讃岐の天領化④
私(長慶)が頷くと、海雲はやれやれといった感じで笑った。
「それとだ」
「はい?」
「誰が子供だけで行かせると言った」
私(長慶)は海雲の言葉に詰まった。
海雲は呆れたような顔になる。
「千熊丸」
「はい」
「お前は十五も二十も先を見ておる」
「……はい」
「だから目の前のことを忘れる」
隣で聞いていた長慶の傅役であり海雲の側近である篠原長政が吹き出した。
「これは昔からでございますな」
「全くだ」
海雲も苦笑する。
「五十人の嫡子だぞ」
指を一本立てる。
「しかも各城主の跡継ぎ」
さらに一本。
「さらに、四州近衛家の側近候補」
さらに一本。
「加えて、稀人の学友」
さらに一本。
「誰がそんな連中を子供だけで国境越えさせる」
思わず私(長慶)も笑ってしまった。
「確かに」
「確かに、ではない」
海雲は真顔に戻る。
「阿波の半分が発狂するぞ」
部屋の空気が和む。しかし、海雲が指摘する内容は本気だった。
もし途中で何かあれば…
例えば、事故。病。落馬。川の増水。山賊。子供、しかも阿波の国人たちの嫡子を連れ出す以上、どれ一つ起きても大問題になるのだ。
海雲は地図を引き寄せた。地図を見つつ、
「同行する者はこちらで決める」
筆を取り、別の紙に、海雲はさらさらと名前を書いていく。
「まず儂(海雲)」
当然だった。海雲は阿波守護代でもあり、四州近衛家後見でもある。
その間、手薄になりそうな阿波は叔父である三好康長(のちの笑岩)がフォローに入ってくれるそうだ。
「篠原長政」
「はっ」
長慶の傅役であり、小一郎や佐吉の父の名が呼ばれた。
「大西家から一名」
「一宮家から一名」
「森家から一名」
「新開家から一名」
各家の当主クラスが同行する。つまり、保護者同伴だ。
「父兄参観だな」
私(長慶)が呟く。
「何だそれは」
「いえ」
「気にしないでください」
海雲は首を傾げた。未来の学校行事を説明しても仕方がない。
その横で小一郎たちの父である篠原長政が地図を見る。
「となると百人を超えますな」
「超えるだろうな」
海雲が頷く。
主だった阿波の国主の五十人の嫡子。
長慶の側近候補。護衛。従者。
そして各家の大人たち。まるでそれは小さな軍勢であった。
しかし海雲は首を横に振った。
「軍勢ではない」
「?」
「学問所だ」
まるで皆が笑う。
「確かに」
(長慶の)傅役の篠原長政も頷いた。
「阿波中の跡継ぎが揃っておりますの」
「それも未来のだ」
海雲が篠原長政に言葉に付け加え、そして私(長慶)を見る。
「千熊丸」
「はい」
「今回の目的を忘れるな」
「讃岐を天領化することですか?」
私(長慶)は海雲の問いに答える。しかし海雲は首を振った。
「半分正解だ」
「?」
「残り半分は」
海雲の静かな声。
「こいつらを育てることだ」
私(長慶)は黙る。海雲は外を見た。
庭の向こうでは、先ほどの少年たちがまだ騒いでいる。
私(長慶)の側近達…の顔もそこにあった。
篠原小一郎(長房)とその弟篠原佐吉(佐吉兵衛)
大西小太郎(頼武)。
一宮次郎九郎(成助)。
重清四郎(小笠原長政)。
森彦太郎(元村)。
新開太郎(元実)
佐々木太郎(高経)。
そしてその他の嫡子たち。
「四国は広い」
海雲ははっきりと断言した。
「お前一人では見きれん」
「はい」
「だから」
ゆっくり振り返る。
「今のうちに友にならせておけ」
その言葉に部屋が静かになる。
「城主同士になる前に、利害が生まれる前に……」
「同じ飯を食わせろ」
「同じ道を歩かせろ」
「同じ失敗をさせろ」
そして海雲は少し笑う。
「喧嘩もさせろ」
篠原長政が海雲の言葉に吹き出した。
確かに、今なら殴り合いで済む。大人になれば戦になる。
「今回の讃岐行きは」
海雲は静かに締めくくった。
「天領化の第一歩であり、四州近衛家家臣団の始まりだ」
海雲のその言葉に、私(長慶)は改めて理解した。讃岐へ行くのは制度を広げるためだけではない。未来の四国を支える者たちに、『同じ景色を見る経験』を与えるためでもあるのだと。




