「学ばせねば置いていかれる」
その言葉に、何人かの讃岐の国人が苦笑した。
皆、薄々分かっていた。
昼を過ぎ、夕方が近づくとほぼ全ての有力国人が、意思を表明した。
もちろん完全な満場一致ではない。
けれど、大勢は決した。
今後、讃岐は、天領化へ進む。
阿波式を受け入れる。
朝廷へ一度返上する。
そして、新しい秩序へ加わる。
評議の終了後、私(長慶)は国分寺の回廊を歩いていた。
夕日が赤いな、なんてことを思っていると、その横へ海雲が来た。
「終わったな」
「まだ始まりです」
私(長慶)は苦笑する。
「これから検地です。それに戸籍も法整備も学校も、港も作らなきゃ…」
海雲が吹き出した。
「戦より面倒そうだな」
「多分、戦(壊す)の方が楽です(まだしたことないけど)」
私(長慶)の言葉に、海雲はしばらく笑い。
やがて国分寺の境内を見渡した。
そこには、讃岐中の人々がいる。武士も、商人も、庄屋も、僧も。
それを見ていた海雲は静かに言った。
「千熊丸」
「はい」
「お前、本当に国を作り始めたな」
私(長慶)は答えなかった。
ただ、沈みゆく夕日の向こう側、讃岐平野を見つめた。
四国はまだ一つではない。
しかし、確かに今、その第一歩が刻まれたのだった。




