第三章 完成①
ある日突然、日本に未知なる病原体の感染が発生した。
瞬く間に感染は広がり、日本全土を覆いつくすように感染が広がった。それは日本だけでなく、世界各地にも広がっていた。パンデミックだ。しかしそのことを、知る人はまだ誰もいなかった。
そしてエンデミック、施設内で感染者が拡大しながら発生した。原因は生存者の一人だ。しかし彼女は、感染していながらも発症しない特殊体質の持ち主だった。彼女のことを“ウイルスキャリア”と呼ぶ。
ウイルスキャリアとは、病原性のあるウイルスを体内に持ちながらも、症状が起きず、健康なままの人間のことを言う。様々な病原体が宿主に感染することで感染症が引き起こされるが、感染は成立してもそれ特有の症状が出ない、無症候の場合がある。この場合、宿主の免疫系に感染に対する防禦機能が働いていると推測される。これを不顕性感染という。
その不顕性感染、キャリアの女性の血液から、ある治療薬が創られた。それが、ラルドウイルスに対する抗ウイルス薬・ルークスだ。
ここからの話はまだ、ルークスが完成するまでの、少し前の話だ。
「西条さん、そっちはどうですか?」
「ダメだ。ウイルスは死滅するどころか、減少すらしない。マリちゃんは?」
「私も同じです…。抗ウイルス薬なんて作ったことないし、知識も技術も私には…」
「俺もないさ…。ただ、一度だけ、治療薬が完成する場面には立ち会った。俺がまだ研究員になって間もないころ、ULIに来る前の話だ。先輩が、ある国へ行くことになったんだ。それについて来いって言われて俺はついて行った」
「どこに行ったんですか?」
「ザンビア共和国だ。首都はルサカ。昔はアフリカでもっとも平和な国と言われていたんだ。確か二〇一八年頃だ。俺が行った時は、野生動物もいて、豊かだと思った。でもそれも最初だけ。一歩道を逸れるとまるでスラムだ。そのスラムを抜けたある村では、マラリア感染症が発生していた。マラリアに対する治療薬はいくつか開発されていたが、先輩が見つけたのはマラリアによく似た、類似感染症だった。それに関しては治療薬がない。ある日、弟に付き添って簡易テントにやってきた女の子がいたんだ」
西条は、その時出会った少女が類似性マラリアに対する免疫を持っていることを突き止め、マラリアの治療薬、アトバコン・プログアニル合剤を基に新治療薬を作り出した。しかし、その先輩は治療薬を作っている際の不慮の事故で亡くなったことを話した。
「俺が直接役に立ったとは思えないし、先輩も亡くなった。けど、その時の経験が今、役に立っているかと思うと、無駄じゃなかったと思える…」
「西条さん、私たちで治療薬を作りましょうね…絶対に。そして、その先輩に報告しましょう!自分も先輩のように治療薬を作ったって」
西条は優しい目で真理子を見た。彼女もまた、西条を見つめ返す。
「そうだな…早く見つけよう…」
ビニールカーテンの中で話しながら作業を続けている二人を、イクソラはどこか悲しそうな目で二人を見ていた。けれど、そんな彼の様子を二人は知る由もなかった。
それから数時間、二人は最低限の休憩のみで作業に没頭した。しかし、時間は過ぎて行くばかりで、治療薬の欠片すら発見には至らなかった。
「くそっ…これもダメか…」
「はぁ…こっちもダメです…。全然できない…」
「主任、キャリアの血液が無くなりそうだ。採取して来てくれ…」
西条はそれだけを言うと、また治療薬の作製に戻った。イクソラは何も言わず、部屋を出る。廊下に出ると、ライラックが立っていた。
「隊長…」
「薬はどうだ?二人の様子は?」
「今だ発見には至っていません。二人も作業に没頭してますが、失敗の繰り返しで心労が溜まってきているようです…。では私は検体の採取に…」
「イクソラ…治療薬が出来たら“彼”を助けられる…希望は捨てるな…」
隊長であるライラックに返事もせず、彼は廊下を歩いていった。
イクソラもそろそろ疲れてきたか…。ライラックは頭を悩ませていた。このまま二人に治療薬を作らせ、イクソラを監視につけるのはもう厳しくなってきたか…。何か考えないとな。そう思いながら、コントロールルームへと向かう。
向かった先は、コントロールルームの奥にいる雅子のところだ。
「みんなの調子は?」
「すべての班で疲労が目立ちます…」
「そう…。解析班はどうなってるの?」
「治療薬の開発に取り組んでいますが、未だ完成には至っていません。また、度重なる心労の為か、進捗状況が落ちています」
「そう…分かった。ちょっと解析班に行ってくるわ…」
雅子は真理子たちがいる解析班へと足を運んだ。
「マリちゃん、西条くん…」
作業に集中していたせいか、扉が開き雅子が入ってきたことに気付いていなかった。
「あ、おばちゃん…」
「中原さん…申し訳ないですが、何の御用ですか…?」
「開発はどうなってるかなって思って。それにちょっと顔を見たくて…」
「悪いですけど、薬ならまだできてませんよ。特殊なウイルスなんで、簡単には無理です」
「分かってるわ…。マリちゃん、ちょっとこっち来て」
雅子に手招きされ、真理子はカーテン越しに近づく。顔を近づけろと合図する。雅子は真理子の耳元で何かささやいた。それを聞いた真理子は驚き、思わず声が出る。まっすぐ真理子の目を見つめる雅子を、彼女は信じるほかなかった。
「おばちゃん、分かった。ありがとう…」
真理子は笑顔でそう言った。雅子はその笑顔を見て、静かに部屋から出た。
「西条さん…タンパク質から、分子標的薬を作りませんか?」
「タンパク質から?」
「そうです。キャリア血液にはウイルスを防御する免疫がありました。そこからできないかなって…。例えば、がん治療薬の応用で…」
「ラルドウイルスにだけ反応するタンパク質を見つけるってことか…。よし、やってみよう」
先ほど意図的に感染させた、シャーレ内の細胞。それを走査型電子顕微鏡で観察する。すると、小さな点状だと思われた細胞が一つ一つの形を成していることが判別できた。
「マリちゃん、これ見てくれ。ラルドウイルスの周りに付着してた点状の細胞覚えてるか?これ、タンパク質みたいなんだ…」
「なら、これで染色してみませんか?」
真理子はTTC溶液を西条に手渡した。
「これ、ミトコンドリアを見るときに使うだろ?」
「ええ。でもこのウイルスは常識では観察できないですよね。だったら、一か八かです」
西条は噴き出すように笑い、「やってみるか!」と作業に取り掛かった。真理子の予想通り、ラルドウイルスの周りにあるタンパク質を鮮やかな赤色に染めた。
「これが、キャリアの基だな…」
「この成分を分析してみましょう…」
二人は手を止めることなく作業を続ける。検体の採取を終えてイクソラが戻ってきた。
「検体採れたぞ…」
返事がない。作業に集中しているためだ。イクソラは仕方なく、採取してきた検体を台の上に置いた。ふと、そこにあった画面に目が行く。画面には細胞やウイルス、細菌等が映し出されていた。
「これが…ウイルスなのか?」
「へ?あ、そうです。いかにも悪そうな形ですよね…」
真理子が言った。「確かに悪そうな形だ…」とイクソラが同意する。




